パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

どうも、逆を取ったり、リズムの変化がないみたい

2008年11月13日 22時15分48秒 | Weblog
楢崎、中沢、中村俊も怪我
遠藤がACLで不在
カタール戦が目の前とういう時期に
なんとなく緊張感のないマッチメークのシリア戦

選手たちにチャンスを与えると言えば聞こえがいいが
なんとなく人材不足?

スターティングメンバーは玉田、田中、大久保、岡崎が
前目のポジション
アジリティーはあるけれどみんな背が低い
しかし、ある意味現実的かもしれない

試合自体は3-1で勝利したけれど
メンバーが大幅に変わった後半はイマイチ

さて身長の低いメンバーによるサッカー
それは今年のユーロで優勝のスペインがそうだが
それと比較すると、やるべきことが見えてくる気がする
というか劣っている点が目につく

日本人はプレーが速いが、速すぎるために?
ボール扱いが雑になることがある
例えばボールを前に運ぶ時、ほとんどがスピードをたよりに
仕掛けようとする
さてスペインは?
忘れてしまったがなんとなく思うのが
スピードが基本なのだけれど、相手をかわす技術
相手の体重移動の逆を取る技術が日本人よりも優れているようだ

これはスペインはいつも相手があることを前提に練習するけれど
日本ではまずミスの少ないノンプレシャーから練習をスタートすることに
問題があるのではないか?
もちろん最初から相手ありでは上手くいかないけれど
知らず知らずに相手の存在を忘れたようなきれいなサッカーを
目指すようになっていないか

そしてリズムの問題
真面目な日本人のサッカーはこの代表戦でも
高校サッカーのような生真面目な
一直線のリズムで行う
それはダイレクトパスを交えるとか交えないとかの問題ではなく
意識の問題として相手の逆を取る、相手をかわすということが
欠けているように思えてならない

確かにたいがいのことはスピードの速さでクリアできる
しかし、レベルが上がってくるとそれだけでは決して
問題解決はしない

今はヨーロッパのクラブチームのゲームがテレビで見られるが
一様にハイテンポで進んでいる
そしてそれを日本のチームも選手も手本にしている
しかし、南米の、特にブラジルのどこかのんびりしたような
けれど部分部分では駆け引きの多い
リズム変化の多いものを実はもう少し学ぶべきではないかと思う

そして基本的なことの大切さを再度確認すべきなのではないか
トラップの方向、パスの方向(右足、左足)パスの正確さなどなど

このレベルで初歩的なことを言うと馬鹿にされそうだが
ブラジル選手の丁寧なインサイドのパスを見ると
そして相手の裏、逆を取るのが上手いのを見かけると
この先我々が身につけなければならないものは
こんなことではないかと思えて仕方ない

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経済はわからないけれど、気持ちが受け入れられないこと

2008年11月12日 20時38分27秒 | Weblog
ニュースでアイスランドの急激な経済悪化、
アイスランド・クローナの下落のことが伝えられていた
商店、会社の倒産、失業者の増加
国内の人々は生活の猛烈な変化に、ただただ困っている状況

しかし、旅行者にとってはアイスランド・クローナが対ドル、円に対して下がっているので
以前の半分くらいの金額で様々なサービスが受けられ
ホクホク顔との面も伝えられていた

旅行者が増えてお金を落としていけば
国にお金が増えること、消費が多くなって経済にも
よい影響を与えそうだけれど、気になるのは国内の人に気持ち

そういえば韓国もウォンが下がって、
ひんぱんに日本からも買い物客が訪れているとか

買う方、使う方は、安くて使いでがあって、いうことなしだろうけれど
フト考えてみると、なんだか変な気がしないでもない

自分は経済に詳しくないので国力による通貨の強弱の必要性が
よくわからないけれど
安い賃金のどこか知らない国でものをつくらせて
先進国はその恩恵を預かる
といった 半ば当たり前のビジネススタイルが果たして
人間的、道徳的にいいものか疑問に思えて仕方ない

特に低賃金の国の人が、強い通貨の国の人たちの
お金の使い方を見たら、それは不公平とか傲慢に映らないだろうか
いや大人ではなく何も知らない子供たちが見たら
その状況は著しく平等ではないと思うのではないか

たしかに経済的な理屈からすれば
きちんと説明がついて仕方ないことかもしれない
しかしフト自然にわき上がるこの不公平感はなんだろう
もしかしたら理屈以上にこの感情の方が正しいいのではないのかとさえ思えてくる

