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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

真のゆるし・和解のための必要条件とは?!(ストレス曲線をバネに ② 6/10)

2014-07-23 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今日は白蓮事件の最中にある蓮子さんを、花子さんが訪問する名場面であった。腹心の友になったとはいえ、時は様々な難題をもってくるものである。花子さんは、ある意味蓮子さんに裏切られ傷つく。そんな中、花子さんは何とか蓮子の居場所を探しだし対面。しかし、当然ながら感情のしこりがお互いにあり、怒りはそのままでもあった。

 そして、戸惑いや怒りを互いに言語化する中で、この腹心の友は、お互いを理解し友好的感情が復活する。実に爽やかな場面であった。

 昔は腹心の友と御託を並べても、すんなりと友好的な感情に再会できるのではない。友好的感情の反対の怒りや戸惑いをバネに、その感情の意味を考えることで和解を勝ち得るのが『生き甲斐の心理学』のセオリーであるが、まさしく健全な対応の仕方だったと思う。

 さて、私は昨日、八王子の散策をしてきた。真夏なので行動は限られたが、行きたかったところ4-5か所に行ってきた。半分は古墳時代に関係するところ。そして、半分は中世以降で八王子に深い関わりがあるところである。

 由木の里で一番有名な永林寺にもよさせていただいた。このお寺の前は、恐らく何百回も通り過ぎたのだが、不思議に一度も入ったことが無かった(由木中央小学校前の近く)。機が熟したのか、入ってみると実に立派な寺院、眼を疑うばかりであった。しかも、私たち以外は参拝者は皆無。寺の奥には由木城址があり、記念の石碑や寺院の創設に関与した大石定久の像。由木城は後の滝山城そして八王子城に関わる、後北条の拠点であった重要な、何というか八王子の原形のようなところだ。感動しつつ、家に帰り、読みかけの「武蔵国多摩郡と由木の里の昔語り」(石井義長著)のページをめくった次第である。

  

 ますます、由木病になりつつある私のようだ。

 しかし、今回の由木の旅だけでなく心理学、歴史、太極拳・気功、宇宙・・・などには興味は湧くものの、興味が湧かないものも多い。盛んに薦められても関心の湧かない代表例としてはゴルフがある。自分でも、好きになろうと努力しても成れなかった。そんなことで、今朝は何故、ゴルフに興味・熱意が湧かないかを思索してみた。

 それは、小学生のころの父との出来事に由来するようだ。ゴルフ好きであった父は、休みといえばゴルフ。家族は寂しい想いをしていた。そんなことで、防衛機制の置き換えの作用であったのか、過激にも父の大切にしていたゴルフの本を燃やしてしまったことがあった。当然怒られたこともあるが、それから、何となくゴルフにたいする感情が変になったようだ。

 「生き甲斐の心理学」の理論からすれば、父への怒りを再確認して、それを乗り越えなければ、本来の父への和解、友好的感情は湧きにくいのだろう。白蓮と花子の怒りから友好的感情へのシフトと同じように、父への怒りを再認識し、それを綺麗ごとでなくリアルに再認識しない限り、ゴルフ嫌いは収まらないだろう。もう、天国に行ってしまった父に、自分の怒りをぶつけつつ、大人になったのだから和解したいものである。

ストレス曲線をバネに② 6/10

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