イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

島!

2009-04-18 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 島の見える海は、何かホッとする。今年になってからも、伊豆の東海岸から大島を見たり、腰越からこの写真の江ノ島を見たりした。

 広島県の父の実家がある所も、瀬戸内海の島々が見える。自分の中には、様々な島の景色の記憶があるようだ。

 一番はじめの島の景色の記憶は、7歳の時に両親とアラスカのシトカに行って、ホテルの窓から見えた海に浮かぶ島であった。シトカ自体、バラノフ島という島にある町であったが、周辺も瀬戸内海と同様に沢山の島が浮かぶ地域であった。

 夏のシトカのホテルから見える景色は、初めて異国の土地に行った私にとって、不思議で驚きであった。子供が、一人悠々と泳いでいるのが見えた。夏のアラスカで、かつ、シトカ周辺は黒潮(暖流)の通り道で、泳げないこともなかったようである。

 ホテルの窓からは、他にも不思議な景色が見えた。庭先で一人の男の子が、思索し頷いたり、歩いたりしていた。その光景を飽きずにじっと見ていた。自分自身も考えたりするのが好きで、そんな自分を投影していたのかもしれない。

 もう50年前の記憶であるが、シトカでの約1年の記憶は不思議なほど、鮮明で沢山ある。6歳や8歳ころの日本での記憶は乏しいのと対象的である。危機の記憶、不思議な事件(本人にとっては)の記憶は幼い時でも脳裏に焼きつくようである。

 アラスカでの1年と日本に戻ってからの数か月。7歳のころの体験は、意外に深く自分の人格形成に関わっている。こうしたノンビリしている時間もあったが、突然意味不明な英語の飛び交う世界に一人投げ入れられたり、想定外の出来事にで会ったりした。

 今でも変な慌てグセがあるのは、当時の強いストレス曲線のためかもしれない。ただ、運が良いことに、人情の厚いコミュニティのあるアラスカンの土地であったので、多くの場合助けられた。

 島や泳ぐ子供のように、世の中は悠々として楽しげで、異国の土地でも何も慌てる必要はなかったように想うこのごろである。

<少年時代 1/4>

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