パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

戦前のメディアの敗北!

2019年06月07日 18時50分13秒 | あれこれ考えること

夜は寝るものだと決めているせいと、早寝早起きの習慣で夜のテレビはほどんど見ない
見るに値する番組が見当たらないほうが実は大きな理由かもしれない
家族で一緒に見て感想・意見を交わし合うなんてことができる番組は無いように思えて仕方ない

ところで最近目につくのがマスコミ批判の声
この場合のマスコミとはテレビのことだが、ツイッター上ではNHKの偏向ぶりが
そして他局は他愛もない話題を延々と取り上げていることに怒りの声があがっている
確かに安倍さんのタレントさんとの食事とかゴルフの話とか、、、
そんなことがニュースになっているだけで少し違和感を感じざるを得ない

「太平洋戦争と新聞」前坂俊之著を引っ張り出して、パラパラとめくっていたら
こんな文章が目に入った
(戦前の)新聞の敗北は
1.新聞人の勇気の欠如
2.言論に対する抑圧
3.新聞の大衆的転化

軽く読み飛ばしてしまいそうだが、これを現在に置き換えると全て当てはまりそうで
少しばかり恐怖を感じる
記者クラブ仲間による横並びで、勇気のある批判的な記事が書けない状況
国連からも指摘される報道の自由のなさ
どうでもいいことを長々と伝え、パンとサーカス、スキャンダルを地で行っているような有様

過去を知ると、今が過去のある状態と似ているかもしれないと思うようになる
だが、知りすぎると何が何でもそれらに当てはめようとする傾向があるかもしれない
それでも、やはり知らないよりは知っていたほうが良いことは多いと思う

全体主義(運動)状態になってしまうのは、無関心層・大衆の存在が大きい
と説くハンナ・アーレントの大事な著作を読んでいろいろ知っていくと
現在はそれほどのんびりできる状態ではないと思わざるを得ない

少しばかりストレスが溜まるこの頃だ






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奇妙な世論調査の電話

2019年06月05日 08時29分49秒 | あれこれ考えること

昨日電話がかかってきた
最近はズバッと断ることのできない我が家の偉い人に代わって
男の自分が出ることが多くなっている

耳元に聞こえるのは機械で作られた女性の声
また節電とかフレッツ回線の云々の話かと思い一瞬切ろうとしたら
世論センターとの声がする 内閣支持率等の世論調査の協力を願いたいとのこと
世論センター?
新聞社でもなく放送局でもなく、共同通信・時事通信でもない、変なところだな
と思いつつ、最近のメディアの世論調査はあまり信用出来ないので
そもそも世論調査はどのような質問でどのように行われるか確認する意図で
質問に答えることにした

安倍内閣を支持しますか
支持する方は◯番を、しない方は△番を押してください
誘導尋問のような前置きがなくてストレートな質問だな
正直に答えた

次だったかその後だったか忘れてしまったが、急に変な気持ちになった
なぜなら選挙に移った質問は、目前の参議院選挙ではなくて衆議院選挙の候補者についてだったからだ
自分の衆議院の選挙区の自民党・国民民主・共産党の誰に投票するか
候補者の話聞いたことや会話したことがあるか等の質問が続いた
何故、今衆議院の方なんだ、、、参議院じゃないのか、、変だな?
ここで、また少し違和感を煽るようなことが起きた
自民党の候補者に対する質問については機械は正常に作動していた
ところが、国民民主だったか共産党に移り同様な質問に答えると
機械は何の反応もしない、、向こうから切ったわけではないが、その後の質問を
することもなく時間だけが過ぎていく

結局こちらから切ることになったのだが、あれは一体何だったのだろうと気分が悪くなった

現在の新聞・テレビの世論調査は実感とだいぶ違うのであまり信用できないでいるが
昔聞いた話には、自民党は独自に世論調査をすることがあり
その結果はメディアのそれよりも厳し目に出て、なおかつ実態を反映しているもので
その結果を踏まえて自民党は打って出るか控えるかの判断を下すというのがある
今回もそれなのかな
衆参同日選挙に出るべきか避けるべきかの市場調査をしているのかもしれない
と連想してしまった

自分の選挙区の衆議院議員はもうだいぶ前から選挙モードになっている感じ
(最近、地元の公民館で政治報告会があった)
若いから行動力があるとの評価があるが、自分は少しばかり違う印象を持つ
彼の行動はいつもいつも名前を売ることだけを目的としていて
一個人として現在の自民党の姿をどのように見ているかがわからない
失言防止マニュアルでつまらぬことは話さないように、、身内の批判はしないように、、
とあるのかもしれないが、党のことは極力避けている感じ
党の話で出てくるのは小泉進次郎のときだけで、これもどこか人気者との近い関係を
アッピールしてるだけの印象を持つ

しかし世論センターというのは不思議だな
どんな組織なんだろうか
自発的な世論調査ならばどこかで発表されるだろうが、どうもその気配はなさそう
この調査の真の依頼主は誰だったのだろう、、
もしかしたら調査は内閣支持率等の調査とは名ばかりで、自民党に批判的な世帯の把握を
するのが目的かもしれない
それがわかればメディアの無作為(?)とされるデータの抽出に、予め除いておくことができる
そうすれば、世論調査の数字は求める数字を作ることができる

