何事も「ああ言えば、こう言う」というのが現実のようだ
理屈は遠いところから関係ないところまで用いて
それぞれが言葉の戦いにおける勝利を目指す
最近は(行政)裁判はどちらが正しいか!を問うものではなく
どちらの言い分がより説得力があるか白黒つけるだけのように思えている
なにかの本で、民事裁判は明らかに損失を受けている人々がいるのだから
その人達の損失をできる限りカバーするように対処すべきとの記述を見た
それがどの本だったのか忘れてしまったが、その内容に納得できたことは覚えている
その最終的な判断を下す人々(裁判官)は、人間社会で頻繁に行われていることを
どの程度実感として身についているのだろう
事業の発注者と委託業者はどのくらいの濃い話をするのか
最終的な依頼者の意図や希望などは、契約書には書かれていないが
記録に残らない会話の中で充分になされているのは
こうした仕事をいくつか経験した人にとっては当たり前のことのようだ
それを彼らは社会でよくあることとして知恵となっているのだろうか
どちらが正しいか正しくないかだけの論点ではなく
違和感を覚えることを素直に評価した裁判例がかつてあった
それは新城市庁舎の建設予定地外移転補修費についての裁判で
この時は裁判長の提案によって最終判決に至らない方法が取られたが
その内容は
1. 本件移転補償に際し、損失補償基準要綱の要件を満たすか否かに関する調査に必ずしも十分とは言えない点があり、
支出に疑義が生じる不適切な事態が生じたことを重く受け止め、遺憾の意を表する
2.略(個人情報に関すること)
3.略(個人情報に関すること)
4.被告(新城市)は今後損失補償の事務等に関し、関係法令等への適合性に疑念を持たれないよう、
適正に処理すべく一層努めるものとする
大事なのは一番上の「支出に疑義が生じる不適切な事態が生じた」というところ
この疑義は今回の養鶏所に関する案件でも同様ではないだろうか
不動産鑑定が国家資格を有する人によってなされたとしても
それだけで、きちんとなされたと信じるのは信じがたい
そこには2つの大きな見落としがあるように思える
一つは、不動産鑑定をする前に、不動産鑑定をするに至った理由であるその土地の
希望売却価格を委託業者に伝えてあり、その価格は不動産鑑定になんら影響がなかった
とするところ
もう一つは、不動産鑑定業者が選択した比較する土地が地元新城市が1点
他の3点は豊川市だったが、不動産鑑定時を実施する時点では適切な比較地は
それしかなかったとするところ
でも本当にそうなのだろうか?
本当にもっと適切な比較場所は存在したのではなかっただろうか
不動産鑑定について、希望売却価格を伝えられたことは何らかのメッセージと
感じることはなかったのだろうか
これらの疑問は、ちゃんと行われたとの一言で片付けられている
だが、そこで思い出すのが、上記の「支出に疑義が生じる不適切な事態が生じた」
と裁判所が認めた先の裁判の言葉
少なくとも「無邪気に不動産鑑定がちゃんと行われた」と信じるに至らない
いろんな出来事がある
地元の人々の素直な声は、あの辺りの土地はそんなに高くない
というのが大半で、あの価格での売買は疑問を覚えても仕方ないとするものだった
やはり「支出に疑義を生じる不適切な事態が生じた」というのが現実だと思うのだが、、