といっても、そこは自分も情けないうちの一人
恵まれた立場をなかなか手放す気にはなれないのも事実だ

機会平等が公平の基軸となっているらしいが
現実に結果不公平になっているのならば
それはそれでなんとかしなくてはダメなんじゃないのかな

残念ながら自分も含めてあまりにも多くの人が
お金に支配されてしまっているようだ
(もしかしてこの便利で魅力的なお金というものは
 原子爆弾以上に危険な存在のものかもしれない)
だから使い方、分配の仕方を再度、人間力をしぼって
 とらえ直した方がいいと思うけれど
 既得権のある人たちは、そうは問屋が卸さない、かな
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本当?テレビや新聞の解説、説明

2008年11月11日 22時39分55秒 | Weblog
株価が毎日乱高下している
新聞、テレビでその理由を毎日伝えている

そう毎日、ご苦労なことに

こうして説明や解説があるとなんだか信用したり
安心してしてしまうみたいだけれど
最近これらの説明は果たして本当にあっているのかな
と思わないでもない

無理やり毎日理由付けしているだけではないのか

そう言えば格付け会社の評価だって信用してたら
とんでもないことになっていたし、、、
そもそも分からないことをいいことに
それなりの立場の人が大きな声でとりあえず
自信たっぷりに声を発すると
人は勘単に信用してしまうようだ

それは残念ながら
政府や役所の発表する数字に対してもそうだ

数字とか統計などは実は意図的な
方向にもって行きやすい
しかしながら、それらをチェックする力がこちらにはない

みんながみんな善意で世の中回っていけばいいのだけれど
どうにもそうではなさそう

いろんな嘘
そうしたものを見抜く力を
一人ひとりが持たなければならないだろうが
それが生き抜くための現実的な方法とはいえ
チョッとばかり寂しい世の中になってしまったようだ

だまされるものが悪いのではなく
だますやつが悪い
それは国でも政府でも

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ウルトラマン出演のコマーシャル

2008年11月10日 22時44分30秒 | Weblog
テレビCMを見ていて何の気なしに出た言葉

案外そうだ!と思ったのが
ウルトラマンは面白おかしく人間サイズの
被り物の姿で出演してはいけないんじゃないか
ということ

なんにでも反対をするつもりはない
だが、何にでも安易に思いつきで形にするのも
どうかな?と思わざるを得ない

もちろんCM制作の人たちが必死に練り上げたアイデアであったり
目だって何ぼ!の気持ちもわからないではない

しかし、それでもやっぱりやるべきではないものあって
これもその類の一つではないかと思えてならない

大人たちはいい
どのように作られているかを知っているから
しかし子供たちには、、
すぐにウルトラマンの真の姿を教えてしまうのは
彼らの想像力、楽しみを壊してしまいそうな気がしてならない

つまり、これはサンタクロースが家族の誰かであるという
事実を子供たちが自然と知るまでは
大人の優しい気遣いで伏せているのだから
ウルトラマンにしたって同じように
子供たちが分かるまで敢えて発表せずに伏せておくのが
大人たちの心遣いじゃないのかな

分かっているけど、あえてそれをしない!
または、やせ我慢して意識的に不自由さを受け入れる
そんな姿が見られなくなりつつある

物事は誰にでも分かりやすく
面白おかしく
そして自由に!

でも本当はこんなんばかりでは
いけないのじゃないのかな?





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何度か目のダイエット

2008年11月08日 13時18分25秒 | Weblog
禁酒、禁煙と同じくらい何度も挑戦して挫折するのがダイエット
幸い自分はそんなに酒は飲まないし
タバコは30年ほど前に賭けをして止めることができた
ところが、ダイエットは、、、

このダイエット、引き算の様に、何かをしなければいい
というだけではなくて
カロリーを消費するために何かをする
という作業が必要になってくる
おまけに根性も!

どんなダイエット方法にしろ最終的には根性!
みたいなところがあるけれど、どうもこの部分が自分に欠けている
せめて思いついた時に三日坊主でもダイエットもどき
をするだけだが今回もその口だ

しかし、確かに運動して心持ち体が軽くなると
なにかしら活動的になってくるのは毎回感じること
そしてぼんやりしていた頭の方も、血流の速度が速まったみたいに
決断が速くなるのも事実(のような気がする)

それにしても標準体重からすれば10キロほどオーバー
おまけに体重増からくる(?)腰痛も!
落とさなくてはいけないけど、、、、

みんなが言うように、お金は少しも貯まらないけど
脂肪だけはちゃんと溜ってくる
せめてあと5キロ減らさなければ、、、




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さて日本は

2008年11月05日 21時25分09秒 | Weblog
この頃はあまり羨ましいとは思えないアメリカ
しかし、今日は少しばかり、いいなあ!
とため息が出そうだ

