先日の東京のふるさと探究で自分の育った地域に行ったせいか、自分の喪失の原形というか、若いころの経験を今日は考えている。台風の影響で天候もさえないこともあり、喪失の経験がじわじわと浮かぶ。
さて、「生き甲斐の心理学」を学んだことによる典型的な成果は、6歳の時の幼友達の近所での交通事故死の心の整理があった。身近な人が亡くなることによる影響は根深いものになりがち。時が解決するということを言う人がいるが、私は大きな誤りであると思う。積極的にその感情を整理しなければ何年たっても解決には至らず後ひく。私の場合など50年くらい影響があった。
身近な人を喪失することは、でできていたことができなくなることで、喪失感が生まれる。代替え物のようなものはありそうだが置き換えは多くの場合期待できない。
喪失感とは別に、今まで生前の人により困っていたことが解消されることもある。喪失感とは別に、安堵感が生まれることも。私の場合は、幼友達の喪失で、苛められなくてすむという安堵感の整理ができず、感情を引きずってしまった。
8歳のときに亡くなった祖母については、病院に入院し亡くなったのだが、子供ながらも見舞い等に行けなかったりお別れを告げられなかったことが問題になったようだ。意識に上がることは少なかったが、不全感というか罪悪感というものが、結構抜けなかったようだ。遅れ馳せながら、最近になって母の話や祖母の生育史を知る努力の中で、解消してきたようだ。仲が良かった祖父は16歳で亡くなったのだが、亡くなる直前まで親しくしていたので、そういう不全感や罪悪感は全くないのと対照的だ。
しかし、その家に出入りしていた、祖父の友達や、両親や親戚、ぺット(秋田犬他多数)。当時は賑やかなものであったが、それが今では故人が大半で、なんとも悲しいものだ。まあ、昨日の「死後の世界へ」ではないが宗教や哲学を信じることで癒される部分は大きいことも事実だ。
こうした喪失の経験の中から、ある種の自分なりの習慣というか人格がつくられていくようだ。そして、それが形をかえ、いろいろな人生の局面で顔をだす。例えば、高校・大学時代は学園紛争の時代であったが、その中での喪失感も、その背景に友達の交通事故死や、祖母の経験などが重なり、より重苦しいものにしていたようだ。もし、早めに喪失の原体験をより整理していたら、青年期以降はもっと違ったものになったかもしれない。
私たちは、公教育等で社会人として活躍したりすることを学ぶが、喪失体験への対処方法も含め、生き甲斐の心理学にあたる体系的な心の教育を受けた覚えはない。東日本大震災、福島原発問題、高齢化問題・・・日本もかつてのような行く行けドンドンではなく喪失への対応が大きな課題になっているのだ。生き甲斐の心理学をもっと普及せねば!
ストレス曲線をバネに① 2/10