北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

那覇基地エアフェスタ2011速報 (2011.12.11) JASDF NAHA AirBase

2011-12-11 23:14:02 | 航空自衛隊 装備名鑑

■ 南西諸島防衛の要衝:那覇!

 那覇基地は南西諸島防衛の要衝、繰り返しWeblog北大路機関に記載しましたが、写真は別の基地のものばかりで、説得力に欠けていたのは否めません。

Img_9135 それならば、行くしかないわけか、ということで那覇基地エアフェスタ2011、行ってきました。さっき、ね。那覇空港に隣接している、いや那覇空港そのものが海軍小禄飛行場をもとにした場所ですからこちらのほうが先というべきなのでしょうが、とにかく東京から直行便で日帰りが可能といわれるのが那覇基地航空祭、もっと混雑するものかと思っていたのですが、小牧基地航空祭並に余裕ある航空祭でした。

Img_9125  今回はG-12での写真。那覇基地は南西諸島防衛の要衝。第83航空隊の第204飛行隊がF-15戦闘機を以て対領空侵犯措置にあたっていますが、南西諸島への中国方面からの脅威へ対処するべく、新しい防衛計画の大綱ではこの第83航空隊を一個飛行隊編成から二個飛行隊基幹へ増強することが明示されています。

Img_9128  戦闘機部隊に加えて、南西諸島の防空全般を担うのがこの南西方面航空混成団司令部。防空中枢施設はこの近くの地下に隠されており、まあ、これについては余り触れずにおきましょう。その指揮下にレーダーサイトを統括する南西航空警戒管制隊、ペトリオットミサイルを運用する第五高射群、航空施設隊等が展開。

Img_8994  このほか航空支援集団より那覇救難隊、那覇ヘリコプター空輸隊のほか、海上自衛隊第五航空群が展開しP-3C哨戒機による南西方面の洋上警戒監視任務にあたっているほか、広大な沖縄県を防衛警備管区とする陸上自衛隊第15旅団なども展開しているところ、文字通り南西諸島防衛の一大拠点。

Img_9037  那覇基地、F-15の基地なのですが、既に幾つか書き込みを頂いているとおり、先週金曜日の百里基地におけるF-15部品脱落事案が影響し、整備が完了していない、という理由から本日の那覇基地エアフェスタにおけるF-15の飛行は中止となりました。しかし、再発進展示などで可能な限り精一杯の展示を行ってはくれました。

Img_8958  RF-4偵察機。地上展示機ですが、入間基地航空祭を筆頭に、この偵察航空隊創設50周年記念塗装のRF-4には様々な場所で出会いました。東日本大震災でも老朽化と能力限界はあったものの、戦術偵察機として任務を全う、この機種は滞空型無人機で置き換えては、という声もあるようですが、無人機最先進国である米国でも戦術偵察任務は区分として存在し、無人機途上国日本では安易に真似る事無くしっかりとした後継機を期待ししたいところ。

Img_9093  UH-60J救難ヘリコプター、空中給油受油装置を搭載した機体。航続距離延伸のほか、救難飛行でのホバーリングは思いの外燃料を消費するため、必要な装備といえるでしょう。この機体の飛行はいち早く試験飛行中の様子を撮影していますが、間近に撮影したのは、地上展示で見ることができたのは、これが初めてだったかもしれません。

Img_9098  那覇基地は、小禄飛行場を始まりとする基地であることは冒頭に記しましたが、現在は沖縄の玄関口、那覇空港と共用、発着数ではこちらの方が多いでしょう。ボーイング747とブルーインパルス。この関係もあることから、航空祭の飛行展示は大きく影響されてしまうのが難点、F-15の飛行展示は行われませんでしたが、実施されたとしても隣接する洋上での予定、とききました。

Img_9072  ブルーインパルス飛行展示。かなり距離がありました。しかし、地元団体の反対もあり、ブルーインパルスが飛行できない期間も長かった、といいますから、そういう意味では一歩前進、ということになるのでしょうか。しかし、防衛を疎かにしていると、本当に中国軍が来てしまいますよ。あの沖縄戦も、台湾に一個師団を抽出した第32軍の戦力低下により、台湾か沖縄かの攻略を行うアイスバーグ作戦の攻略地が決定したのですから。

Img_9104  飛行展示はP-3Cの航過飛行、陸上航空三部隊合同ヘリコプター三機編隊、そしてブルーインパルスの飛行展示、こういう内容でした。F-15が都合三回飛行する予定ですが、なくなってしまうとどうにも物足りないと感じた方は多かったようで、帰投に備えエンジンを始動させるC-130輸送機へ、多くのカメラが向けられていました。

Img_91311  基地警備に待機する第83航空隊の軽装甲機動車。当方はそのまま基地を出まして那覇空港にて少し、そののち国際通を散策しまして、これだ、と思った土産物が最初の店でサンプルのみ、ならばと探して探してようやく見つけ、そののちモノレールに、先ほどまでここは!、と昨夜直感した店にて古酒を楽しんできた次第です。

北大路機関:はるな

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百里基地所属F-15から尾翼部分部品落下、重量2kgで被害なし

2011-12-10 23:40:33 | 防衛・安全保障

■9日午後の飛行訓練後に判明

 F-15の部品脱落事案です。ところで、こういう事故、2kgの部品ですが海外ではどうなのですかね。

Img_6625  百里基地所属のF-15から部品が脱落したとのことです。尾翼に装着されているアルミ製の部品で、重量は2kg。9日午後の訓練飛行を完了した時点で当該部品の欠落が確認されたとのこと。落下地点は現在のところ確認中とのことで、航空自衛隊によれば今のところ被害はないようです。

