イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

源氏物語の中の詩!

2008-10-08 | 第十章「今ここでの恩寵」

 源氏物語というと日本文学の代表作品であるが、注意して源氏物語に関係する書籍を見ていると、いろいろな立場、職業の方が強い関心をもっていることが判る。

 心理学者、言語学者、民族学者、小説家・・・その中で、今読みはじめている本は、歌人の俵万智氏の「愛する源氏物語」(文春文庫)である。源氏物語の中には和歌が散りばめられているが、その数は759種あるそうだ。

 源氏物語は著名な小説家によって翻訳されているが、759の和歌の部分は翻訳が難しいのか、そのまま文中に置いたり、説明書きをつけたりするケースが多い。その中で、俵万智氏は原作の和歌をいくつか口語の和歌に翻訳されている。

 参考に一例を:桐壷更衣の句

 かぎりとて別けるる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり(原文)

 限りある命だけれどどうしても今は生きたいあなたのために(俵万智訳)

 当時の日本語と現代の日本語は1000年の時の中で変わり、昔のことばの微妙なニュアンスなど、やはり判らない。ただ、五七五七七に凝縮された何かは、恐らく小説の部分と異なる質をもっているように思う。それを甦らそうという試みは貴重だ。

 詩のもつなにか。日々生活する人の原初的な原体験と結びついた語感。それによって喚起される、微妙な感情や体感。聖書などを読むと、それは物語というより詩の感覚に近い。言霊ということばがあるが、深い魂とむすびつくような何かがあるようにも思える。

 話は変わるが、傾聴では、傾聴する側の純粋と一致が大切にされる。意識の表層から深い無意識の世界までを貫徹するような、純粋性とか一致である。日本には和歌等の文化が古よりある。こころの中を整理し、微妙な語感を通し表現するという営みは、凄いと思う。

<純粋と一致 1/4>

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