本当に嬉しかった時はどんな時だったかと想いだすと、自分の人生で青年時代以降、特に責任を持たされたサラリーマン時代は意外と少なかったように思う。
折角人生の大イベントに成功しても、他人の眼を気にしたり、次の目標を変に考えたりで、喜びの感情を押し殺してしまっていたのではないか。
さて、「生き甲斐の心理学」を学んでいくと、幸福を漫然と思考するのではなく、幸福感と幸福の条件に分けて考えることを繰り返し学ぶ。
例えば、幸福の条件は「A大学を卒業し、高級官僚となり、行く末は代議士になる。」とか、「素晴らしい人?!と結婚する。」、とかいろいろある。但し、その条件が満たされたとしても、芯からの喜びを味わえるかは別である。世俗的な条件は意外と本当の喜びから遠い。
一方、幸福感は身体や心(日本語は曖昧だが、例えば英語であればマインドとかソウルとかいろいろ区別できる)をもつ人間が具体的に感じるものである。
小学生の頃のアラスカの生活の中で、小石や貝殻、プラスチックでキラキラ輝くものに感動し、秘密の場所に、こっそり隠し、時々見て喜んだ。その時の感情かもしれない。
大人になって、不幸な状況で突然味わった至福感。人が狭い思考の世界で作り上げた幸福の条件と違い。大げさに言うと、基本的に与えられたプレゼントとか恵といったようなものかもしれない。
昨日ブログを書けなかったが、実は携帯の機種変更し、それに夢中になったからであった。話は変わるが、実に技術の進歩は凄い勢いだなと実感した。毎年毎年倍倍ゲーム!
それはともかく、今は8Mの静止画像をらくらく撮れる携帯を持ち、朝のベランダの花などを撮っている。少年の時の、素朴な喜びを今再び味わっている。
<少年時代 4/4>
人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!