イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

コンフェッション!

2008-11-07 | 第一章「意識と知覚」

 7-8年前に映画「ジャンヌダルク」を観た。いろいろ残虐なシーンもあり、何となく一度見たきりになってしまっている。ただ、その映画のはじめの方に、子供のジャンヌダルクがカトリック教会の告解を受けるシーンが何回かあった。それが何故か印象深かった。

 カトリック教会では、告解(機密保持の元で)というものがあり、自分の罪を神父に告白し、神の許しを受ける秘跡がある。子供のジャンヌダルクが、告解をするシーンが印象深かったのは、私も同様に小さい頃告解をした経験があるからである。昔は恥ずかしい中、一生懸命告白をした。そんなことが、今となって微笑ましく感じた。

 5歳から7歳ころはエリクソンでいうと、「目的志向性」の時期で、自発性を示す、充実感や達成感などの感情が芽生えると同時に、罪悪感などの感情も芽生えるころのようだ。

 この時期は、両親の影響から徐々に解き放たれ、より自分の夢などをもち自立していく時なのだろう。

 今自分のことを考えると、小学校に入学し、幼馴染が交通事故で亡くなったりし、その後両親とアラスカに1年弱住んだ時であることが判る。

 夢、信仰、イデオロギー、考え方、生きがい・・・といった、人生の指針が大切になってくると、この罪悪感がときおり姿を表すようになる。中年になったときに、一時強烈な罪悪感を感じたことがあった。それは、自分を破壊するという方向ではなく、何か生き甲斐の方向を示してくれた大切な時であった。

 これから4回、罪悪感についてのんびりと考えたい。暗そうなテーマではあるが、その先には明るい青空があるように最近は思っている。

<罪悪感1/4>

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