このように勝手に想像できる事自体が、現在の世の中の異常さを現している
(たとえ妄想だとしても)
ほんと、奇妙な世の中になっている、、、と思えてならない

ところで、試しに「世論センター」で検索を入れると、
似たような経験をした人の投稿がいくつかあった
どうも怪しい組織のような臭いが、、、
考え過ぎか、それともそういう時代なのか




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文字情報からいろいろ想像する力をつけたほうが良い(と思うけどな)

2019年06月03日 09時28分59秒 | あれこれ考えること

源氏物語を原文で読むのは難しい
瀬戸内寂聴さんは究極的には原文で読むのが良いとおっしゃっていたが
現実的にはなかなか難しい

平安時代の文章だから難しいのは仕方ないと思う
しかし、これが少し前の明治くらいだったらどうかといえば
夏目漱石や森鴎外の本のページを捲ると、これもたやすく理解できる
とまではいかない

文学だから難しいことが書かれているもしれないと
今度はわかりやすく書かれているはずの戦前の新聞記事を見てみると
これが思いの外難しい

時代背景による共通認識がすっかり変わってきているせいもあるが
それだけではない、文字情報への依存度の低下があるような気がしてならない

人間が得る情報量の大部分が視覚から得ているとされている
最近の情報の共有はインスタグラムを始めとする画像中心
また文章があったとしてもツイッターやラインなどで極めて短文のものが多い

そこではなんとなくわかった気になる
でも本当にわかっているかといえば、、、、

昔、若者だった時代、自分はしなかったが世の男の何割かは
自分が知的な人間と思われることがかっこいいと思い込んで
朝日ジャーナルや「都市の論理」「帝国主義論」少し時代をおいて「薔薇の名前」
などを他人に見えるようにしていた時があった(果たしてその何人がこれらを読んだか?)

それと比べて現在受けが良いのは、有名な店に行ってそこで写真を撮って、それをSNSのアップして
人の知らない少しばかり品のない情報を知っ高ぶりで披露して
時に断定的に個人攻撃をして共感を得て、、、、
でもこれらは個人の判断というよりは結局何かに振り回されているに過ぎない(と感じてしまう)

時代が変わったといえばそれまでだが、このような簡単にわかった気になる最近の風潮には少し不安を感じる
文字だけの情報から自らの頭で想像するという行為
ある風景、その心情、そこに込められた真の意味、理解には経験を要する事柄
そういうものを内的体験として感じて、想像の世界は現実に劣らずとても豊かな世界が存在すると実感すること
そういった体験がないとしたら、そして世界の多くのエリートはむしろそのような世界を重要視しているとしたら、、
この国の若者は置いてけぼりにされてしまいいそうな気がしてしまう

つまりは古典を読んだほうが現実的に得だ(利益がある)ということ
役に立つか立たないかは、もう少し時間がかかってからじんわりと結果として現れてくる(だろう)
最近の書籍の販売が伸び悩んでいるというニュースを聞く度に
本好きとして豊かな世界の存在を実感している身としては不安を感じる毎日だ




 

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豊橋交響楽団定期演奏会 〜豊響 マーラーに挑む〜

2019年06月02日 18時14分38秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

ゆっくり出かける予定だったが、なんとなく気が急いて早く会場に着いた
豊橋交響楽団の定期演奏会

パンフレットにあるように今回はマーラーに挑戦
プログラムは

なかなか意欲的だし、いわゆる名曲も入ってサービス精神に富んだものだ
これを1500円で楽しめるというのだから、節約家(ケチ)にはとてもありがたい
入場時にもらったパンフレットには8月にまた魅力的なプログラムのコンサート(ショスタコーヴィチの5番など)が
これまた破格の価格であるようで、これも見逃す手はない

敢えて予習していかなかったコンサート
音楽を聴いていて部分部分でいろんな連想が浮かぶが、それこそが音楽を聴く楽しみかもしれない
ということで、気がついたことなど思いつくままに

音色はチューニングの時点でおおよそ想像がついたし、その想像を越えるものではなかった
チューニングの音で今でも覚えているのはパリ管弦楽団だ
これは今具体的にどう違ったのかは説明できないが、なにか違う、、とその時強く感じたことだけは覚えている

今日の感想はメインのマーラーの一番で
冒頭、みんなが聞き耳を立てている中、管楽器は音程が安定しにくいので奏者の緊張感は如何ばかりだったろう
のってくると勢いでなんとかなるだろうが、大変だな、、とちょいと可哀想に思えた

数ヶ月前にこの一番「巨人」は名古屋で京都市交響楽団で聴いているので多少耳が慣れて
前回よりは細かい部分まで聴き込めたかもしれない
(音色は京都のほうがだいぶ上級な感じ)