Img_8453  それにしてもまがあるイ、明日は今年最後の航空祭となる那覇基地航空祭が実施される日です。午前中の降水確率は六割ということで、沖縄は本当に限っては必ずしも降雨につながるものではないので、悲観的にならずとも、というお話でした。そこで、今回の話ですが、機動飛行へ、影響とか、あるのでしょうか。

Img_8595  ところで、冒頭にも少し書いたのですが、この種の事故、というのは自衛隊では発表されるのですけれども、海外ではどうなのですかね、発表されないだけ、なのでしょうけれども、こうした事案をすべて報道する日本というのは特殊、ということになるのでしょうかね。

北大路機関:はるな

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平成二十三年度十二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2011.12.11)

2011-12-09 20:38:06 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 寒くなってきました、今週末は九州と沖縄でそれぞれ航空部隊行事が行われます。今年最後の航空祭、分屯地祭です。

Img_8460_1 先週は新田原基地航空祭でしたが、今週末は那覇基地航空祭、那覇基地エアーフェスタ2011。展開しているのは第83航空隊、F-15一個飛行隊を基幹として台湾方面、中国大陸からの脅威へ対処している南西諸島防空の要。どこから抽出するかは不明ですが将来二個飛行隊編成化することが決定している部隊です。

Img_7807 新田原と違って那覇は順光という撮影条件の模様、飛行展示は1000時から1015時までがF-15戦闘機とT-4練習機による飛行、続いてF-15の機動飛行が1020から実施。息をつく間もなく1040からP-3C哨戒機の飛行展示、飛行展示終了後三十分の間を以てUH-60,CH-47といった回転翼機が飛行し、午後は1300からF-15が機動飛行を実施、1350からブルーインパルスの飛行展示という予定。

Img_0984 陸上自衛隊では熊本での高遊原分屯地祭。たかゆうばる、と読むこの分屯地は、西部方面総監部が置かれる健軍駐屯地の分屯地ではあるのですが、西部方面航空隊第三飛行隊と、北熊本第八師団隷下の第8飛行隊が分屯しています。西部方面航空隊は方面ヘリコプター隊の第一と第二飛行隊、そして第三対戦車ヘリコプター隊が目達原駐屯地に駐屯、しかし第三飛行隊が高遊原に分屯。

Img_3885 高遊原分屯地は熊本空港に併設されているとのことで、旅客機を利用した場合は非常に早く駐屯地まで行くことが出来るようです。西部方面航空隊が支援しますので、見ることが出来る機種、というのはかなりあるようなのですが、実際どうなのでしょうか。目達原か北熊本か健軍駐屯地祭は、来年行ってみたいですね。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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十二月八日:真珠湾攻撃から七十年 戦後の日本安全保障政策の背景とその変容

2011-12-08 23:22:23 | 北大路機関特別企画

◆東日本大震災は転換点となりえるか

本日は十二月八日、日本が空母機動部隊によりアメリカ太平洋艦隊を奇襲した開戦記念日です。そこで、東日本大震災以降の自衛隊行事写真と共に、少しこれからの安全保障政策を考えてみましょう。

File0835あの太平洋戦争開戦と決定的な敗戦、日本史の大きな転換点、世界政治における日本の関与では最大の分岐点へと繋がっているとして異論は少ないでしょう。2011年、1941年の真珠湾攻撃から長い歴史が過ぎ、米国真珠湾遺族会も今年を区切りとして役割を終えるとのこと。

Img_0092_2戦後日本は、憲法九条という平和主義を国是とし、軍事力に依拠した外交を含め、世界政治への関与を中断。結果的ですが、通商と経済活動を除いた日本の対外武力行使を通じた国際政治は日米安全保障条約に大きく依存することとなり、必然的な外交関係における不均衡が生じ、長い期間維持されてきました。

Img_0569即ち、半年間で世界の十分の一を占領する軍事力を有していたのですが、敗戦により軍事機構が解体され、軍事的独立国としての大きな制約が加わることとなった、この部分を言い方を単純化したならば、外注に出した、という構図を思い浮かべれば納得は行くやもしれません。

Img_1015しかし、専守防衛という政策に依拠した防衛政策を併せて遂行し、自衛隊の発足と自衛隊の能力強化、冷戦という世界秩序においても独立国として当然求められる自国領土の保全を通じた国際公共財としての平和と秩序維持責務を果たしてきたのもという、また事実であるわけです。

Img_1122冷戦構造が継続する中にあっては、日米安全保障条約に依拠する中立、という非武装中立でも重武装中立でもない、一種の箍を有する同盟条約への関与という安全保障政策には一つの意味合いはあったのだと思います。確実に西側に位置し、他方で積極的な領土の軍事利用に対しては制限があったのですから、特殊な中立様式といえるかもしれません。

Img_1301安保下の中立、というところでしょうか。確かに朝鮮戦争やヴェトナム戦争においては後方の巨大な拠点としての日本の位置づけは存在しました。しかし、同時に日本は軍事的な脆弱性、NATOというような欧州地域に対して陸上国境ではなく海洋は隔てているものの、しかし軍事力に限界があったという構図です。

