パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ワークショップ

2018年07月29日 09時07分35秒 | あれこれ考えること

新城市や新城市議会が主催する会合に、ワークショップが設けられることがある
つい最近では議会報告会で、その前には市民まちづくり集会で、その前には地域自治区ごとに
行われた「公共施設」についての検討会(?)でも、当たり前のように、なんの疑いもなく行われた

その方法は何人かが幾つかの机に分かれて座り、目の前に置かれた小さな色分けしたシート(小片の紙)に
検討事項を、各人が思いつくまま書いて、目前の大きな用紙にペタペタと貼っていき
貼り終わったあとで似たような考えや視点を一括りしして、考えからを整理していこうとするもの
これは昔、仕事の本を読んでい時目にした「KJ法」という方法だと思う

で、少しばかりへそ曲がりな自分は、この方法があのような会議で有効な、成果のあるものだろうか
と考えてしまう
ます第一の大きな不満は、やった本人の達成感がまったくない
考えが似たようなものの集合として、ある種概念化されるとしても、そしてそれはまとめ方としては
素晴らしい方法だとしても、どこな「なにか違う」という気持ちを抑えきれないのだ

なら他に方法があるのか、、と言われると、思いつかないのが辛いところだが
少なくとも新城市で行われた「市民まちづくり集会」でのワークショップ
市議会で行われた「公共施設に関するワークショップ」は、約一時間を費やしたものの果たして
それが真に何かに役立ったかといえば、、、
その後の報告もあまりないし、、ちょいと疑問

KJ法は確立された素晴らしい方法らしいが、前提となるのが優秀なまとめ役のファシリテーターの存在
過去のワークショップにその様な人物がいたるところで存在したかと言えば、、
みんなそれぞれ自分の感覚で、、、
以前牧之原市の市長だったと思うが、市ではファシリテーターの資格を取るように進めていて
現実に何人かの有資格者が生まれた、、との講演会での発言があった
ワークショップを実行するなら、そうした下地が欲しいものだ

でもこのワークショップの方法で果たして本当の考え、要望が見つけられるか、、が
どうしても疑問に残る

結婚式の祝辞では「耳が2つあって、口がひとつなのは、人間というのは人の話をよく聞いて
声に出すのは控えめにしたほうが良い」という例えで使われるが、この耳が2つあっての部分
人の話をよく聞く、、反論のためにではなく、ただただ言わんとすることを理解しようとする努力と
その理解力というのが、ある職業の人たち(行政や議員さん)には特に必要だと思われるが、
このワークショップというステップを踏むことで、それらは行われているとされそうで
なんだかよく言われる行政のアリバイ作り、、みたいな印象を持ってしまうのは、、偏屈すぎるか

人のはなしを直に聞く、行政の人も議員さんも市民の声をしっかり聴く
そのしっかり聞いた話は実体験として深く記憶に残り、様々な判断の基準となる
ワークショップで得られた結論を文書で読んで理解するのと、誰かの声を直接聞くというのは
きっとその影響力は大きく違うだろう
できることなら、市民の声を聞く、、という行為は、ワークショップでシャンシャンでお終いではなく
地道にやってほしいもの、、と思ったりする、、


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