イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

銀杏の実、自分は何かと考える!

2008-10-21 | 第十章「今ここでの恩寵」

 一昨日、多摩センターにある美術館に行った。美術館の前にいちょうの木が何本かあり、小粒の銀杏(ぎんなん)の実が沢山落ちていた。

 高校生のとき、通学していたH高校には大きないちょうの木が何本かあり、大粒の銀杏の実が沢山落ちていた。同級生の一人が、それをバケツに集め近くの料亭に売りさばいていた。

 独特の匂いで、恐れをなす人が多い中、昔の記憶を思い出しながら、少々拾って帰った。

 高校の3年間は、若い頃は思い出すと何か辛いものを感じた。今となっては、懐かしく想いだすことが多いけど。アイデンティティ獲得の時期なのに、学園紛争などの社会的影響もあり、私と同じ年代の人たちは、独特の性格形成が行われたようだ。

 自分とは何か?何をしたら良いのか?こうした問いかけを高校の時は真面目に考えていた。若かったあのころから、約40年。だんだん初老モードに入りつつあるが、不思議なことに同じようなことを、今感じ考えている。セカンドライフかサードライフかは知らないが、節目の時なのかもしれない。

 若い頃は、これからの職業や結婚等、これからどうするのか、どうなるのかという夢と不安に溢れていた。不思議なことに、今も同じようなところがある。但し、体力的なこと時間的なことなど、制約も増えてきているので、やりたいことをどんどんそぎ落とし、質を高める努力も必要なようだ。

 今日は、拾った銀杏を食べながら、やりたいことをリストアップでもしようか!

<アイデンティティの統合2/4>

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