久し振りの晴天!風がちょっと強いが、気持ちの良い日曜日である。
この一週間の感情生活を振り返ると(自分の感情の流れを意識して生活するのは、カウンセリングや生き甲斐の心理学を学ぶなかで、覚えたことであるが。)、今週は、何とざわついた一週間であっただろうかと思った。
2-3年ぶりの携帯の機種変更で、新しい機能に驚愕したり、日々の仕事などで瑣末なストレス。一見充実しているように見えるものの、今まで感じなかった、空しさを感じ、どこか浮ついた浅い喜びのようなもの(偽りの感情?)を、意識して避けたこともあった。
昨晩は妻と外出し帰りがけに、駐車場でバッテリーが上がり困っていた方から、たまたま助けを求められた。簡単なことであったので、お手伝いをした。事が終わり帰ろうとしたら、お礼だと言われお金を手渡された、その時のやり取りと感情の流れが嫌に気になっている。
何か物質的な事柄の過剰さに、嫌悪感を感じるのだ。それも、いままで気にならないことが、気になっている。
今のざわついたストレスの原因の一つは、恐らくこの一か月近く少しずつ読んでいた、カトリック神学者のペトロ・メネシュギ神父の影響が強いのであろう。今まで様々なカトリックに対する理解しにくかったことが氷解し、豊な平安感に包まれたことが何回もあった。その反面、日常の中で新しいストレスが登場する。
現代は、感情や気分を重視する、癒し的なものが流行っているが、きちっとしたロジカルな思考(体系的な思想や神学の理解)が本当は大切なのだろう。感情は理想と現実の差異から生じると考えれば、当たり前であるが。
特に、感情労働(人との関わりが多い職業)をする方にとって、感情と密接な関係にある自分の思考体系をときどき点検するのは意味があることだろう。
<自分をみつめる 3/4>
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