将来の為に躾も大事なので、親は幼い子供と衝突せざるを得ないと思う。自分の記憶の中でも、例えば幼稚園に初めて登園したときに、母親が黙って一人帰って行った後ろ姿を見て、泣きじゃくった記憶がある。
幼い限られた知識のなかで、裏切られた記憶、他人を疑う疑惑の原型は確実に残り、自分の今の生活の中で、無意識に影響を与えているようだ。
ただ、そうした記憶も、親の立場を考えたりし、自分の中で幼いころのまま止まった時計のようになっている解釈を変えると楽になるように思う。
さて、変に疑惑感が自分の中に頻繁に発生し、やや心の健康が損なわれているなと感じたときの対処法を考えてみたい。
ひとそれぞれだと思うが、私は、自分のアイデンティティや具体的な生き甲斐に問題がある時が多いようである。
そこで、人生計画や3か月の計画を、そういう時は新たに更新したり、見直しを掛けたりする。すると、霧が晴れたように、変に小さな世界の中で感じる疑惑感を解消し、友好的な感情に切り替わったりするようである。
私も昨日は、そんな傾向があり、今朝、計画を見直し、気分はすっきりである。
<疑惑・恥辱2/4>
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