パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

経済はわからないけれど、気持ちが受け入れられないこと

2008年11月12日 20時38分27秒 | Weblog
ニュースでアイスランドの急激な経済悪化、
アイスランド・クローナの下落のことが伝えられていた
商店、会社の倒産、失業者の増加
国内の人々は生活の猛烈な変化に、ただただ困っている状況

しかし、旅行者にとってはアイスランド・クローナが対ドル、円に対して下がっているので
以前の半分くらいの金額で様々なサービスが受けられ
ホクホク顔との面も伝えられていた

旅行者が増えてお金を落としていけば
国にお金が増えること、消費が多くなって経済にも
よい影響を与えそうだけれど、気になるのは国内の人に気持ち

そういえば韓国もウォンが下がって、
ひんぱんに日本からも買い物客が訪れているとか

買う方、使う方は、安くて使いでがあって、いうことなしだろうけれど
フト考えてみると、なんだか変な気がしないでもない

自分は経済に詳しくないので国力による通貨の強弱の必要性が
よくわからないけれど
安い賃金のどこか知らない国でものをつくらせて
先進国はその恩恵を預かる
といった 半ば当たり前のビジネススタイルが果たして
人間的、道徳的にいいものか疑問に思えて仕方ない

特に低賃金の国の人が、強い通貨の国の人たちの
お金の使い方を見たら、それは不公平とか傲慢に映らないだろうか
いや大人ではなく何も知らない子供たちが見たら
その状況は著しく平等ではないと思うのではないか

たしかに経済的な理屈からすれば
きちんと説明がついて仕方ないことかもしれない
しかしフト自然にわき上がるこの不公平感はなんだろう
もしかしたら理屈以上にこの感情の方が正しいいのではないのかとさえ思えてくる

といっても、そこは自分も情けないうちの一人
恵まれた立場をなかなか手放す気にはなれないのも事実だ

機会平等が公平の基軸となっているらしいが
現実に結果不公平になっているのならば
それはそれでなんとかしなくてはダメなんじゃないのかな

残念ながら自分も含めてあまりにも多くの人が
お金に支配されてしまっているようだ
(もしかしてこの便利で魅力的なお金というものは
 原子爆弾以上に危険な存在のものかもしれない)
だから使い方、分配の仕方を再度、人間力をしぼって
 とらえ直した方がいいと思うけれど
 既得権のある人たちは、そうは問屋が卸さない、かな
コメント
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