パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

正月の休業について

2024年12月14日 09時30分09秒 | あれこれ考えること

百貨店の幾つかが元日と2日を休業するとのニュースが流れていた
素直に良いことだと思った
中には店が開いていないことで不便を覚える人もいるから
一概に賛成はしかねるとの考えもあるようだが
優先すべきは家族のある社会人(従業員)の生活を守ることで
それは2日間の営業利益よりも価値あることだと自分は思う
(そもそも今まで正月休みだったのを営業するようにしたのは
   開いている分だけ売上が上がると考えたからだ)

昔聞いた話だが、愛知県に本社のあったあるチェーン店は正月も営業していた
ただその日、店に出ていたのは年輩のお偉いさん方だったそうだ
一番の働き手の若い年代は子どもたちとか親戚との時間が必要なので
手当をつけても応募がなく、仕方無しに出勤の羽目になったそうだ

自分が子どもの頃、店は正月休みが大半だった
一年の計は元旦にあり!の言葉を親などから聞かせされ
年の初めからお金を使うのは良くないと教え込まれた

店が開いていない分は年末に不足等を見越して年末のうちに購入しておく
それが身についた知恵だった

同様なことで自分が賛成しかねた営業形態にコンビニの24時間営業がある
もともとは7時から11時の意味で名付けられたあの有名な店舗も
販売機会のロスを恐れて24時間営業に踏み切ったのだった
だが、そこで起きたことは売上数字だけでは判断できないものだった
(人手不足、そしてそれを補うオーナーたちの過剰労働、犯罪、間接経費の増加などなど)

休みはそいうものだ!とあらかじめ生活に組み込まれていれば
人はその中でなんとかこなしていくのではないだろうか
昔、ドイツ等を放浪した時、日曜日は店が開いていなかったし
人々はそれで不便を感じているようには思えなかった
日曜日には教会から人の声が聞こえた

聖書では1週間に一度休むことは神の教えとされている
休むということは労働してはいけないということで
以前、これをものすごく厳密に守っていたのがユダヤ教の人たちで
一時期はシナゴーグまで車で行くというのは
運転は労働になるから禁止されていたこともあったらしい
流石にそれは現実に合わないのでそれは許されるようになったが
休め!というのは神の言葉みたいな一種強制的なものがないと
なかなか実現できないかもしれないと実感する

豊かな生活とか人間らしい生活というのは
経済的状況に左右されるとしても、内的な生活の満足度も重要だと思う
尤も、内的精神の充実は経済的バックボーンがあってこそとも言えるので
どちらが先か?というのは鶏と玉子論争になってしまいそうだが





コメント
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