Img_2262日本は軍事的な脆弱性を持ちつつ、しかし、大陸側に対する構成の拠点たり得る策源地としての特性を持っていた、ここに日本型の中立という難しい均衡を成り立たせる要素があった、そう解釈しています。朝鮮半島や台湾といった、緩衝地帯に対しての重要な盤石としての位置づけを持ち、地域的国際秩序を自然形成していたのですね。

Img_2420中立、といいますと日本では理解されているようで、二元論に基づく概略しか理解されていないのかもしれません。実質中立の形態には様々な形態があるのではないでしょうか、少なくとも日本の憲法九条というものの特殊性は世界においても政策決定者には広範に理解されている実情を考えてください。

Img_2642こうした中の中立政策は、形態を区分して考えるべきで、フィンランドのソ連寄りの中立政策がありましたし、スイスやスウェーデンのような重武装の中立政策、これらがあるわけなのです。そして同盟に依拠した日本型中立政策が広義の中立としてあるのだろう、ともいえないでしょうか。

Img_2964以上が冷戦時代における安全保障政策、専守防衛と憲法九条に加え日米安保という関係性に基づく、日本の憲法九条と日米安全保障条約に基づいた、中立、中立政策という表現に難色があるのならば疑似中立政策、という表現もあるでしょうが、日本の安全保障政策の背景です。

Img_4138 いわば、憲法九条に基づく平和主義政策、日米安全保障条約に基づく同盟、この二つは均衡することにより東西冷戦における脆弱性と盤石性、この二つの要素を均衡し、安全保障政策における一つの秩序を形成していた、ということになり、この矛盾は必然だった、ということになるのではないでしょうか。

Img_4416 しかし、この必然としての矛盾する二つの要素は東西冷戦という時代背景においてのみ機能するものだった、ということが出来るかもしれません。即ち、冷戦時代以降においてはこの政策を維持する必然性はなく、他方、国際情勢が、特に周辺情勢が安定している状況では改める必然性もなく、推移してきたのでしょう。

Img_4683 脆弱性と盤石性、これは二類型されるものですが、東西冷戦という、二極時代を背景に成り立ったものですが、冷戦構造終結後に指摘された多極化時代、多極化時代を超えてのグローバリゼーションという時代、ここにあって脆弱性と盤石性を両立させる意義は薄れています。

Img_4801 これは両立させることにより生まれる均衡が、結果的に日本の安定に寄与する、という概念が成り立っていない時代を示すからです。脆弱性とはそのまま脆弱であり、盤石性との均衡は二極構造の転換により安定の維持への世界政治の関心は地域的なものに転換、破綻と併存している状態にあると説明できるかもしれません。

Img_6455 どういうことか。脆弱性と盤石性の両立は、その破綻が日本においてはソ連と日本、ソ連と日米という世界政治において回避するべき軍事対立の要素を持っていたため、これは不可避の結果に米ソ衝突が欧州地域の東西関係にも波及することを意味し、いわば、欧州、米ソ、日本という世界政治における主要な諸国が利害を共有する構造を形成していました。

Img_6611_1 ここでの衝突は、必然的に世界全体へ波及する可能性がある。世界政治の視点からは、その端緒となる脆弱性への攻撃、盤石性に基づく打撃、双方を抑制的に作用させる秩序の継続こそが、世界全体の利益となることを意味していた、こうした構図があったわけです。

Img_7093 それならば、現状はどうか。日本の周辺地域において、中国、朝鮮半島、台湾海峡という地域が安全保障への影響を大きく及ぼすところにありますが、仮に安全保障上の均衡が破綻したとしても、必ずしも地域的な変動を超える可能性は無いことが挙げられるでしょう。

Img_7480 米中衝突となれば、その範囲は増大しますが、環太平洋地域まで及ぶことは無く、現状では西太平洋に限定されるでしょう。当然、アジア地域を大きく超える可能性も限られています。このため、均衡性への関心は、世界全体の利益ではなくなってしまっている、ここに破綻の危険性は現実化していると考えるのです。

Img_7673 考えなければならないのは、ここで破たんを回避するためには、軍事力による均衡が必要になるというところでしょうか。この部分は、強化することについて、周辺国の理解は得られず反発がある、という指摘もあるでしょうが、同盟関係に無い隣国の軍事力強化は基本的に反発を招くことは致し方ないところで、ここを説明し説得することが外交と政治の責務だと考えなければなりません。

Img_7766 さて。ここで新しい視点を入れて論議を昇華させます。軍事力の公共性についてです。自国の領域における主権と突如を維持することは、国際公共財であるというところは、冒頭から少し進んだ部分で説明しました。秩序と安定は国際公共財、無秩序と不安定は国際的脅威になるのです。

Img_7841 日本においては、戦後から今日に至るまで、この責務を維持しています。全ての国家が現状の境界線に基づいてこの義務を履行すれば、事実上世界規模で安定が維持されることになり、世界平和が実現することになるのですが、武力紛争や内戦によりこの秩序と安定を維持できなくなった場合は当然存在する、この点に軍事力の公共性を見出すことが出来るかもしれません。

Img_8379 もちろん、世界政府が存在しない現在の世界において、軍事力の国境を越えての恣意的な運用は、文字通り無秩序と不安定の要素そのものになります。従って、世界政治の合意を依拠した、現在ではこれに当たるものは国連安保理決議など限られているのですが、その条件下で運用されるものについては、秩序と安定を担保する国際公共財としての地位を担うことになるでしょう。