オバマ氏が次期大統領に選出されたからだが
初めての黒人大統領の誕生を驚いたりするのではない
ただ、何かを変えようとすること
それにはリスクを伴うけれど
そうしたこともふまえた上で、たとえ選択肢が二つしかなかったとはいえ
国民が自分たちで勇気を持って変化に挑んだという事実が、
ドラスティックな変化を避けたがるこの国の
失敗を恐れていつまで経っても変わらない姿と対照的で
隣の芝生みたいに見えてしまうのだ

選挙の洗礼を受けずに総理大臣は
安倍さん、福田さん、麻生さんと続き
解散は総理大臣の固有の権限であるからといって
そのタイミングを政局がらみで見計らい
ズルズルと先送りになっている
そんないつも見かける風景が今日はなんだか
やたらと情けなく思えてきた

いつまでこんなことが続くのだろう
そんな議員たちを選んできた自分たちが悪いのだけれど、、、




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自分の声

2008年11月03日 15時47分17秒 | Weblog
「ただいまのメッセージをお聞きになりたい方は1を
 変更したい方は2を、、、」

これは先日留守番電話にメッセージに残したときのこと
いつもなら確認もしないで切ってしまうのだけれど
不意に自分の声ってどんなだろうか?
の興味だけで1を押してみた

なるほど、こんな声なのか?
思ったより鼻にかかっている
みんなはこんな声を聞いているんだ
自分の体を通して聞くのとずいぶん違う
それとも電気を通すと違って聞こえる声のタイプなのかな?
声の良く通る人も通らない人もいて
自分はもしかして通らない方なのかな?
等などいろんなことを思ったが
そのうち以前から疑問に思っていたことに考えが至った

それは本を黙読する時や
仏壇に手を合わせて挨拶する時などの
頭に浮かんだ声のこと
いったいこれはどの声なんだろう?
いつもしゃべっている声の記憶なのだろうか?
なんだかそうでもないような気がする
と言って先ほど聞いたみんなが聞いている声でもないようだし
試しに高い声で頭の中で歌ってみると
高い声は出ない
とするとやっぱり記憶の中の自分の声なのだろうか?

ま、いつものごとく、どうでもいいことなのだけれど
黙読も最初のうちは声の存在を感じているけれど
そのうちに内容に引き込まれていくと
声も感じなくなっていく
そのときは果たして言葉が言葉として理解しているのだろうか?
厳密な意味ではもっとアバウトな捉え方をしているような
気がしないではないが、、、

休日の午後、こんなことを考えるのは
暇を持て余し過ぎ?


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季節の果物

2008年11月01日 22時35分08秒 | Weblog
喜ばしいことなのだけれど、
続くとなんだか素直に喜べないのが
季節の野菜、果物の差し入れ

今日もまた、やっと母の友達からいただいた柿を食べ終わって、
さて次は自分の知り合いからもらった
少し器量のいい柿に移ろうとしたのだが、、、
久しぶりに叔父さん夫妻がやってきて
おばさんの実家の柿をたくさん取ってきたので
挨拶がてらおすそ分けに訪れたとのこと

ありがとうございます
さすがに、「家にはしっかり柿があります」
ともいえずいただいたのだが、、、

実際この田舎では近所付き合いがまだ濃くて
食べ物の差し入れなどは頻繁にある
春には竹の子、夏はゴーヤ、秋には栗、柿
冬は蜜柑などなど
商売にしているというより家で育ったものを
届けてくれるので、それらはいつも数件重なってしまう
まるで、これでもか!というくらいに

竹の子などは始めはうれしいけれど
段々飽きてきて、ついには「またか!」
と思うまでになるが考えてみると贅沢なことだ

季節の旬のものを頻繁に
ただでいただけれるなんて!
贅沢とは実はこのような事かもしれない

無理やり季節はずれのあまり美味しくない果物を
高い金を出して食べるより
季節のものを素直に自然からの頂き物として食する
季節の変化の激しいこの国は
こうして自然と接していくことが
一番無理のない生き方のような気がする

そして親切なご近所さんに恵まれる社会が
(かつてはどこにでも存在したように)
いたるところで見られればいいのだけれど

それにしても一気に食べごろになってしまう柿
柿の木のある家は、赤くなっても収穫せずに
ほったらかしにしているのを見かけるけrど
ついつい、あの柿はいったい収穫されるのだろうか?
腐るまでそのままなのだろうか?
などと余分な心配をしてしまう

腐らせてしまうくらいなら近所へのおすそ分けは
正しい行い、、、だと思う?
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