自分の慌てグセのことを最近考えている。
小学校から、何回も注意され、家庭でも言われてきたが、「生き甲斐の心理学」を学んいることもあり、最近、学問的に考えている。
いろいろな時に、私は慌てる。ケアレスミス的なことが昔から多い。その原因はなんだろうかとのんびり考える。
生育史を具体的にのんびり考えるということが基本である。ただ生育史を、どのように考えとらえるかという土台(哲学)も極めて重要で、心理学とは直接関係ないが人間観(哲学)を磨くことは重要だ。ちょっと回り道のようであるが。
人間観の面では、この一か月カトリックの思想を初心に戻り勉強してきた。良書に恵まれたこともあり、何回か目を開かれることがあった。
人間観・世界観が変化すると、自分のもつ理想も変化し、当然であるが、感情生活も変わる。そして防衛機制も変化し、今まで気がつかなかった自分が見えてくる。
昔の生育史を余り細かく分析しても、昔の不明瞭な記憶で原因は良く分からない。ただ、何となくこのあたりにあるのかな程度である。・・・でも、人間観の土台が変わるだけで、生育史のとらえ方も変わるので、不明瞭で充分かもしれない。
長い間、大河ドラマのように個人の、生育史は織りなされてくる。生育史からくる、自分の癖に苦労している自分に気づくと、思わず自分にご苦労様と声をかけたくなる。そして、他人への見方もより優しくなるようだ。
愛そのものの全能の神(Something Great)がいたとしたら、自分のことをどのように理解するだろうか。そんなことも週末じっくり考えてみたい。
<自分をみつめる1/4>
人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!