人生には、それからの人生を全く変えてしまうような出来事があるようだ。
私にも、そういった経験があった。1999年1月3日に四谷の聖イグナチオ教会の11時のミサを授かった時のことであった。聖イグナチオ教会は上智大学の隣にある教会でもある。
恐らく、その時の不思議な経験がなければ、「生き甲斐の心理学」を勉強することもなく、2003年に長年勤めた会社を辞めることもなく、恐らく今年初孫を見ることもなく、人生が流れたのだと思う。
自分の恐ろしい側面に触れて、無意識的、意識的(その時は意識的にはまともであった)に参ってしまうことが、人生の中にはあるようだ。そんな時に、人は神秘に触れるのだろうか。
その出来事については、熱い想いがあるが、それを機に自分のこころの状態はずいぶん変わったようだ。こうしたダイナミックなこころの変化を心理学的にどう捕えるかは、日本はともかく、世界的にはいろいろ心理学の一分野として研究されている。
不熱心なカトリック信者(幼児洗礼で幼いころから教会には親しんでいたが)であったが、その時からキリスト教関係の本を貪り読み、日曜のミサにも毎回出席するようになった。
このところ、カトリックの神学などに興味がまた湧いてきた。U先生から、P・ネメシェギ神父の著作を教えていただいたこともあり、感動しながら読んでいる。P・ネメシェギ神父は1956年から1980年代まで上智大学教授でいらっしゃったのだが、残念ながら記憶にない。どこかでお会いしている可能性は高いのだが、写真を観れば思いだすかもしれない。
どんな方か、検索エンジンで調べてみた。2000年代になってもハンガリーで教授や司祭の活動を熱心にやられているようだ(最近の情報は無いが)。また、何故司祭になられたかという招命のことが書かれた文章も拝見することができた。11歳の時にオーストリアの教会でミサを授かったときに不思議な体験をされたそうである。
そんな、・ネメシェギ神父の1970年~1980年のころの著作を、今頃夢中で読んでいる。
理論、理解、信仰、経験・・・若い頃思っていたような順序には決してなっていない。経験、信仰、理論、理解・・・不思議な順序である。
<平和 3/6>
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