昨日、ルーブル美術館展を上野の国立西洋美術館で観た。現在、六本木でも「美の宮殿の子供たち」という副題のルーブル美術館展もあり、どちらに行くか迷ったが、フェルメールの絵に惹かれて上野に行ってしまった。
有名な17世紀の絵をゆっくり観られたが、一番感動したのは、カルド・ドルチの「受胎告知 天使」であった。思わず、絵の前で十字を切りたくなる絵であった(教会の中で観れば必ずそうしただろう)。上野に行かれる方の参考になればと思う。
そのあと、久し振りに国立西洋美術館の庭でのんびりしたが、巨大な考える人(拡大されたレプリカ)にはびっくりした。昔はなかったはずだ。
思考すること。
本を読んだり、友達と語りあったりで、思考する楽しさや苦しさを本格的に味わい始めたのは、やはり青年時代からであろうか。
そして、私は理工科系の勉強をしていたが、思考する楽しさは、身体で実感できる真実と密接に繋がっていることを学んだようだ。卒論研究では統計理論をユークリット空間の中で表現して理論を確認でき、実に感動したものである。
この感覚は、統計理論だけでなく、思想などあらゆることに関係するように思えた。象牙の塔に埋もれるより、実社会のなかで様々な経験を積みたい。そうした想いは、今考えても健全ではないか。「生き甲斐の心理学」で学ぶ、カール・ロジャーズの19の命題に通じる健全な考えだと思う。
現在、心理学とか宗教に大きな関心があるが、学んだり、研究したりするスタンスは、やはり真理(理性の領域)と実感(信仰の領域)を大切にするということではないだろうか。それが、さまざまな批判に耐える思考の深さに繋がると思う。
<アイデンティティ確立の時代 3/4>
人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!