青春時代のことを、この2-3日考えてきた。その後の人生を考える上で、青春時代に信仰の問題を曖昧にしてしまったことが残念である。世の中の風潮に流され、本物を本気で知る勇気を持たなかった自分が悔やまれる。
母や今は亡きAさんが、教会{四谷)に気楽に行ってみたらと言われていたが、行かなかった。行けば、世界的な神学者(今はペテロ・ネメシェギ氏を想っている)に会えたかもしれなかったのに、自分でその道を閉ざしてしまった。世の中は、不正確な情報に充ち溢れている。特に、宗教関係はそうである。
宗教関係(哲学も同じだと思うが)に関して、強く思うのは、ある宗教に関して信仰を持っている本人のその宗教の話や著作はかなり信用できるが、自分の宗教(哲学でも良い)と異なる宗教(哲学)を語る人には注意しなければならないということである。例えどんな有名な人であっても!
田中かの子氏は「比較宗教学」という素晴らしい著書を出されているが、著書で他の宗教を語るときに、その宗教を信じている知人・友人をとても大事にされると書かれている。本当にそうだと思う。そのようなデリケートな配慮を必要とする分野なのだろう。
正しい知識。真実。青春時代にこうした知識に触れられたら・・・
残念と思いつつ、長い道のりの末に辿りついた現在を想うと、その防衛機制に満ちた道のりも、自分にとって大切な意味があったのに違いない。
<アイデンティティ確立の時代 4/4>
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