イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

そのままで充分美しいつつじ!

2009-04-29 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 つつじが咲き、花水木も咲き、わたしの住む地域は花が溢れている。 

 道端の良く見かけるような、つつじであっても、ゆっくりと花弁を見ると、なんと美しいものかと感動する。地球上のあらゆる生命が、基本的には同じ構造のDNAからなりたっているのに、なんと多様で美しいのだろうかと感動する。

 この世が、サイコロをふるよう確率論的な世界ではなく、Something Greatが基本的に慈しみ深く支配されているのだなとふと感じる。

 しかし、つつじの花のような素晴らしい世界がある一方、人間の作り出す世界の悲しさを、最近よく感じてしまう。

 経済ニュースでは、A社が大規模なリストラ策を発表し、投資家に好感されて株価上昇とあったりする。たまたまA社に勤めている知人が、何か月前かに、悲惨なリストラ策に関わり嘆いていたことを思い出し、何か変な気分になる。

 立場や視点、関わる深さによって、評価は変わるものなのだ。

 今年になって、観た若松孝二監督作品「実録 連合赤軍 あさま山荘への道」もいろいろ考えさせられた。理想を信じても、あまりにも悲惨なことになってしまう世界をかいまみたようである。

 理想が凶器にかわること。こうした歴史的事件もあるが、日常のささいなことでも、結構ある。身の丈にあった、身体感覚といったようなもの、こうした場合の安全弁として重要なのだろう。

 思考・感情・行動がバランスよく回転し、他者肯定・自己肯定的であり、日々生きがいを感じたいものだが。

 しかし、つつじは、何も難しいことを考える風でもなく、そのままで充分美しい。

<理想と凶器 2/4>

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