Img_8997 国際平和維持活動、海洋通商路保護、人道的介入まで、その手段としての根本にある軍事力は、用途さえ、またはその運用の源流に正当性と合意があれば、国際公共財足り得ることになる、こういうわけです。諸国へ説明し得る政治力と、その誠実な履行という政策があれば、軍事力は隣国以外からは強大化について、決して疑念を抱かれることにはなりません。

Img_9064_1 また、その使用にあっても、国際公序、即ち秩序と安定のための世界的な公益性に依拠して拡大しない範囲内において行使されるのであれば、それは認められ、秩序の恢復と安定、これに依拠した社会の安定化へ繋げる政策と連動すれば、問題視されることはないことにもなります。

Img_9849 さて、以上までに憲法九条と日米安保は冷戦時代の秩序安定に必要なものであった、という視点と共に冷戦後は必ずしもその限りではないとの論点、そして軍事力は国際公益に寄与する公共財である、という視点を示しました。そして、前者の部分については、これまで、転換する必要性が無かった、とも記しました。これまでは。

Img_1268 これまでは、とは、どの時代までか、ということ。中立政策といえるような、脆弱性と盤石性の均衡は、これを支えるものがあってこそ恒久的に作用するものでした。ならば、その”つっかえ棒"が無くなったらどうなるか、ということ。無くなってはいませんが、この地域の安定と世界秩序維持とのかい離により関心の乖離という形で順次撤去されています。

Img_1579 重要な部分はこの点です、即ち、均衡は世界政治全体からの意関心を離れつつある以上、日本が主体的に軍事力を含めた安全保障政策を討議し合意し画定し推進しなければならない、というところにあり、脆弱性の部分は盤石性により補わなければならなくなっている、この避けられない実情にほかなりません。

Img_1795 無論、軍事力のみを増強すればいい、という短絡的な議論にはなりません。この論点から話を勧めれば、単にもっと多くの予算を投じて、もっと強大な、という果てしない単純な円環に埋没しこのほうが議論は省け、その成果も事業評価も数値化は安易となるのですが、単純化は目的ではない事をご理解ください。

Img_2118 軍事理論といわず、安全保障というものを包括的に考えた場合、その指向性や運用方法、その軍事力と外交政策との連動、外交政策と国内政治の具現化、長期的な政策の継続と国際理解の獲得、これを担う優秀な官僚機構と、これを統制する政治の技量の調和が実現すれば、必ずしも軍事力の大幅な増強に繋げずとも可能、と言えるかもしれません。

Img_2568もっとも、これまで別稿に記したような、様々な視点から日本の防衛力は完全に充足しているとは言い難く、可能ならば増勢が望ましい部分があることも確かなのですが。ただ、軍事力以外の前述した部分の不足の方が著しい、というところについては、同意を得られるのではないでしょうか。

Img_2852 こうしたうえで、軍事力についての国際公共財としての視点、世界の安定と秩序に寄与する運用と合意形成を背景とすれば必要な軍事行動というものが存在する。また、日本の冷戦時代における脆弱性と盤石性の均衡という論理が役目を終え、次の転換点を待っている、この部分との相克を考えます。

Img_5876 東日本大震災以降、特に福島第一原発事故以降に日本は今後脱原子力政策へ転換せざるを得ない、こうしたうえで、エネルギー確保への国際秩序の維持への主体的な参加が必要になる、という視点は繰り返し提示しています。これが、脆弱性という部分からの転換に繋がりえるのではないか、ということ。

Img_6764 脆弱性は冷戦時代型の均衡を保つうえで必要であったのではありますが、現在は脆弱性は単なる脆弱性です。そして、この地域にとどまるのではなく、軍事力を含めた対外政策を自国が主体的に推進してゆく必要がある、そういうことです。脆弱性は、冷戦時代は特に軍事力によるものでしたが、今日的には北方から、西方と南方を含め多方面化した脅威ではあるものの単一脅威は減退、専ら制度的な脆弱性があるのでしょう。

Img_8414_1 制度的な脆弱性とは、抑制された防衛政策を担保する憲法を中心とした法体系にほかなりません。軍事的にはかなり前進、国内被害を無視すれば、少なくとも我が国を根本的に占領するような戦力投射能力を持つ国は、ほぼありません。しかし、制度的に脆弱性を念頭に置いた我が国の法体系は問題が大きいのです。

Img_8547 即ち、これは解釈の仕様によっては憲法九条が日本を護った、という視点も全く否定できないのです。もちろん、日米安保条約が日本を護った、という視点と共に不可分の論理としてのもの、冷戦時代は脆弱性と盤石性双方が必要だったのだから、という視点に立脚した場合の視点ではあるのですが。

Img_2340 しかし、冷戦後、脆弱性を政策に包含してゆく必然性は無くなりました。脆弱性としての憲法九条は、特に世界において日本の平和政策の代名詞的な存在となり、この副次的な作用は非常に大きく、そういう意味で現在においても価値はあるのですが、この憲法九条を維持しつつも、統治行為論、わかりやすくは政治の問題としての外交政策に脆弱性を払拭する努力はあってしかるべきでしょう。

Img_5517 先にも述べたとおり、脆弱性の部分は既に盤石性と不可分であったのは冷戦時代の国際秩序に依拠したもので、現在では可分的な要素を有しています。加えて、エネルギー政策の面で、今後日本は世界と関与し、討議し、参加する、という分野を軍事面にまで広げる必要性に直面してしまいました。

