北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

久居駐屯地創設55周年記念行事 駐屯地祭訓練展示(災害派遣)

2007-07-21 11:59:52 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■大規模地震を想定

 久居駐屯地祭における訓練展示は、大規模地震に伴う災害派遣を想定して実施された。駐屯地祭の前の週に、三重県を震度5強の地震が襲ったこともあり、現実感ある展示であった。

Img_9422  訓練展示は従来、模擬戦が多く行われるが、災害派遣展示も少なからず行われる。戦車や特科火砲による空包射撃は行われないが、航空機や所在部隊を中心として展開される災害派遣展示も、特に地元自治体には大きな関心を集めるものではないだろうか。

Img_9415  状況展示にリアリティを与えるべく、仮設家屋を搭載した73式大型トラックが会場にて準備を終える。この模擬家屋搭載トラックは全部で二台ほどあり、観閲台からはトラックの部分は見えないように配置されている。模擬家屋の上部屋根を荷台に立つ隊員が支えている。

Img_9418  スピーカーから地響きを模した轟音が流れ、いよいよ状況開始。強烈な地震により仮設家屋の屋根が煙と共に崩れ落ちる。実際には耐震補強を施していない家屋は、そのまま横に押しつぶされる場合もあり、迅速な救助が被災者の命を繋ぐ為の鍵となる。

Img_9439  災害派遣要請とともに、被災地へ進出した本部管理中隊情報小隊のオートバイ斥候。倒壊建築物による瓦礫で車輌通行が困難な場合でもオートバイ斥候であれば情報収集や連絡任務に対応できる。また観閲行進に登場した資材運搬車も3㌧の資材を搭載して20km/hで移動することが可能だ。

Img_9442  情報小隊による情報収集は続けられる。

 地震により道路が崩落し、大破した乗用車内に要救助者を発見。一刻を争う状況であるが乗用車の破損は著しく、エンジンカッターなどの特殊工具がなければ救助できないという状態である。

Img_9458  情報小隊からの情報に基づき、師団長はヘリコプターの増援を決定、明野駐屯地に駐屯する第十飛行隊へ、第33普通科連隊の隊員を乗せ被災地へ急行した。道路状況に関係なく展開することが可能であり、このUH-1Jは赤外線暗視装置(FLIR)を操縦席下に搭載しているため、運用の柔軟性が向上している。

Img_9454  降下用意、降下ッ!。四名の隊員がロープとともに一斉にヘリから降下する。

 このロープを用いたラペリングは、航空機からの急速展開以外にも、市街地における戦闘などでは建築物の上部から進入する場合にも応用できる。

Img_9469  情報小隊やヘリコプターからの情報に基づき、災害派遣部隊の本隊が到着した。先頭をゆくのは軽装甲機動車。瓦礫が産卵する状況下、落下物の危険や火災現場の近傍まで進出するには、装甲車も必要とされる場合もあるかもしれない。

Img_9471  続々と到着する高機動車。全長4.9㍍、全幅2.2㍍と大型の車両であるが、四輪転舵方式を採用したことで旋回半径は6㍍、150馬力ターボディーゼルは良好な加速性能を有し、余裕のある大型の車体は様々な用途に用いられている。

Img_9483_2  救急車も到着しその背後ではテントの設営も開始されている。ただ、この救急車、野戦運用には車高が高すぎるような気がする為、そろそろ高機動車派生型を開発し併用してはどうか、と思ったりもする。そちらのほうが重心が低く不整地突破能力も高そうだし、73式中型トラックを用いた現行型は高規格救急車仕様に改造して運用すればいい。

Img_9409_1  特殊工具の使用展示。阪神大震災の教訓から災害出動に対応する装備として人命救助システムと呼ばれるコンテナ式のものがあり、個人用、分隊用、小隊用、中隊用の器材と救護所用救命セットより成るものがある。ジャッキ、エンジンカッター、エンジン式削岩機、手動ウインチ、背負い式消火ポンプ、ガス検知器、音響探知機、破壊構造物探知機などからなる。

Img_9491  想定倒壊家屋より負傷者を救出。迅速に応急処置を施し、必要であれば後方の医療施設へ搬送する。

 ちなみに東海・東南海・南海地震では、中部方面隊の第十師団・第三師団・第十四旅団と、東部方面隊第一師団管区に被害が及ぶ可能性が示唆されている。

Img_9399  エンジンカッターにより鉄パイプの切断を展示。こうした装備品は、消防などでも有しているが、炊事や天幕などにより自己完結能力を有し、また師団施設大隊により架橋装備をもってすれば、橋梁が破壊された状況でも展開が可能である。

Img_9496  野外炊具一号と3㌧半水タンク車が派遣部隊と合流する。野外炊具1号は、六個の還流式炊飯器と万能調理器からなり、200名分の炊事を45分以内に実施可能だ。また、水タンク車は5000?の水を有している。この他、毎分150~180?を濾過浄水する浄水セットなどがある。

Img_9517  報道写真のようなこの一枚は、空中搬送の様子。救助した負傷者の中に重傷者がおり、その搬送に一刻を要する状況に、空中搬送を決意した。UH-1Jへ、機体が引き起こす猛烈なダウンウォッシュを避け、機体に駆け寄る隊員。オレンジ色のストレッチャーは、折畳んで丸めることの出来る軽量なものだ。

Img_9537  救護所天幕も設営された。陸上自衛隊には様々な種類の天幕がある。ただ、もし九月など台風の時期と震災が重なることがあれば、大丈夫かな、と思ったりもしたが、おそらくトラックなどの大型車輌を風除けにすればなんとかなるのかな?とも。ちなみにカナダ製の伸縮式防災用天幕で、風速20㍍にまで対応できるものも開発されているそうだ。

Img_9531  情報が入り、次の被災地へ展開するという想定で、状況終了となった。

 普通科連隊には1200名という強力なマンパワーがあり、即応性を以て対応することが可能であるが、他方で限界もある。というのも各中隊が複数の市町村に派遣されるということだ。だが、師団の支援とともに特殊な器材などを有し、消防や自治体と補完し合えば、多くの人命を危険から救うことが可能だ。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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久居駐屯地創設55周年記念行事 駐屯地祭保安中隊訓練展示

2007-07-20 13:49:27 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■第304保安中隊

 駐屯地創設55周年という節目の年にあたり、2007年の久居駐屯地祭では、中部方面隊直轄の第304保安中隊が伊丹駐屯地より展開し、ライフルドリルを展示した。

Img_9342  方面総監直轄の警務科部隊である保安中隊は、司法警察業務や保安職務に当たるほか、方面隊を訪れる高官に対して儀仗及び栄誉礼を行う任務を有する。ちなみに栄誉礼を受けることが出来る栄誉礼受礼資格者は、自衛隊法施行規則により定められている。

Img_9365  保安中隊は、中隊本部と三個小隊より成り、特別儀仗の場合は一個中隊を以て執り行い、その他の場合は一個小隊、もしくは二個分隊により執り行う。選考基準は厳しく、身長は175~180cm、体重は60~70kg、裸眼視力0.3以上で体力検定3級以上、貧血症癲癇症でなく、非行歴の無い勤務成績が良好で骨格良好且つ容姿端麗な隊員が選抜される。

Img_9349  師団や旅団行事などでも臨時に儀仗隊が編成されるが、基本動作などでは保安中隊の方が厳しい訓練をこなしている。基本教練には特に重点が置かれ、ある本によれば「どんなに暑くとも汗をかくな」「1ミリ前へ」という厳しい命令が出されるとのこと。

Img_9350_2  保安中隊が使用するM1小銃。米軍において1929年から1957年まで制式小銃として採用され、450万丁が生産、警察予備隊でもM-1騎銃に続き供与されたもので全長1106㍉、重量4.8kg、クリップ式8連発半自動小銃である。これを軽々と取り回すことが出来る体力と練度が保安中隊の隊員には最低限求められる。

