上野のルーブル美術展に行った時に、不思議な二人連れの芸術家と思しき人が印象深かった。昨年のアボリジニの画家エミリー・ウングワーレ展でも判らない判らないとつぶやく初老の男性が印象深かったが・・・
絵を見ながら、この辺は下手だなと呟いたりしていた。私は著名な美術館に対して、幼いころからの概念で、下手な絵があるとは思ってもみなかったので、流石芸術家と思ったりした。
その後、17世紀の代表的な宗教画のコーナで、ちょっと離れていたので、その二人連れとは違った人だったかもしれないが、「アーメン・ソーメン・冷そうめん」 とふざけて呟いたのが聞こえた。
カトリック信徒の私であり、ちょっとカチンときたが、素晴らしい絵の迫力で、その二人のことは忘れてしまった。
後で、その時のことを想いだすと、何か懐かしかった。
幼い時、いつのころかはっきり判らないが、母に連れられて、高円寺の修道会に行ったことがある。静かな廊下で母と待っていると、真っ白の姿の修道女が来られた。
お祈りをしましょうということで手を合わせたが、その時、「アーメン・ソーメン・冷そうめん」 というようなことをふざけて言った。修道女はびっくりされたが、優しく微笑んだようだった。
聖なるものの前で、茶化すような、防衛機制の原型かもしれないし、それが微笑みで優しく外される時の記憶かもしれない。
ルーブル美術展は、不思議な自分を発見する場でもあった。朝観た矢車草。ブルーは愛の色でもある。
<少年時代 2/4>
人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!