Img_5960 もちろん、個人的には武力紛争への介入は極力避けるべきで、エネルギー政策についても旧式化した原子炉を一掃し、配管を極力排した強靭な新型原子炉に転換する方法も合わせて模索するべき、とは考えています。しかし、その政策を推進するには代替原子炉の建築を急ぐ必要があり、世論として受け入れ難いものがあるでしょう。すると、選択肢は狭まってしまいました。

Img_8287 さて。転換点がこれまで無かったに起因し、特に国内の合意形成を後押しする要素が無かった点も付け加え、冷戦時代の脆弱性と盤石性の不可分を政策として継続してきました。しかし、東日本大震災とこれに連動する一連の変動と強いられる変革は、その転換点となりうるもの、なのかもしれません。

Img_8858_1 安全保障面で、こうした需要な変革を行うには、その遂行に国民が信頼を置くに値する、今後の未来を付託できる政治、同時に官僚機構を統制し得る政治というものを選ぶ、選ぶことが出来ないのならば養成する、ということは並大抵のことではありません。しかし、次世代に進んでゆくためには、考えなければならない、避けられぬ命題、ということになるのではないでしょうか。開戦記念日という点観点から七十年目の本日、荒削りではありますがこうしたことを考えた次第です。

北大路機関:はるな

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F-X選定:十二月末決定の次期戦闘機選定に関する再考・・・新田原基地航空祭の写真と共に

2011-12-07 23:44:37 | 航空自衛隊 装備名鑑

◆新田原基地航空祭2011の写真と共に考える

 新田原基地航空祭の写真と共に次期戦闘機について、今月末には発表される、という話がありまして、F-X選定の話題を掲載です。

Img_8810_1 また延期されないのか、大丈夫か、と思いつつ北大路機関が多数掲載したF-X選定を再度、いや何度目でしょうか、少し書いてみます。次期戦闘機、正直F-4EJの後継機ですので、F/A-18Eでも、F-35でも、もちろんEF-2000や可能性があれば改良型のF-2CやF-22、当然F-15Eであってもいいと考えます。JAS-39やF-16Eでも、部隊配備計画と装備方法によっては日本の防空という任務達成は何とかなるかもしれません。

Img_8377_1 現実的問題として、ここまで問題が複雑化しているというのは防衛計画の大綱に明示されている戦闘機定数260、という縛り。かつては350ありましたから、90も削減されていることになります。その分教育訓練部隊に実戦機が配備されたのですが、他方補助戦闘機として100機近くが生産された高等練習機は区分ごと消滅しています。

Img_8422_1 冷戦時代、350の戦闘機定数とともに日本は北方からの脅威に備えていました。中国や北朝鮮の脅威もありましたが、北朝鮮は現在がほぼ空軍が摩耗しきっているため零か一かという意味で違いますが、中国に限っては日本まで到達可能な戦闘機脅威はほぼ無視できる水準でした。つまり、北方だけを睨んでいればよかったのですね。

Img_8459_1 それが現在は、対領空侵犯措置任務の件数では割合で見た場合圧倒的にロシアが多いことから北方への警戒は十分維持する必要があるのですが、中国空軍と海軍が順次現用世代戦闘機を整備し、我が国へ脅威を及ぼしてきています。同時に冷戦時代よりは空軍が摩耗しているものの、東側共産圏としての箍が外れた北朝鮮への警戒も必要となってしまいました。

Img_8483 脅威は多方面化。しかし戦闘機定数は削減されています。それならば航空自衛隊としては劣勢に数で対抗するという対抗策を防衛計画の大綱により講じられない以上、質的向上を図るしかない、ということになり一騎当千のF-22のような高性能戦闘機を志向した、という構図になるのでしょう。

Img_8491 特に脅威の多方面化に対して、米軍は1991年までフィリピンに有力な空軍部隊と海軍拠点を有していましたし、1975年まではヴェトナム方面に関係する大規模な部隊を地域全般に配置していました。ヴェトナムは軍事的に撤退しましたが、フィリピンからはピナトゥボ火山が火山爆発指数8という大噴火を引き起こし、火山灰により基地機能を維持できなくなったことから撤退しています。

Img_8506_1 基地の戦略的配置という意味では、在日米軍の質的量的向上以前の問題として在比米軍の全面撤退という、北東アジア地域、中国が米国への脅威を増大させる状況下において最も重要視される、2000年代だからこそ必要な在比米軍が既に過去のものとなった今日、特にこの地域へ隣接している南西諸島防衛に自衛隊はより注意を払わなければならなくなったという構図です。

Img_8645_1 航空自衛隊としては、航続距離、つまり戦闘行動半径が大きく限られた基地しかもたない現状から多くの方面の脅威に対抗でき、そしてステルス性を含め航空戦闘の主導権を握ることが可能な能力を有することで数的劣勢に対して少数機での航空優勢確保を実現しなければならない、こうした難題に直面し苦悩しているという構図でしょう。

Img_8660_1 戦闘機としてF-X候補の三機種はどういう視点で考えられているのか、推測してみます。日米同盟の観点からもF-35を推す、米国と共同しての運用を考えるのならば次世代の統合打撃戦闘機を航空自衛隊が配備するのが最も妥当であるし、質的にも能力的にも現在入手しうる最高峰の戦闘機となりえる航空機。

Img_8679_1 運用基盤が部品供給や重整備までを含め確立してこその独立国でそのうえで必要なライセンス生産比率の高さと純粋な戦闘機性能からEF-2000を推す声。数を揃え世代交代を急ぐべき、財政的に高価な戦闘機を取得すれば調達数に響く、取得費用のみならず運用コストを包含して総合的に現実的なF/A-18Eこそが必要。個々の機種に関する事情、こんなところでしょうか。