第一楽章に「さすらう若人の歌」の第二曲のメロディが出てくる
不意にフルトヴェングラーの指揮したフィッシャー・ディスカウの歌う演奏を思い出した
フルトヴェングラーとマーラーは意外な組み合わせだが、この曲は以後の曲のような急激な気分の変化はなく
青春の一時期の音楽として、処女作の初々しさもあって、フルトヴェングラーの深々としたオーケストラの伴奏が絶妙で
何度も聴くのがもったいないような演奏だ
「巨人」の復習はしなくても、「さすらう若人の歌」は久しぶりに聴いてみようなとの気になった

一楽章が終わる頃、二楽章はどんな曲だったかな、、と思い出そうとしたが
何故か頭に浮かんだのはショスタコーヴィッチの5番の二楽章
焦って思い出そうとするが、ダメなときはダメで結局は思い出せずに始まるのを待った

第三楽章は「コガネムシ」の歌とよく似たメロディが奏でられる印象的な曲
この楽章も「さすらう若人の歌」のメロディが聴ける
トリオが終わって再びあの「コガネムシ」のテーマが奏でられた時、その音程は最初とは違っていたが
伴奏が不意に楽器の音ではなく人の声(男声)による合唱のように聞こえた
そしてそれはすごく効果的だった

効果的だと感じたのは第4楽章のクライマックス
大いに盛り上がってみんなでフォルテシモで絶叫するところ、そこで出てきたティンパニーの音が何と効果的なこと
前回はこの部分が気になるということはなかったが、ティンパニー奏者はやりがいのあるところかもしれない

長い交響曲としてセットで扱われるマーラーとブルックナー
自分はブルックナーのほうが好きで、最近はマーラーの音楽はこうしたナマを除いて殆ど聴かない
でもこの一番はこうして聴いてみると若い一時期しか書けない疾風怒濤のような趣のある曲で悪くない
この音楽は演奏会の現場を知っている、いい意味で演奏効果を知っている人が作った曲だと感じる
(マーラーは指揮者だったので、演奏効果の何かを知っている)
賢いマーラーが作った一番はこうだが、どんくさいブルックナーの一番は響きが交わるという文字通りの
交響曲で、復習はブルックナーの一番を聴いてみようか  とも思ったりした

ナマは熱気が一番
そしてそれを楽しまなきゃ損
批判的に聴くより楽しんで聴こうとするほうがずっと得だ
この日、アンコールがサービス精神に溢れた選曲だった
マーラーが一番の交響曲の中から自ら削除した楽章の「花の章」が演奏された
解説書では読むことがあっても聴くことはなかったので、これはありがたかった
第一感、7番の「夜の歌」の中間の楽章みたいだな、、、そんな気がした

ということで、ひさしぶりに充実した日曜日の過ごし方となった

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重なるときは重なるものだ

2019年06月02日 08時57分17秒 | 音楽

今日はライフポートとよはしで豊橋交響楽団の定期公演ある
知り合いからSNSで教えてもらったが(中日新聞にも記事に載っていた)
そのプログラムがなんとも意欲的
メインになんとマーラーの一番の交響曲を据えている
(前半はオッフェンバッハの天国と地獄 とメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲)

先日のフロイデンホールの地元出身の方のバイオリンのリサイタルは
大好きなフランクのバイオリンソナタがプログラムにあったが
申込みが遅すぎてチケットは手に入らず悔しい思いをした

今回はウエブで予約した(一週間前)
ありがたいのは値段が庶民価格なこと
もしかしたら有名どころのオーケストラと比べてがっかりするようなことがあるかもしれない
でも地方の音楽集団の良いところは、何しろ一生懸命にやっていること(新城吹奏楽団などはそう感じる)
その熱気が感じられれば、その時間が損した事にならないだろう

プログラムのマーラーの一番はつい最近聴いたばかり(京都市交響楽団の名古屋での定期演奏会)
それまでナマで一度も聴いたことがなかったのに、これだけ短い期間に聴くことになるとは、、、
重なるときは重なるものだ
重ねるといえば今年の秋はウィーンフィルとベルリン・フィルが名古屋にやってきて
プログラムは同じブルックナーの8番の交響曲と重なっている
この曲は大好きな曲で、レコード、CDもたくさん所有しているし、交響曲のなかでは一番きいているかもしれない
(思い出すのはヴァントの指揮した北ドイツ放送交響楽団での演奏会で、あの4楽章のコーダの部分のものすごかったこと
 それは今でも思い出せて、レコード・CDの他の演奏ともついその部分を比較してしまう)
今回ウィーンフィルの指揮がティーレマン、ベルリン・フィルががメータで同じ曲を聴き比べるのには最高の機会なのだが
チケットの価格が高すぎて、それでも仕方ないと自分を納得させるのに苦労しそうだ
(とりあえず販売されているウィーンフィルの方は購入することにした)

最近は復習はするが予習はしないでコンサートに行くようになっている
なまじっか変な知識や記憶があるとその場を楽しめない
瞬間瞬間に感じること、それを楽しまなきゃ損だ

というわけで、ちょいと楽しみな今日のコンサート
果たして帰った後、復習してみようという気分になれるか、、、

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