青年期に自分の思想を持つことは重要だと思うが、時代の流れあるいは両親や身内の影響の中にあって、安心立命な思想に辿りつくことは、私の場合は難しかった。
例えば、宗教は父の実家は熱心な浄土真宗、母はカトリック、母方の家は日蓮宗であった。日本は多神教的な風土があり、私も何となくはっきりしないまま青春を過ごしてきた。
その中で、高校の時から興味のあった、日本の古代史(弥生時代から平安時代)の関連もあり、梅原猛氏の一連の著作は、大学生のころから社会人として関西に単身住んだころにかけて熱中して読んだ。
特に、「隠された十字架」には衝撃を受けた。父も建築に携わり、法隆寺の五重塔について、時々蘊蓄を垂れていたこともあり、関西に引っ越ししてからは、何回も法隆寺にいった。
キリスト教は、カトリックの宣教師が日本に1549年に日本に伝えたというのが定説であるが、中国やインドには6世紀ごろにはキリスト教が伝わっていたとされ、いくら辺境の地、日本でも遅すぎると思っていた。それが景教として法隆寺にも影響を与えていたというのだ。
父母が異なる宗教を信じているというのは、子供にとっては何か不安な感情を呼び起こす。そんな潜在意識が、法隆寺に対する関心となっていったのかもしれない。
日本には故佐伯好郎博士からの日ユ同祖論などがあるが、その真偽は門外漢の私には不明だが、中国文明(キリスト教の影響も受けた)を取り入れた日本の文化は、間接的にキリスト教の影響を古代から受けていたと考えて良いように思う。
さて、キリスト教の伝来は個人的な興味かもしれないが、藤原氏の政権奪取の過程、それ以前の邪馬台国の時代には興味を持たれている方は沢山いるようだ。
藤原氏の正体は?蘇我氏や物部氏の正体は?邪馬台国の話は日本書紀とどう繋がるか?
歴史の闇の中で不透明な、日本の始まりを思索し、自分を見つめることは楽しい!
<自己混乱感4/4>
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