フジテレビと中居正広氏のニュースが連日続いている
その中で何に関心を持つか?が受け手の個性の現れだが
自分が印象に残ったのは
「今回の騒動を受け、フジテレビの労働組合では加入者が
80人から500人に激増したとされた」との報道
ピンチになった時には、みんな我がこととして考え
自らの意志を反映する機会をもてる行動に移る
それは人として必然の行動のように思える
理不尽なことに声をあげたり、一人では効果がないと思われるなら
集まって行動する
このような経過は特に変わった(危険な)人たちのなせることではなく
ごく当たり前の行動と思う
権威とか立場の強い人に対して、声をあげるのはいつの間にか
日本では珍しいこととされたり、反動的な思想の持ち主とされた
(国のことに関して極論を言えば、こうした人たちは反日と決めつけられた)
でも、声をあげること、行動すること
それは本当に必然的で当たり前の出来事だと思う
労働者主体の共産主義的な考え方が生まれたのも
歴史の必然であったのではないかとも想像することができる
(そんなのは前から言っているという人たちがいそうだが
やっと実感としてそう感じたということ)
やはり切羽詰まらないと人は行動には出ないのか?
と情なく思ったり、それで間に合うのか?との不安もある
でもこの事件だけでなく、今の世の中はもっと声をあげるべきことが
多いように思えてならない
モラルの低下、権威主義的に追従する姿勢、すべてが自己責任とされる社会
「今だけ、自分だけ、お金だけ」が現実論としてまかり通る社会
このような何かがおかしいと感じる人は相当数いるようだが
その分析と方法論は人それぞれだ
その中で違和感を持つのは「個人主義批判」の概念
伝統主義者とか保守と言われる人たちは
かつて日本人が持っていた価値観が、西欧流の「個人主義」によって
破壊されたと考える傾向にある
日本こそは長い歴史があって、それは個人に立脚した社会ではなく
公に従う社会構造だったし、それに従うべきものとしている
でもこの時の個人主義という言葉の使い方は「個人の利益主義」
という意味で、「個の確立」から生まれる全人格的なものでなない
個人主義は、自分の個人の権利を実現してほしいと思うだけでなく
あなた個人の権利も保証するといった狭義のものではなく
リベラルアーツを学んで個が確立した(全人格的な)人間の
判断することは、必然的に公の分野まで及んでいる
という考えには至っていない
回りくどい話になったが、要は人はそれなりの教養とか倫理感とか正義感を
学習するだけでなく、自らとの対話を通して身につけたり醸成しないと
アカンのではないかということ
「何を言うかは理性
何を言わないかは品性」
以前知ったこの言葉が重くのしかかる
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