イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

好き、嫌い、から観える大人の夏休み!(ストレス曲線をバネに! ③ 3/10)

2014-07-30 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 小学生のころの楽しい夏休みまでは行かないが、大人になってからの夏休みも結構楽しいものだ。私は毎年亡父の実家に旧盆ごろに行き楽しく過ごすことが多かった。しかし、今年は残念ながら、諸般の事情から行けなくなり地元で過ごすことに。

 ただ、最近地元の歴史に興味を持ち始めたのか、毎日が楽しくてならない。先日も、空いた時間に多摩センターを訪れて、埋蔵文化財調査センターの展示をじっくり見た。No.72、No.107、など特に堀之内周辺の遺跡で現地に行ったりしたので、実際の土器や土偶、生活用具などに接するとじわーと感動する。なんでもそうであるが、人間は時間と空間の交差する世界に生きているので、両者がピタッと一致するところで何かを理解し経験するのだと思う。

(埋蔵文化財調査センターには豊富な遺跡の展示だけでなく、調査研究書などもそろっている)

 さらに、その日は近くの多摩美術大学美術館にもよってみた。「東北のオカザリ -神宿りの紙飾りー」を展示していた。東北出羽三山の修験道ともつながるといわれる紙かざりで、日本の縄文時代の何かを伝えているようで感動。紙かざりはシンメトリーな要素が結構あるが、例えば縄文土器にも蛇体文や人体文などシンメトリーの要素も多く、共通の何かがあるようにも。4-5千年の前の世界は今と随分違うとむかしは思っていたが、中国の揚子江周辺の文化などで1万年前の養蚕やコメ作りなども発見されたりし、以外に当時の生活と現代の生活も似ているかもしれない。このあたりを実感できる小説はまだ見たことがないので、どなたか縄文時代の歴史小説を書かないだろうか?(私が書こうか・・・など妄想がはじまる)

 まあ、こんな風に、今年の夏休みは(もう夏休みかもしれないが)小学生のころのように好きなことをしつつ、縄文時代や古代、戦国時代、江戸時代、明治と想像の世界に羽ばたこう。

 さて、生き甲斐の心理学では、原初感情としての好きー嫌いを大事にしている。私も真夏の暑さのなか、ちょっと不気味な山里に入ったり・・・ストレス曲線をものともせず、好きなことをしている。好きのパワー全開である。

 しかし、ものには時期というのもあるようだ。私が縄文時代にうつつを抜かし、歩いて見つけた土器の破片らしきものを自慢げに孫娘に見せたり、いっしょに縄文土器を見に行こうとさそったりするが、いっこうに興味が湧かないというか、祖父の縄文熱に嫌気がさしているようでもある。まあ、私も幼かったころは歴史など殆ど興味がないというか嫌いであった。

 写真は堀之内駅前に咲いていたひまわりの花であるが、太陽の光を真正面に受ける感じが好きだ。しかし、生命は何か朝顔の弦のように、光に向かって直線的に進むのではなく、好きと嫌いのバランスというか、その中である一定の進入角度を見付けつつ螺旋状に向かうようなのだ。

 嫌いは、とても大事な感情であり、これを意識することは新たな発見に繋がると思う(勿論、無理のない範囲であるが)。そして、嫌いは永遠なものでなく、環境や身体などが変化する中で、好きに変わることも気づく。例えば、幼いころ嫌いであった、セロリやチーズは今では好きに変わっている。自分の好き嫌いの感情の歴史から、嫌いという感情の深い意味が少し観えてくる。

ストレス曲線をバネに③ 3/10

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