Img_8701 F-35にEF-2000とF/A-18E、以上の三機種。次期戦闘機選定に候補として挙がっているのは以上の三機種です。どれも正論なんですよね。いっその事、対領空侵犯措置任務と航空阻止任務として要撃飛行隊にEF-2000かF/A-18Eを配備し、戦略予備に航空総隊直轄の司令部飛行隊を拡充して司令部航空団を新編してF-35を虎の子にしてはどうか、とも考えてしまうところ。

Img_8717 F-35ですが、導入費用はエンジンを除けばF/A-18Eよりも下回る、と、田舎の電気屋さんがOS無しのPCを売るときのような話を出していたりしましたが、恐らく運用コストでは相当上回ると思われます、ステルス機は塗料一つとっても維持に特別の配慮を要するからです。また、日本国内で組み立てるノックダウン生産の話は出ていますが、予備部品のライセンス生産の比率は不明で、場合によっては定期整備を米本土か豪州で行うことになり、稼働率が著しく低くなる可能性を忘れてはなりません。

Img_8767 EF-2000,ライセンス生産や技術供与の可能性をBAEが示唆しています。生産縮小の可能性があり、企業としては必死なのでしょうけれども、英空軍を見る限り稼働率に限界があるようで、英空軍でもあの稼働率が出せたのだから日本でも、と好意的に見るのか意見が割れるでしょう。また、エンジンがユーロジェット製で運用思想も設計思想も異なる点を克服できるのか、という不安点は挙げておくべきでしょう。

Img_8813_1 F/A-18E,加速力の面から戦闘機というよりは戦闘攻撃機という種類の機体で、ネットワークにより戦うことで個々の性能ではなく部隊としての能力を発揮する機体です。これはF-35についてもいえることですが、F/A-18Eにはステルス性というアドヴァンテージがありませんから、この部分がさらに重要となります。そこまで考慮しているうえで導入は計画する必要があり、戦闘機導入費用と運用費用以外の面での運用を忘れないように考えてみてください。

Img_8937 究極的に考えた場合、やはり運用コスト面も含め、F/A-18Eは安価です。次点にEF-2000ですね。しかし、導入予定の定数では日本の防空を維持し、航空優勢を確保するには難点が残ります、というのもF-4後継機というのもそろそろF-15の後継機を考え始めなければならない時期だからです。ただ、防衛計画の大綱を見直し、F/A-18Eの導入数を、ある程度上方修正し考えた場合、違ってくるかもしれません。

Img_8876 現在の防衛計画の大綱の根拠となったのはそのひとつ前の2005年大綱ですが、この時点ではF-22の導入可能性がありました。それが今はないわけです。周辺国のSu-27系統の現用世代航空機の増加を見越して、本来はF/A-18Eであれば米軍の本格増援までの期間に日本防空にはどれだけが必要で、EF-2000の場合はどれだけか、そしてF-35ならばどうか、それに続いて米軍と共同作戦を展開し多場合、稼働率はどの程度必要なのか、本当はそうした部分から防衛計画の大綱を画定しなければならないのですが、どうも、そういう方向ではなく、国土防衛よりも何かほかに視点があるように見えるのは、もちろん、その視点も重要ではあるのですが国民の生命と安全が秤に掛けられているようで、残念ですね。

北大路機関:はるな

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新田原基地航空祭2011 AIRSHOW JSDF NYUTABARU AIR BASE 2011 (2011.12.04)

2011-12-06 23:05:58 | 航空自衛隊 装備名鑑

◆第五航空団と飛行教育航空隊に飛行教導隊

 新田原基地航空祭へ行ってまいりました。本日は速報という形で写真を幾つか紹介してゆきましょう。

Img_7836 南九州というと、どうしても遠い印象があるのですが、立ち話をした方々は口々に長野です、愛知です、と京都よりもさらに遠方からの撮影旅行で、原子力空母信濃シリーズや死都日本といった様々な作品の舞台となり、ファントム飛行隊や日本のトップガンといわれるイーグルの飛行教導隊の展開基地新田原の名声は遙か彼方まで、というところでしょうか。

Img_8185_1 新田原基地所属航空機の大編隊。F-4三機、F-15六機、T-4三機という陣容。基地の近くで近傍に宿はないという話で車中泊でしたが、基地まで上り坂は叡山本線に迫る4km、駐車場から300mに話を聞いた時点で空きがあったホテルという状況下、無理をして風邪を引いたという最悪のコンディション下での撮影ですが、前日と一転しての快晴に恵まれたのは天恵というほかありません。

Img_8316 新田原基地はF-4一個飛行隊を基幹とする第五航空団が九州南部と南西諸島地域における対領空侵犯措置と航空優勢確保にあたると共に、F-15飛行隊を有する飛行教育航空隊、そして全国の部隊への仮設敵任務を引き受け、特殊な迷彩塗装を施したイーグルに最優秀の要員を集めた日本のトップガン、飛行教導隊が展開する基地です。

Img_8823_1 対領空侵犯措置任務にあたる航空機が全てF-4EJ改という、非常に稀有な編成の航空団が展開していますが、かつてはF-15最初の飛行隊が編成された由緒正しい基地でもあり、第五航空団の実力は模擬緊急発進と近接航空支援展示にて全力が誇示されていました。

