■天下統一の偉業を称える
建勲神社は、織田信長の天下統一の偉勲を称え、1869年に明治天皇により創建された。“けんくんじんじゃ”と一般に呼ばれるこの神社は、正しくは“たていさおじんじゃ”と読む。
建勲神社は、北大路通り沿い、船岡山の山頂にある。かつては東麓にあったが、1875年に神社を別格官幣社へ列したと同時に、山頂に遷座したという経緯がある。この船岡山は、平安遷都に際して平安京正中線の北延長線上に位置し、玄武として造営の基点とされた山である。
同時に1582年の本能寺の後に正親町天皇の勅許を受けて、豊臣秀吉が主君である織田信長の廟所としている。写真はその参道。道の終着には鳥居がみえているが、その山が船岡山である。神社の大鳥居は、京都府では最大の木造明神型素木造のもの、現存するものは1934年に建て替えられたもの。2000年に大改修を受けた。
建勲神社にここから入る。この他、船岡山には様々な山道があり、散歩道として親しまれているが、この時期からは蚊が多くなるので、注意が必要だ。山頂にあるということで、此処から左に入り、暫し階段を上る。十分ほどで山頂にいたる、いい運動だ。
階段を上ると、石碑がみえる。石碑には“太平和敬神”と記されており、神社でも織田信長を、戦国の世を統一して民衆を疲弊絶望から救い、伝統文化に躍動の美を与え、西洋を動かす力の源を追求して新秩序を確立、日本の歴史を中世の混乱から近代の黎明へと導かれた。
その為、信長公は、行き詰った旧来の政治、社会秩序、腐敗した宗教などを果敢に打破し、日本国民全体の日本を追求された。明治天皇より特に建勲の神号を賜い、船岡山に大生の神として奉斎されている、と解説されている。石碑を曲がり、更に上へ足を進める。
社務所、貴賓館と並ぶ。この神社には、織田信長が桶狭間の合戦に用いた義元左門字の太刀、太田牛一自筆の信長公記といった重要文化財のほか、数々の信長ゆかりの品が所蔵されているとこのとだ。ここまで登っただけでも比叡山をはじめ、京都を囲む山々がみえる。
“人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか”。桶狭間の合戦出陣に際し、織田信長が舞った「敦盛」の一節が刻まれている。この石碑は南参道にいたる入り口付近に置かれている。
拝殿にいたる。しかし、その途上にあった手水所はいただけない。衛生環境が悪い、虫が湧いているのだ。流石にこれでは手を清められないと断念したが、織田信長公が祀られている神社である、あまり整備がわるいままというのも如何なものだろうか、と感じた。
神門と、その向こうには改修工事中の本殿が見える。ちなみに、工事の車輌は北参道から山頂に上ったもので、北参道に沿って山を下ると、北大路通りの船岡山バス停前へ出ることが出来る。ここからは見えないが、隣接して船岡山公園が所在する。
拝殿と神門。雰囲気を壊さないように極力、工事中の様子が写らないアングルを探した。青葉が陽光を夏色に透かしており、新緑とは異なった木々の面持ちが境内を暗く彩る。神社のもつ神聖な空気を幾分か伝えられそうな情景である。
建勲神社、神社仏閣の多い京都市内にあっても、山頂の神社というのは比較的少ない。建勲神社の船岡祭は、10月19日に行われるが、これは1568年に織田信長が初めて入洛した日を記念して定められたとのこと。この他、船岡山は五山送り火を観覧する名所として知られている。
HARUNA
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)