Img_9368  着用する特別礼装は、袖章の入った上着、縦線の入れられたズボン、左肩の金モールから成っている。特に身だしなみへの気遣いは大変なものであり、散髪費用などは私費で常に国賓来賓に恥ずかしくないよう心がけているとのことだ。

Img_9373  第33普通科連隊の喇叭演奏が同時に行われる。吹奏楽には肺活量が不可欠であり、肺活量の充実には体力練成が第一である為、実は喇叭教育は大変厳しいものだとのこと。突撃や食事、起床就寝の他、毒ガス攻撃の警報なども楽譜にあるという。

Img_9369  動画ではないと中々伝えられないほどの見事なライフルドリル、喇叭演奏訓練展示へ有終の美を飾るのは、日章旗である。周りでは保安中隊の隊員が捧げ銃の姿勢をとっている。

 こうして駐屯地祭は、部隊による訓練展示である、災害派遣展示へと進んでいく。

HARUNA

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久居駐屯地創設55周年記念行事 駐屯地祭車輌観閲行進編

2007-07-19 22:50:07 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■普通科連隊の車輌部隊

 久居駐屯地祭は、徒歩部隊による観閲行進()に引き続き、車輌部隊による観閲行進へと移行した。第十師団の師団改編に伴い、対戦車能力などを向上させた普通科連隊の観閲行進をご覧いただきたい。

Img_9269  第四中隊の軽装甲機動車。乗車状態での木目細かな近接戦闘に対応する、空車重量4.5㌧の四輪式小型装甲車である。イラク復興人道派遣任務において活動する陸上自衛隊に関する報道に多く姿を見せたものが一般的な印象ではないかとおもう。

Img_9279  重迫撃砲中隊の120㍉重迫撃砲RTと、重迫牽引車。牽引車の原型である高機動車は、73式中型トラックの後継として設計されたもので、様々な用途に対応する収容力の高さ、そして野戦車輌としての運用に支障をきたさない堅牢な構造により、広範に使用されている。

Img_9152  120㍉重迫撃砲RTは、従来の107㍉重迫撃砲M2の射程4000㍍と比して野砲並の射程を有しており、通常砲弾で8100㍍、RAP弾で最大13000㍍まで伸びる。ただし、車輪により迅速な展開能力を有するが、重量が600kgもあるため、不整地での人力牽引には限界があるという。

Img_9283  対戦車中隊の79式対舟艇対戦車誘導弾。1966年より開発が開始され、1979年より部隊配備が開始された装備で、ミサイル本体は直径152㍉、全長1.56㍍、本体重量は33kgである。赤外線半自動有線誘導方式であり、米軍やNATO軍の標準的対戦車ミサイルであるTOWと類似点がある。ただ、79式の方が本体が大きい為威力は大きい。

Img_9288  発射筒に搭載された状態で42kg、三脚式発射筒、照準架、照準器、送信機より構成され、トレーラを搭載した73式小型トラック2輌により編成されるとのことで、飛翔速度は毎秒200㍍、装甲貫徹力は450㍉といわれる。ところで、この旧式の73式の搭載量は340kgであるが、600kgの搭載能力を有する新型に更新が進んでいる。

Img_9296  資材運搬車、小型ドーザーを搭載した73式大型トラック。普通科連隊は、有事の際には師団より戦車中隊、特科大隊、施設中隊などの火力部隊や後方支援部隊の増援を受け、2000名程度の連隊戦闘団を編成するが、連隊の本部管理中隊も部隊としての野戦築城を行う上で必要な装備を有している。

Img_9155  化学戦に対応する除染車。中和剤を散布し、路上や車輌に付着した化学剤を無毒化する装備。化学防護隊の運用する除染車よりもやや小型の車輌であるが、特に糜爛系化学剤などで汚染された車輌などが走り回ると二次被害を誘発する為、自隊防護の為のこの種の装備は重要である。

Img_9156  発煙車と救急車。発煙車というとマイナーな装備のように思われるが、米軍もハンヴィー野戦車に発煙器を搭載したものを運用している。部隊の活動を煙幕により欺瞞すると共に、場合によっては対戦車ミサイルの誘導妨害に使用することも可能である。後方は衛生小隊の救急車。

Img_9158_1  豊川駐屯地の第十特科連隊より式典に参加したFH-70榴弾砲。砲弾や火器統制装置などが近代化されている。北部方面隊を除く師団・旅団特科火力の中枢を担う装備で、長い射程を活かし全般火力支援や対砲兵戦闘を担う。その背景には観閲行進を終え、モータープールへ戻る対戦車中隊の車輌群がみえる。

Img_9308  今津駐屯地より参加した第十戦車大隊の74式戦車。第十戦車大隊は四個戦車中隊より成り、中部方面隊には第十師団の他、第三戦車大隊、第13戦車中隊、第14戦車中隊が編成されているが、中部方面隊の半数の機甲戦力を有する強力な戦車大隊である。普通科連隊の対戦車中隊と併せ、第十師団は対戦車能力や従来型任務に対しても高い能力を有している。

Img_9314_1  明野駐屯地より飛来した祝賀飛行部隊。明野駐屯地は、久居駐屯地と同じ三重県にあり、第十飛行隊の他、航空学校本校が置かれている。年頭飛行では40機前後の大編隊により伊勢神宮を空中参拝するということで知られる。

Img_9317  観測ヘリコプターOH-1。航空学校の装備である。対戦車ヘリコプター隊へ配備が進められているが、中部方面隊管区では、伊丹駐屯地祭での訓練展示など、かなり前から常連の機体である。この祝賀飛行を以て観閲行進は終了し、訓練展示準備へと状況は進む。

HARUNA

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京都祇園祭神幸祭 八坂神社から四条寺町へ神輿がゆく

2007-07-18 17:18:59 | 写真

■神幸祭

 山鉾巡行が終わり、夕刻、八坂神社から素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀った八坂神社より、三基の神輿が担がれ、四条寺町へ向かい行列が進む。今回は、昨夜撮影した神幸祭の様子を掲載したい。

Img_5310  疫病祓いを期した祇園祭にあって、この神幸祭は、八坂神社から四条寺町の御旅所に七日七夜御留まりすることで、ご利益があるとされる。17日の夕刻に出発した神輿は、24日の還幸祭において、同じように八坂神社へ戻るという祭事である。

Img_5284_1  八坂神社の周辺には交通規制が引かれる。観覧者は約15000名程で、交通規制は歩行者用ではなく祭事の列に対して行われるものであるから、歩道付近はかなり混雑する。ちなみに2㌧もの重量がある神輿には、一基500名、三基で1500名の男衆が力を合わせる。

Img_5290_1  神輿は中御座、東御座、西御座の三基で、東大路通の八坂神社石段下に集った後、四時間程度をかけて氏子区域を練り歩くとのことだ。24日の還幸祭では、2130時頃に八坂神社へ到達する調整の下、祭りが行われる。後ろの改装中の建物は八坂神社の入り口にあたる。

Img_5298_1  祇園祭としてクローズアップされる山鉾巡行は、1970年代から観光に主眼を置いたものに変容していったとされるが、そもそもの祇園町を山鉾は通らない為、八坂神社の神事として発達した祇園祭では、こちらの方が原点に近いのではないかという声もある。

Img_5311_1  東大路通の様子。中央に見える神輿の先に通りがあり、そこから法観寺や高台寺、清水寺へ行くことができる。時間が時間だけに人も多く、祇園祭ということで、名物の鱧寿司でも食べつつ、という希望は叶わなかったが、祇園町の祇園祭を満喫することは出来た。

HARUNA

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京都祇園祭 三十二の山鉾が四条・河原町・御池を巡行

2007-07-17 17:36:33 | 写真

■本日山鉾巡行

 京都祇園祭特集、本日は山鉾巡行である。最も高い山鉾は高さ26㍍の月鉾とのことで、50名以上が乗った鉾から奏でられる祇園囃子とともに、32基の山鉾が京都市中心部を巡行する。本日の記事は、その速報である。

Img_5117  四条烏丸へ山鉾が0900時、集合しいよいよ山鉾が動き出す。長刀鉾以外の山鉾は、それぞれ町内の神仏を祀ったもので、重量は最大のもので12㌧、曳き手や解体には延約180名を必要とする。それぞれの住民が誇りをかけて巡行に臨む。

Img_5141  鉾頭を頂点に掲げた鉾や曳山は、あたかも艦艇のマストを想わせるものがあり、実は小生、この中でも船鉾のファンである。流石に25㍍前後の高さを有する鉾について、その通路には電線は無いが、山については電線のある地域も通る為、電線をどかす器具をもった人が乗っている。

Img_5152_1  山鉾巡行の際には市営バスを含む道路に大規模な交通規制が引かれる他、その進路上は歩行者でも混雑した際には、危険を避ける為交通規制が引かれる。小生は移動に阪急地下道、阪急線、京都市営地下鉄などを利用したが、思ったほどの混雑は無かった。

Img_5217  上の写真三枚は四条通で撮影したものであるが、この写真は御池通で撮影したもの。ここで山鉾巡行は終わり、各町へ戻り、来年の祇園祭まで山鉾は解体される。しかし、祇園祭は終わりではない。本日は、まもなく神幸祭が行われ、24日の還幸祭、花傘巡行、31日の疫神社祭と、祇園祭は続く。

HARUNA

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京都祇園祭宵山 都路の夕を彩る参拾弐基の山鉾

2007-07-16 23:49:22 | 写真

■本日宵山

 気象庁火山部によれば2325時、京都府沖の北緯36.8°。東経135.2°においてマグニチュード6.6の深発性地震が発生、北海道などで震度4を確認したという。震度六強を記録した1013時の新潟中越沖地震とは別の地震のようである。

Img_5041_1  本日は、祇園祭宵山であるが、その前に、先週の九州南部豪雨、先週末の台風四号災害、そして今日の新潟中越沖地震と、災害に見舞われた列島である。この場を借りて被災者の方々に心からのお見舞いを申し上げたい。

Img_4975 宵山は、山鉾巡行の前日に行われる祭事で、提灯が灯され、山鉾からは祇園囃子が奏でられる。そもそも、宵山は山鉾巡行の前日だけであったのが、近年では観光客の増加に対応し、分散させる目的で宵宵宵山、宵宵山、宵山と三日間を開催日としている。

Img_4968_1  宵山での交通規制は京都府警と自治体の協同で例年通り行われ、開始から十五分後、1815時の時点で京都府警の統計では九万人の観光客が観覧に訪れていたとのことである。台風四号の被害の危惧は杞憂に終わり、台風一過の祭事を浴衣姿の観光客が賑わせた。

Img_5069_1   京都新聞()の報道によれば、最終的に観覧者の数は35万人(京都府警発表)に達したとのことであり、並ぶ山鉾とともに京都の夏を楽しんでいた。直前の降雨により気温も下がり、四年ぶりに真夏日でない宵山を迎えたとのことだが、行ってみると観覧者の熱気が凄かったように思う。

Img_5093_1_1  明日の山鉾巡行は、0900時から開始され、四条烏丸に山鉾が集合、四条通を四条河原町へ向かい展開、河原町通を市役所へ、そして河原町御池から新町通へ至る。クライマックスと評される山鉾巡行であるが、その後も31日まで、祇園祭は続く。

HARUNA

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京都祇園祭 組建すすむ四条通の長刀鉾 7月11日撮影

2007-07-15 22:13:13 | 写真

■長刀鉾の組建第二日

 十日に展開し、鉾の組建初日ということもあり、形も出来ていなかった。しかも豪雨に見舞われ、何を撮っているかも判らないほどの飛沫。そして小生は、翌日に再度展開を決定した。

Img_4835  メアリー・カルドーの“新戦争論”を調達するべく、ジュンク堂書店に向かった。四条河原町界隈には二軒のジュンク堂があり、もしここに無ければそのまま阪急河原町か阪急烏丸駅から大阪梅田へ展開することが可能である。一軒目に同じく探していたオタワプロセスに関する書籍を発見、購入した。

Img_4853  “新戦争論”は在庫が無かったので続いてジュンク堂京都本店に向かい、幸い在庫があった為早速購入。所要の書籍を購入したことで、大阪へ行く必要がなくなり、そのまま徒歩で長刀鉾の撮影へと向かう。前日と比してどの程度組みあがっているか、楽しみである。

Img_4842  ほぼ外観と骨組みは組みあがっていたという状況である。なるほど一日でここまで組むことが出来るのかというのが正直驚きであった。ちなみに、この記事を書いている本日は宵宵山であり、明日が宵山。そして火曜日が山鉾巡行である。

Img_4845  長刀鉾を見るたびに思うのだが、四条通に比較的高いビルが建てられた時期を浅学にして知らないものの、それ以前は24㍍の高さは文字通り天を突く高さであっただろう。今日では周囲のビルに高さを譲っているが、まあ、頂点の長刀に落雷が落ちて破損、ということにはならなくなったろうし、これはこれでいいのかな、と。

Img_4849  長刀鉾の大きさが判る一枚である。

 祇園祭の山鉾は、四条通と烏丸通の十字を中心に並べられているが、烏丸通の西側に多くの山鉾が集まっており、昨年、32基の山鉾全てを見て回ろうと試みたが、回りきれなかった。

Img_4850  本日の宵宵山の個人的には展開したかったのだが、撮影用機材に関する所用があり、そうこうしている内に行くことができなかった。明日の宵山には展開を予定しているが、ううむ、よく考えれば三連休末日、しかも台風一過であるので人出も多そうだ。

Img_4840  実に32基もの巨大な山鉾が人力で曳かれて山鉾巡行は火曜日。小生も時間はあまり無いが是非とも展開したいものだ。四条河原町での方向転換の様子が、祇園祭のハイライトとして知られている。ただ、人出も多いので御池通、特に烏丸御池あたりの方が歩道も広く観覧は容易かな、と考えたりする。

HARUNA

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京都祇園祭 四条通長刀鉾組立開始七月十日撮影

2007-07-14 18:04:11 | 写真

■本日より祇園祭宵山

 あいにくの天候、南方よりいよいよ台風四号が近付く中ではあるが、日程では本日より宵山の第一日目にあたる宵宵宵山である。そこで本日は、七月十日に撮影した長刀鉾組立の様子を掲載したい。

Img_4810  映画を観る目的で小生一行は三条河原町にて降車、新京極通を撮影。

 並行する寺町通とともに、京都観光で挙げられるメインストリートの一つである。同時に、映画館も数年前と比して減ってしまったが幾つか並んでいる。

Img_4806  京都朝日会館。ここも小さな映画館があり、マイナーな映画が上映していた。ここではチェコの第二次大戦時を描いた戦争映画“ダークブルー”を観た。

 スピットファイアが飛び回る作品であるが人間ドラマの部分と上手く調和した秀作である。

Img_4825  2020時の回まで時間もあった為、夕食を食べ、一行は四条へ向かう。四条を西へ進む。

 あいにくの豪雨であったが、カバーが被せられており、動く美術館と称される山鉾も組立の様子を見ることは出来ない。

Img_4815  京都新聞()によれば、台風四号の京都接近に伴い、祇園祭山鉾連合会は台風四号対策本部を設置、提灯を外し、警備員の数を増やすなどの対策に追われているとのことである。特に駒型提灯の取り外しや、鉾建の開始日程を明日にするなどの対応を行っている。

Img_4818  高さが実に20㍍以上に達する長刀鉾組立の為、アーケードも一部が撤去されている。ちなみに、台風対策関連では、突風での転倒や破損を防止する観点から、固定の強化、懸装品の一部取り外しやテント撤収などが行われているとのことである。

Img_4822  赤い提灯が祭事を思わせる様子。交通量の多い写真の四条通も宵山の時間帯は自動車全面通行止めとなる。

 京都府警()によれば現段階では宵宵宵山に伴う交通規制の情報が出ており、祇園祭は決行されるようである。

Img_4830  映画ダイハード4.0を観終わり、帰路に撮影した情景。新京極は2200時になれば大半の店が閉まってしまうが、提灯だけは光が灯されている。さてさて、テントが撤去、提灯も外されていては本日の宵宵宵山は見栄えのないものとなってしまうかもしれないが、宵山と山鉾巡行の日には快晴を期待したい。

HARUNA

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西日本旅客鉄道 京都から山陰・紀州・北陸を結ぶ特急網

2007-07-13 17:25:40 | コラム

■JR京都駅夜間撮影

 485系特急“雷鳥”とともに、281系特急“はるか”、HOT7000形特急“スーパーはくと”、KTR8000形特急“タンゴディスカバリー”、381系特急“くろしお”の写真を撮影したので、本日はその特集記事を掲載したい。

Img_4880_1  特急“はるか”、関西国際空港行き。当日はJR阪和線安全確認停車の影響で6分遅れの運行を行っていた。しかし、その翌日には自動車事故に起因する列車脱線事故が阪和線で起こっており、何が起きるか判らないという端的な事例と思った次第だ。

Img_4870  281系特急電車。1994年の関西国際空港開港から空港特急として、南海電鉄の特急ラピートと競っている。空港行きの場合は空港特急、京都方面行きの場合は特急として区別され、通勤にも利便性を高めるべく、一部は米原や草津を始発駅としている。

Img_4884  京都駅到着から数分後。到着時点で発車予定時刻を過ぎていたこともあり、急ぎ発車していった。辛うじて流し撮りに成功、関西空港行きというLEDの表示が確認できる。

Img_4889  HOT7000形特急電車“スーパーはくと”が発車した“はるか”と同じホームに滑り込んできた。京都駅と鳥取駅、倉吉駅を結ぶ特急電車で、第三セクターの智頭急行の車輌で、乗り入れているJR西日本が車輌管理などを行っている。スピードを感じさせる流線型の車体が特徴である。

Img_4891  気動車であるが、中国地方山間部を走破する路線から、速度を確保する為に制御式振り子式制御装置が搭載されている。1994年から運行開始されているが、数年内に車内のリニューアルが計画されているとのこと。

Img_4896  京都駅の磨き上げられた壁面に列車を写す。夜間撮影ならではという印象だが、あたかも二編成が停車しているように見える。写真を確認していて気づいたが夜間運転でも運転席後部に遮光幕を下ろさないのは珍しいように思う。

Img_4872  京都駅31番線に停車する特急“タンゴディスカバリー号”東舞鶴行き。北近畿タンゴ鉄道が運行する特急電車で、京都駅より山陰線を経て敦賀線の東舞鶴駅とを結ぶ特急電車である。写真は車内清掃が終了し、乗車を開始した様子。

Img_3252_2  KTR-8000形気動車が二本連結されている。一部の区画に赤字路線に数えられる山陰線では、快速電車の本数など利便性で限界があり、特急料金は必要であるが特急電車の運行は貴重な存在である。運転席後方の大きな窓はラウンジ部分で、長い旅路に気分転換をするうえで最適だ。

Img_4887_1  隣に停車していた福知山行き快速が発車したあとのホーム。快速も113系であったが、向こう側には国鉄113系電車が見える。

 丸みのあるKTR-8000形とくらべ、なんとも無骨なデザインの113系との対比が面白い。

Img_4906  終点京都駅に到着した特急“くろしお”。この写真から撮影位置を、中央口改札に入ってすぐの0番ホームに変更。終着であるので行き先表示板を回送としている。“くろしお”は、京都駅から新大阪駅、和歌山駅を経て白浜駅、そして紀伊半島南端の串本駅から和歌山県三重県の境界に位置する新宮駅を結ぶ、長距離特急である。

Img_4909  “くろしお”に用いられる国鉄381系電車は、日本最初の振り子制御方式の車輌である。試験走行では湖西線において在来線最速となる179km/hを発揮したことがあり、紀伊半島の勾配の多い区間を高速走行するのに適しているとのこと。

Img_4916  381系の先頭車を運転台換装などの改造を施して運行されている“パノラマ形車輌”。名鉄7000形のような前面展望車とはいかないが、眺望を改善している。特筆する点として、乗り心地の良いという理由から近年多く用いられる制御式自然振り子制御ではなく、自然振り子制御である点が挙げられる。

Img_4921  特急“雷鳥”金沢行きの到着。ライトが眩しい。485系特急電車の、今日では貴重な旧国鉄塗装車輌。本特急に関しては昨日の記事を参照いただければ幸いだ。

Img_4613  今回撮影した京都駅では、中央改札などいたるところに、祇園祭の季節をつげる提灯が飾られている。いよいよ明日から宵山の一日目である宵宵宵山。大型で勢力の強い台風四号の動向が気になるが、恐らく宵山の時期には何とかなるのでは、と思う。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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特急雷鳥 旧国鉄の血統ラストスパート485系特急電車

2007-07-12 22:47:37 | コラム

■特急雷鳥金沢行き

 一時期は特急電車の代名詞といっても過言の無い485系。しかし老朽化は否めず、月刊鉄道ファン2007年8月号の特集記事“ラストスパート485・583系”を読み、改めて、もうそんな時期なのかという印象を強く持った。

Img_4928 肌色に赤いストライプの入った485系電車は、恐らく国鉄を知る世代からは馴染み深い車輌カラーリングではないかとおもう。しかしながら最近、浅学な小生からみても、旧国鉄塗装の485系特急電車は減ったように思う。こうした理由もあって、旧国鉄塗装を維持する特急雷鳥を撮影する為、京都駅に向かった。

Img_4919  京都駅0番ホームにて待つこと数分、特急雷鳥がホームに滑り込んでくる。停車時間は僅かであり、撮影機会は少ない、しかも流し撮りでは失敗のリスクがあり、少しでもブレを少なくするべくISO感度を800にまで上げて撮影する。ライトの反射が生み出す幻惑の光景、鉄道車両の夜景撮影ならではのものである。

Img_4924  1964年にデビューした485系は、北陸本線において“雷鳥”“しらさぎ”として運行され、長距離旅客特急として以外にも新幹線開業後は、新幹線の走らない区画との連絡などに活躍している。しかしながら、0系新幹線と同世代であり、後期製造車輌も老朽化は否めないが、新世代車輌に伍してJR西日本、JR東日本、JR九州で運行されている。

Img_4922  エンブレム。立山連峰に生息する天然記念物である“ライチョウ”から名づけられたとのことで、直線区間では130km/hの最高速度で運転を行う。ちなみに、九両編成のうち、大阪方面の一号車がグリーン車、そして自由席車3輌と指定席車5輌という編成を採用している。

Img_4931 蛇足ながら夜間撮影は運転席に対してフラッシュを焚くわけには行かず、苦労した。特急雷鳥は、大阪駅から、京都駅を経て湖西線に入り、敦賀駅を通り金沢駅に至る。同じく金沢に向かう特急サンダーバードとは利用路線は重なるものの停車駅は若干異なる。

Img_4935  発車してゆく“雷鳥”。485系は、車内設備などで見劣りは否めず、特に御手洗設備やシートの陳腐化、自動販売機の未載という点で不満はある。しかし、日本鉄道史に一時代を築いたのは確かであろう。そうした思いとは裏腹に、シャッターをきるカメラの前を、金沢へ向け京都を意気揚々と出発して行った。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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