Img_8983_1 航空祭の最中に霧島の新燃岳が噴火。水蒸気爆発の噴煙が薄っすらと二筋空へと昇ってゆきました。日常的な噴火の規模と聞きましたが、基地には火山灰注意の掲示が出され、思い起こせば当方には初めて目の当たりにした火山の爆発、貴重な、しかし新鮮な経験として心に残っています。

Img_9005_1 新田原基地航空祭ですが、一見人口密度は高そうに見えるものの、混むところが一部混むだけで、入間基地航空祭や岐阜基地航空祭に浜松基地航空祭はもちろん、小松基地航空祭と比べても人口密度は低く、ブルーインパルスの飛行展示を除けば小牧基地航空祭を思い出すほどのゆったりとした来場者、午後からでも最前列付近は確保できるほどです。

Img_9482 基地からの眺望は完全な逆光で、しかし、基地正門から南側の眺鷲台という道の駅ならぬ空の駅がある場所まで案内の誘導員さんに聞いたところで距離1.7km、岐阜基地の滑走路を半周することを考えればどうにかなる距離でしたので、移動は楽でした。風邪は悪化し、翌日くらま撮影後、気絶していましたが幸い神戸で助けもあり無事戻ることが出来ました。

北大路機関:はるな

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ヘリコプター護衛艦くらま 派米訓練を完了し本日佐世保へ帰港

2011-12-05 23:39:32 | 海上自衛隊 催事

◆西海の要衝、佐世保の象徴

 ヘリコプター護衛艦くらま、日本帰国。防衛省が訓練日程を公表、なかなか無いことなので一つ佐世保へいってきました。

Img_0684
 神戸空港に先ほど到着して戻ったばかりですので、写真は全く整理していない中ですが、EOS 7Dにて撮影した護衛艦くらま。湾内を立神桟橋に向け航行する様子で、既に少なくとも昨日には到着していた模様で、錨を上げて艦首からは海水が雫となっているのがご覧いただけるでしょうか。

Img_0415 早朝の時点では、後部飛行甲板にSH-60哨戒ヘリコプター二機を展開させており、順次昼前ごろにヘリコプターは発艦してゆき、推測ですが大村航空基地へ戻ったようです。佐世保入港は1300頃で、当初は0900頃か、と思っていたのですが、そういえば護衛艦はるな、リムパックから記憶した際の時間はこれぐらいだったか、と思い出しました。

Img_0713 くらま、は海上自衛隊の一時代の象徴。今朝の佐世保は、護衛艦や掃海艇の出港が多く、艦艇の出入りは頻繁でした。改めて、我が国の防衛上の佐世保という位置づけ、西海の要衝としての拠点という意味合いを垣間見た印象とともに、やはり護衛艦くらま、の艦容は全ての水上戦闘艦においても頂点といって過言ではない、という確信とともに、佐世保を後にしました。

北大路機関:はるな

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第四護衛隊護衛艦さみだれ、うみぎり 海賊対処任務派遣帰国行事

2011-12-04 19:41:07 | 海上自衛隊 催事

■任務完遂無事帰国

 海賊対処派遣部隊、昨日撮影しました呉基地へ帰港の様子をG-12の写真にてお伝えします。

Img_7670  海賊対処派遣水上部隊が帰国へ呉基地へ向かう様子を、JR呉線かるが浜から撮影しました。第四護衛隊の護衛艦さみだれ、護衛艦うみぎり。撮影は0900時頃、五月に日本を出港して以来ソマリア沖での海賊対処任務を終えての帰国です。

Img_7672  護衛艦さみだれ。この少し前にMCH-101掃海輸送ヘリコプターが上空を飛行してゆきました。少し後、お昼頃には護衛艦いせ上空を飛行し、呉教育隊に着陸、救急車が待機していましたので、実任務なのか訓練か、災害派遣か、しかし珍しい場所で珍しいものを撮影。

Img_7674  護衛艦うみぎり。現在二隻を派遣し任務にあたっていますが、欧州経済危機によりソマリア沖への派遣規模の縮小を検討しているとの見方もあり、自衛隊のソマリアまでの距離と自衛艦隊の規模を考えれば現在の派遣規模が上限でもあるのですけれども、今後はもう少し大きな規模からかんが得る必要もでてくるかもしれません。

Img_7678  呉基地へ接岸する護衛艦さみだれ。撮影位置を入港がよく見える場所へ移動中、呉地方隊泉総監の公用車と出会いました。写真は串山公園へ向かう途中にあった基地を見下ろす高台からの撮影。曳船が二隻、入港支援にあたっているのが見えます。

Img_7689  護衛艦うみぎり。元ヘリコプター搭載護衛艦ひえい、が迎えている情景。帰国行事は晴天とはいきませんでしたが、何よりも派遣海賊対処任務における護衛対象の損害は皆無で、派遣航空部隊のP-3C哨戒機による監視効果も高く各国から評価され、現在も任務は継続中です。

北大路機関:はるな

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小松基地F-15,来週より増槽破裂事故からようやく飛行訓練再開へ

