ワールドカップ、強豪国が苦労している初戦
ドイツが負け、アルゼンチン・ブラジルが引き分け
アジア勢がやっとのことでイランに勝ったのは正直ホッとする
そう言えば前大会で優勝したチームの初戦は案外負けているかもしれない
アルゼンチンが優勝した、あのマラドーナの5人抜きのあった大会の次のイタリア大会では
アルゼンチンは初戦のカメルーンに0-1で負けている
南アフリカ大会で優勝したスペインはブラジル大会ではオランダに負けてたし
ブラジル大会優勝のドイツがメキシコに0-1で負けた
別に法則性はないのだろうが、偶然が重なるとなにか意味があるのかとも思いたくなる
本来ならばこのようなワールドカップのことで頭がいっぱいという状態ならば
幸せなんだが、どうも気になって仕方ないことが頭から離れない
それは最近のメディアのこと
相変わらずスキャンダルを追いかけ、低俗なのぞき見趣味を満足させているような報道のことではなくもう少し真面目なこと
本来はもっと批判的に取り上げたり、時間やスペースを費やすべきものが、それがされていないのではないかという不安
もっと右左の連中からは各メディアは偏向しているとの指摘があるが
このように心配なのは、以前読んだ「太平洋戦争と新聞」の中で紹介された新聞の見出しが
大衆迎合的であり、戦争への道を突き進めてしまったのはメデイアと大衆ではないかと思えるからだ
例えばリットン報告書に対する新聞各社の見出しは
東京朝日 「錯覚・曲弁・認識不足---発表された調査団報告書」
大阪朝日 「認識不足と矛盾のみ」
東京日日・大阪毎日 「夢を説く報告書−−誇大妄想も甚し」
読売 「よしのズイから天井覗き」
報知 「非礼ふ匿(ひれいふとく)たる調査報告」
時事新報 「報告性は過去の記録のみ」
このほか「現実無視」などなど
こんなのを見ると、現在問題となっているどこかの国の報道のことを批判したり笑えなくなってしまう
日本だって以前そうだったと、、
そして問題は大衆はこの様な勇ましい記事のトーンを望み、現実に新聞の売上にもそれが寄与したということ
この本には松岡洋右が国際連盟を脱退して日本に帰ってきたときのことが書かれている
帰国すると避難されると思っていた松岡は、国内では大歓迎を受けて面食らった。
「口で非常時といいながら、私をこんなに歓迎するとは、皆の頭がどうかしていやしないか」と帰国した夜郷里の歓迎会の席上、もらした。
連盟脱退の翌日のジュネーブの「ジュルナル・ド・ジュネーブ」の記事は
「日本はこの14年間、連盟の常任理事国として大きな役割を果たしてきた。二人の事務次長・新渡戸稲造氏と杉村陽太郎氏は
多くの人々の支持と尊敬を得ていた。しかし、日本はいま立ち去ろうとしている。、、、日本は世界に孤立し、いったいどのような
見通しを未来に持っているのか。前世紀ならいざしらず、もはや国際社会に孤立して生きることはできない。日本はこのことに気づいていない」
おそらく客観的な世界の見方が後者の記事
どこか浮かれたような、わけのわからないものにつつまれている、、のが前者の日本
そして、日本のこのわけのわからない空気は、いつの間にか反対意見を述べることができない
大きな流れになり、悲劇をもたらすことになった
ネトウヨさんたちの安倍さん礼賛の客観性のない投稿や、右の人たちのおかしな報道(月間HANADA等)は
どうしても、これらを連想させる
そして大衆が感情的な熱狂にいつか巻き込まれてしまうのではないか、、
という不安を小心者は消し去ることができなくて、ちょいとばかりストレスになっている
こんな時、人は、一体何をすれば、、、、、、何をすべきか、、、