パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ノーベル賞を逃した人の小説

2017年05月03日 11時32分11秒 | 

最近ミステリーを含めて小説を読んでいない
ちょっとばかり小難しい本ばかりを選んでいて頭が固くなりそうで
ストレスも溜まっているかもしれない

ということで、GWくらいは気分転換に小説を読むことにしようと考えた
ちょうど今日は夜に宗次ホールでイエルク・デームスのピアノ・リサイタルがある
往復のJR内ではしっかり読めるからと本棚から選んだのが

三島由紀夫の4部作「豊饒の海」の第一作「春の雪」
これは大学1年の時に読んだがそれ以来読んでいない
例のごとく、悲しいくらい内容を覚えていないが一つだけ覚えていることは
「トーマス・マンのような人工的な作り物っぽい」という印象だ

今読めばその淀みのない流麗な文体はそれだけで才能を感じさせて
気にいるかもしれない
(いや、やっぱり気に入らないかもしれない) 

ヴァーグナーの「ニーベルングの指環」に匹敵する4部作
この機会に一気に読むのも贅沢な時間の使い方かもしれない

ところで、この本の値段680円
現代の感覚からすると信じられないほど安い
そうだ、このシリーズで一番気に入っていたのは本の装丁だ
春の雪はピンク、奔馬は黒、暁の寺は赤、天人五衰は青の内容を暗示させるような
表紙と裏表紙、それにそれを包むカバーも雰囲気がある

三島由紀夫は結局ノーベル賞を取れず、
川端康成がその名誉を得ることになったが、
「人工物ぽい」と言う印象が、取れなかった要因ではないか、、、
などと勝手に思ったりして、、

JRの行き帰り、さて根気よく読み続けられるか、、、、



 

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素直に信じられない数字

2017年05月03日 08時59分32秒 | あれこれ考えること

どう考えても内閣支持率の数字には納得いかない
実感と違いすぎる
最近は固定電話ではなくて携帯も世論調査の対象としているらしいが
とにかく、この数字は不思議だ

これだけ内閣支持率が高いのは、代わりとなる野党が頼りないからだ
と知ったかぶりの解説がよくなされるが、本当にそうなのだろうか

内閣支持率の質問は決まっている
今までの時系列の変化を見るために毎回同じ質問をしている
だがその質問自体が本当に大衆の声を反映するような質問だのだろうか 

RDD方式ではなくて、選挙時に各メディアが行うような出口調査とか
街頭のインタビューによる調査をしたら同じ結果が出るのだろうか
(こまめにやりばいいのに) 

メディアは街に出て生の声を聞くといった当たり前のことをしないで
机上の数字を弄んでいないか
そして自らの足で得た数字を独自の解釈で報道するといった普通のことが
出来ないでいるのではないのか、、

漠然とした不安、それはメディアが結局その本来の機能を果たしていないように見えること
報道の自由度は72位まで下がっている
それについて当人たちはどのくらい危機意識を持っているのだろうか、、

どの番組も識者と言われる同じ人物が登場する(田崎史郎・伊藤惇夫・青木理など)
彼らの解説は要らないから庶民が自分で判断できるだけの客観的な事実だけを
報道してもらいたい 

田舎のおっさんの不安など単なる愚痴に過ぎないが
それでも、どうしても表に出してみないと収まらない気分になってしまう

何かが違うぞ、、、どこかおかしいぞ、、、
映画E・Tではないが、感じるひとは何かを感じている(きっと)

独断と偏見による思いつき、、、
 

 

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議会改革検討会議 13日目

2017年05月02日 10時11分39秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市の話題

昨日は(5月1日は)ゴールデン・ウィークの中の一日
しかし全部が全部お休みというわけではなく行政も議会も通常通りの営業
ずっと続いている議会改革検討会議も恒例の月曜日に行われた

しかし昨日は失敗をした
少しばかり関心が薄れてきたのもあるが、てっきり午後からだと思いこんでいた
気がついた(お誘いのメールも来たが)のは一時間ほど経過した後、慌てて出かけた
(仕方ない)

今回の内容は白井市議がこまめにアップしてくれるだろうから、
詳しいことはそちらにおまかせして、いつものように思いつくことをツラツラと

今回は5人づつの2チームに別れてワークショップ形式だった
傍聴席に近い机側は、滝川・白井・鈴木真・柴田・村田議員の五名
遠い方は中西・丸山・小野田・長田・鈴木達 
自由に話し合うのは良いが、近くのチームの声は聞こえるが遠い方は部分的にしか聞こえない
しかも聞こえるのはよく通る声の人、、発言している人はかなり限定されている
結局このテーマに真面目に取り組もうとしている人は、、、、(少ない)

時間が過ぎて、各チームの発表という事になったが、整理されたはずなのに
まとまられた話を聞くとどういうわけかリアリティーがない
どこか専門家の絵空事(言葉遊び)のようなイメージ
もちろん部分的に聞こえた話は良い内容はあったが

それで、何故こんなにリアリティーがないのか
を独断と偏見であれこれ想像してみると
まずは話が具体的でない(住民の実生活に直結しない)
具体的というならば直近に行われた議会報告会の検証が十分されるべきだったのではないか
(自分がいない時に話されたのなら良いのだけれど)
住民の声を聞く場所の充実と工夫というテーマで、議会報告会は勉強会にも取り上げられていた
そこで議会報告会は重要な位置づけとされていたのだから、

先月10箇所で行われた議会報告会
一部の会場を除いて出席者は惨憺たるもの
まずは、その状態について議会はどのように感じて、どのようにしようとするのか
それが分からない(結局勉強しただけ?)
また、会場に来られた方は大半が良いお年を召された方、しかも男のかた
若い人や女性は少ない(それで良いのか?)
そして、その会場ででた質問・要望に対する答えはあとで公表することになっているが
それはWEB上ということになっており、あの会場におられた方々の年齢構成を考えると
自分の聞いた質問がどうなっているのかを知ることは、、、多分、出来ない
(だから一年前に聞いた話はどうなっているのか、、、という苦情が出る)

ある議員さんに「議会だより」で議会報告会のやり取りを掲載したら、、と聞くと
議会だよりにはスペースの関係上出来ないだろう、、、との答え
おまけにこのWEB上へのアップも議会報告会があったことすら忘れてしまうような
少しばかり時間が経過した後
これは意見をまとめるということで仕方ないかもしれないが、もう少しなんとか出来ないものか

参加者について、議会報告会の案内が回覧でなくて全戸配布のチラシによる告知であったとしたら
多くの人が集まったか?といえば、直感的には、そんなことはなく、きっと同じような結果に落ち着く
ような気がしないでもない
しかし、現に一鍬田会場は多くの人が来ていた
あの会場に多くの人が来ていて他の地区では少ない、、、その違いは何なのか

その大きな理由のひとつにあげられそうなのが、その地区出身の議員さんの普段の活動ぶり
あるいは秋に向けての対策(組織)の充実ぶり
なんでも選挙に結びつけるのは、あまり良くないかもしれない
でも市政に関心があるかどうかは、地元の議員さんの地元の人への「わかりやすい言葉」での
報告が大きく影響するだろう

ところで、ワークショップで漏れ聞こえた言葉に
「予算決算委員会の時間を増やすように、、、」といった項目があった(勘違いしてるかもしれないが)
これは自分的には記憶に残った
と言うのは前にも取り上げたが、高速バスの廃止等の話は今回の議会報告会でも多くでてきた
だから議員さんは、この扱いについて少なくとも来期は検討はされるべき案件と思われる

しかし、予算が一括審議のかたちで全部ひっくるめて賛否を問われるのは
気に入らない案件があっても他の案件は認められるので仕方ない、、、
と言ったことになっているのが現状
そこで、この予算決算委員会の時間が余裕のあるものになれば、個々の予算の良し悪しについて
充分に話すことができるのではないか、、、と想像した
もっとも、これはシステムを知らない外野が勝手に思ったことで全然ピントが外れているかもしれないが

いずれにせよ、振り返りと言うのは必要で、その中からこそ具体的な方策が出てきそうなのだが
どうも議会はその方法は取らないらしい
(今回の議会報告会の振り返りとそれから導かれるフィードバックは絶好のチャンスなのに)

しかし、現実的なところ文句ばかり言っててもしょうがない
自分たちが選んだのが失敗だったと自虐的になっても仕方ない
今できるのは、議員さんに出来る限り真面目に仕事をしてもらうように声をかけ
期待し、それを見守ること、、
まだまだ10月までは長い、、

 

 

 

 

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その音楽が気持ちにフィットするか、しないか

2017年05月02日 09時57分45秒 | 音楽

これだけ頻繁に来ていると流石のポールマッカートニーについての報道も
2013年の久しぶりの来日ライブの時ほどではなくなっている
伝説のグループ「ビートルズ」の主力メンバーで、ロック界に偉大な足跡と変化を
もたらしたが、どうもこの来日公演に行っている人の年齢構成は
過去を懐かしむという立場の人が多くて、バリバリ現役の若い人に関心があるかどうかは
少し疑問かもしれない
(若者にとってレジェンドとして音楽を聞いても、今のメンタルにフィットした聞き方ができるか) 

