パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

現時点での選択は、思いのほか難しいのではないか

2024年12月12日 10時13分33秒 | あれこれ考えること

新聞をトイレの中で読むのが習慣になっている
文句を言っていた同居人は、今は諦めてするがままになっている
この中で二つの記事が気になった

一つは豊橋市の市長が「住民投票を提案せず」の方針を伝える記事
もう一つは兵庫知事告発文書 県の調査 パワハラ「確証なし」の記事

豊橋市は分断が起きつつある
それは新アリーナ建設に反対し、それを訴えて立候補し当選した長坂市長が
前市長が契約した工事の契約破棄を行う手続きに入っているからだ

ところが、豊橋と浜松をベースに活動しているプロのバスケットチームがあって
バスケットチームを応援したり、これを地域発展のきっかけと考える人達は
アリーナ建設は必要だと考えている
Jリーグでもそうだが、正式にBリーグに登録されるためにはホーム会場として
それなりの規模が必要になっている
つまりはホームの会場があってこそチームと言えるわけだ

選挙後、アリーナ建設を求める人達は署名活動を展開して
市内外で約13万筆を集め、アリーナ建設の継続を求めて市長に提出した
しかし市長は公約に掲げたことだから方針の転換はできない

このように市民の意見が分断している場合には「住民投票」に問うと言う手段がある
住民投票の結果に拘束力はないが、無視するわけにいかず、多くはその結果を
尊重するようになっている

豊橋市ではすでに2回ほど「住民投票を行うべし」として
市民の有志(アリーナ反対派)が署名活動を展開し、規定の署名数が集まった時点で
議会の判断に委ねることになった
だが、その結果は2回とも議会の判断は「住民投票の実施に否決」だった

市を二分するような問題なら、あの時住民投票をしておけばよかったのに!
と思うが、これはそう簡単な問題ではなさそうだ
住民投票をして負けてしまったら都合の悪い人たちは、住民投票などしないほうが良い
結果がやってみないとわからないが、最悪の予想をすると住民投票などは余計なことだ
と考えても不思議ではない

議会が否決した住民投票だが、現時点で豊橋市に分断があるのは事実だ
(しかし、市長選の投票率は高くなかった)
それならば、今度は市長が現状を鑑みて住民投票の実施を議会に提案し
議会で可決すれば住民投票は可能となる

ところが今度困るのは市長の方だ
仮に今、住民投票をしてアリーナ建設賛成の方が多くなってしまったら
その意見を無視できない
だから「選挙公約としてアリーナ反対を訴えてきた」市長は
そうした状況をつくりたくない
そこで彼が口にしたのが
「前と議会の状況は変わっていないので、住民投票の可決は難しい」
との考えだ
そこには住民投票の結果への不安がある

ここでわかることは、民意としての選択を選ぶという行為(住民投票)は
実は行政と鍵員の都合によって左右されていることだ
つまりは当事者同士の背景なしに「どっちがいいいか?」
という白黒の選択の機会は与えられないということだ

話は兵庫県の記事に変わるが、調査結果の発表が選挙結果後という点が
大きな意味を持つのではないだろうか
斎藤さんは県知事に再選された
この記事の調査をしたのは誰かが詳しく書かれていないが
仮に県としたら県職員が行ったこととなり
それはもしかしたら首長として適切か否かを問うものとなる
毎日顔を合わせる可能性のある人物を
現実問題として完璧に公平に立ち向かうことができるだろうか?

もし斎藤さんが再選されなかったとしても
兵庫県の調査の結果は同じだったのだろうか
そうであってほしいというものの、現実世界は職員と首長との関係がある
つまりは、結果はいろんな要素で変わってしまいそうだ

このような調査は、つまるところ第三者に任せないと公平が保たれない
と想像できるが、実態はどうだったのか気になる

ということで、いろんな意見があって、公平に物事を進めようとしても
実態は何らかの損得で縛られているということで
それなりの年齢の大人は、こうしたことも頭に入れて
よーく考えないとあかんな!と実感する

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする