私は日本では珍しい、キリスト教・カトリック信徒であるが、母がカトリックであったこともあり、生まれて4ヶ月目に近くのイグナチオ教会で幼児洗礼を授かった。
当然ながら、記憶にはない。
カトリックでも大切にされている7つの秘跡のひとつの洗礼が、本人の意識にも登らない幼いうちに行われるのは不思議な気持ちがする。青年時代の血気盛んなころは、幼児洗礼など笑止千万と想ったりした。
ただ、初老に差し掛かる現在、0歳から2歳の間の、エリクソンの理論でいうと希望の時期(基本的信頼感、不信感が芽生える時期)に神との出会いを経験するということも意味あるのではと想うようになった。
想えば、日本にも「お宮参り」などの風習があり、決してキリスト教だけの伝統ではないようである。
青年時代のカトリックに対する不信感は、基本的信頼への突破口だったのかもしれないと、今となって想う。
<信頼と不信4/4>
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