自分はクラシック音楽が好きだが、本場ドイツではどんな聴かれ方、好まれ方をしているか
といえばどうやら大勢は日本と変わりないようだ(若い人はロックかヒッポポップ)
クラシックコンサート会場の年齢構成は、いい服を着ているがお歳は召した方が多くて
業界人も将来に対して不安を感じているとか、、

ビートルズもクラシック音楽も、過去の音楽
良いものか知らないけど、現代の気分を感じるには、気持ち的にフィットするには
少しばかり違和感や抵抗が今の人達にはあるのかもしれない

だんだん新しいものを受け付けなくなりつつある自分は
残念ながらこの現代の音楽が苦手だ
(昔は雑食系でなんでも聞いたのに)
ヒッポポップというのかラップというのか分からないが
言葉が多く、繰り返しも多い音楽は、規則的に刻まれるリズムが
若い人には生理的にあってるかもしれないが、、、自分にとってはどうも直ぐに飽きてしまいそう
きっとたくさんの言葉には良いメッセージもあるのだろうけど
言葉以外の要素で楽しもうとすると、、、どうも積極的にはなれない

ということで年齢的にも足し算で、多くのことを経験しようとするより
最近は自分の好きなことに限定して引き算で、お楽しみを絞り込むようにしている
その中で最近とみに愛聴するのがモーツァルト
聞き流しても真面目に聞いても楽しめる
特に真面目に聞くと、楽器間の会話のようなフレースの受け渡しや
完璧と言うしか無いような必要最低限の伴奏  
いつも信じられない、、、という印象が残る

最近購入したばかりのリーリークラウスの演奏するピアノ協奏曲集(20〜27番
ピアノの演奏もさることながら、大家の指揮のもとではないウィーン出身奏者の
自発的な手慣れた音楽の会話は(特に木管の)とても楽しい

こんないいいのに、なんでわからないのかな、、
と思ったりするが、若い人はヒッポホップはこんなに良いのに
なんでおじさんたちはわからないのかな、、、と思うのだろうか

ま、仕方ないか、、、
毒にも薬にもならないどうでもいいお話、、 


 

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ブルックナーと「おんな城主 直虎」(男と女の違い)

2017年05月01日 20時10分39秒 | 徒然なるままに

ただそう思ったというだけの話

ブルックナーの交響曲は絶対に女性に受けない
いや、それどころか理解されないのではないか
といった思い込みがある
最近シモーネ・ヤングの指揮した初稿による全集を聴いて
女性でもしっくりする演奏はあるものだと感じたりはするが
それでも、これは例外なのだ! 
とついつい思ってしまう

話はいきなり飛んで、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」
これは主人公だけでなく、中心となるスタッフが女性となっている
脚本・演出・音楽(作曲) などがそうだ
確か冒頭の植物絡みの映像もそうだったような気がするが、、

最近やっと面白くなってきた感じのするこの大河ドラマ
「女性がつくっているなあ、、」とついつい感じてしまう
どこかは具体的に言えないところが情けないが
ブルックナーが女性に受けないという直感と同じで
何故か男好みのつくりとは根本的に違う気がしてならない

どうも、男の面白いというか関心のある事柄と
女性の細やかな気遣いによるドラマ作りは根本的に違う
井伊直親の嫁さんの「しの」さんの嫉妬とか葛藤は分からないではないけど
男はそういったことにあまり関心はなくて、寿桂尼の計画をどうやって
切り抜けるか、、、の方に関心がある(多分)

去年の大河ドラマ「真田丸」は三谷幸喜の脚本だったが、
名人芸のような慣れた効果的な作り方と実力差がある
と言うよりは男と女の感じ方の差のような気がしてならない

ターゲットを設定するならNHK大河ドラマの視聴者は多分若い女性ではない
イケメンの男性陣を揃えても、争いごとをテーマにすると
女性はそもそもその手のことに関心はなくて積極的に見ようとしないのではないか

小学生に将来なりたい職業を聴くと
男の子は、サッカー選手・パイロット・消防士、、、
女の子は、食べ物屋さん・花屋さん・先生(保育士)
つまりあまり何も考えていない状態では、性差による好みははっきり別れる
このなんとなく根本的に差があるところが、
ドラマにもブルックナーの音楽の好みにも現れるような気がする

思わせぶりも女性のそれと、男のそれとは違う(きっと)
連想する・想像する領域とか方向性が違う

そう言えば週刊誌の広告も男のそれと女のそれとは
センセーショナルなところは同じでも内容が随分違う

しかし、お金を持っているのは(財務省は)女性というところ(家庭)が多いし
怒らせると怖いし、ドラマでは男の好みがどうのこうのいったところで
相手にされないし、男はおとなしくしてる方が、、、、
面倒くさくなくていいかな、、 

 

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