2011-12-03 12:35:12 | 防衛・安全保障

◆全国の部隊でも増加水槽使用再開

 F-15、報道によれば小松ではようやく訓練飛行が再開です。

Img_1150小松基地F15訓練、来週から再開へ :TBS系(JNN) 12月2日(金)6時41分配信
・・・ 防衛省は、航空自衛隊小松基地所属の戦闘機F15の燃料タンクが落下した事故を受け、小松基地で見合わせてきたF15の訓練を来週から再開する方針を固めました。  また、小松以外の基地ではタンクを外して訓練を行ってきましたが、タンクを取りつけた状態で訓練を再開します。通常の訓練ができない状況が続けば国防上支障が出ると、一川防衛大臣が再開を決断したものです。(02日06:09
http://<wbr></wbr>headlin<wbr></wbr>es.yaho<wbr></wbr>o.co.jp<wbr></wbr>/videon<wbr></wbr>ews/jnn<wbr></wbr>?a=2011<wbr></wbr>1202-00<wbr></wbr>000019-<wbr></wbr>jnn-pol

Img_1167小松の飛行訓練、まだ再開していなかったのか、という印象です。小松ではF-15が飛行訓練見合わせ、他の基地では増槽装着せずの訓練、これが改められるとのこと。岐阜基地航空祭で動画多機種が不通に富んでいましたからね。F-15の燃料タンクが落下、と聞きますと自動車を運転している人には信じられない、と思われるかもしれませんが、落下したのは機体に装着されている燃料タンクではなく落下式燃料タンクです。これは増槽といい、航続距離を延伸する場合に用いますが、空中戦の際には空気抵抗になりますから切り離して投棄する燃料タンク。

Img_1160また正確には落下したのではなく空中で破裂したというもので、機体そのものに異常はなく、何故再開されていなかったのか、ということは少々疑問です。政治的に説明するまでは飛行しない、という一川防衛大臣の指針があったようですが、小松基地周辺住民への説明に巡回していても原因は判明せず、機体そのものの問題がないのであれば延期する理由、というのがどうしてもわかりません。特にほかの基地で訓練を再開していましたから、性能上問題はないはずです。増槽は本来、投棄する消耗品ですから、その一つが欠陥、ということではないのでしょうか。

Img_1233F-15の訓練。小松基地は日本海上に或る航空自衛隊最大の訓練空域に隣接していますが、増槽を搭載している状況とそうではない状況とでは航続飛行時間が全く違ってきます。F-15は増槽を装着すれば米本土から欧州まで大西洋を横断する長大な航続距離があるのですけれども、機動飛行を行い加速と原則を繰り返した場合、航続距離と飛行時間には大きな影響が出てくるわけです。そういった意味から、重要ではあるのですが、しかし、説明のためにという防衛大臣指針、意義を説明してほしいところです。

Img_1156 訓練のみ中止で緊急発進は継続されていましたが、小松基地は日本海を挟んで対岸に北朝鮮を睨み、ロシア沿海州から日本海を南下する脅威に対して対応する、文字通り防衛の最前線です。北朝鮮からの脅威に近傍にある茨城県の百里基地からでは本州を横断しなければなりませんし、部隊能力は最高レベルに維持しなければ、かえって飛行訓練時間の不足が事故の要因にもなります。深刻な問題が発生していて、全国の同型機が運用停止、というのではなく、小松だけ、という大臣指針が、理解できません。

北大路機関:はるな

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平成二十三年度十二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2011.12.03-05)

2011-12-02 18:55:14 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

今週末、正確には来週初めですがもっとも大きな行事は、非公開なのですけれども、くらま、佐世保に帰ってきます。

Img_9106_1 現在護衛艦くらま、は平成23年度米国派遣訓練へハワイ方面に10月19日に向かい、先月21日にハワイのパールハーバーを日本へ向けて出港、12月5日に母港佐世保へ入港予定となっています。入港行事などは一般非公開ですが、岸壁からその様子を眺めてみてはどうでしょうか。

Img_0024 その前日の日曜日ですが、宮崎県の航空自衛隊新田原基地にて新田原基地航空祭が行われます。F-4EJ改を運用する第五航空団第301飛行隊、F-15を運用しアグレッサー部隊を務める飛行教導隊、同じくF-15を運用する飛行教育航空隊第23飛行隊が展開しており、各駐車場からメイン会場開放二時間前に向けシャトルバスを運行するとのこと。

Img_5343 国分駐屯地祭。鹿児島県にあり、第12普通科連隊と第113教育大隊等が駐屯している駐屯地。ううむ、航空祭もそうだけれども、九州の駐屯地祭は行ったことがないのですよね。健軍の西部方面隊創設記念行事は行きたかったのだけれども小松基地開庁50周年航空祭と重なり見合わせたら航空祭が中止になったりしました。ところで、新田原とか国分とか、小説の”死都日本”を思い出す陣容。

Img_0777 近畿地方では土曜日と日曜日に福知山駐屯地祭が行われます。コメント欄でも情報を頂きましたが、土曜日に市街パレードを実施、日曜日に駐屯地創設記念行事を行う予定で、実は京都府内唯一の普通科連隊でありながら、行ったことがない行事だ足りします。7連隊はよく見ますし、元連隊長で参院議員の方の祝辞は行事でよく拝聴しているのですが。

Img_9313 呉基地海賊対処派遣水上部隊帰国。アデン湾に派遣されていた第四護衛隊の護衛艦さみだれ、うみぎり、が明日土曜日に母港呉基地へ帰国します。帰国行事は、こちらも一般には非公開ではあるのですが、周辺から望見することは、できるかもしれません。呉基地、桟橋艦艇広報の一般開放は日曜日だけですが、呉湾観光遊覧船もお散歩クルーズは、日曜日のみ。ちょっと残念ですね。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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