イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

日々の不安感は宝の山、まずは分類を!(ストレス曲線をバネに ③ 1/10)

2014-07-28 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、都内の老人ホームで夏のイベントがあり、踊りや食事を楽しんだ。ポピュラーな日本の踊りには、東京音頭(発祥は丸の内)もあるが、今回は炭坑節に聴き入ってしまった。ちょうど「花子とアン」で嘉納伝介のかっこいい場面だったこともある。確かに、炭坑節も当時の石炭王というか、超金持ちが御座敷遊びをはでに行い、その結果炭坑節もポピュラーになったとの背景もあるらしい。

 そういえば、今日の「花子とアン」も、嘉納伝介の「一度ほれた女だから・・・」には陶然とする何かがあった。しかし、その反対に葉山伯爵の何ともアリジゴクにおちるような不安感と行動は対照的だと思った。不安感への対処。現実吟味力というか・・・その差に思わず見入ってしまった。

 U先生の「生き甲斐の心理学」を学んでしばらくすると、自分の不安感をいろいろ分類したりするようになった。テキストにも、自分の不安感を分類することの大切さが書かれているが、実にそうだとおもう。感情を表す言葉はいろいろあるが、例えば本日味わった不安感を書きだしてみよ!といわれても、20も30もいっぺんに出てくる人はまれだ。私も、その中の一人であるが。

 「生き甲斐の心理学」のテキストには、その不安感を様々な切り口から分析するノウハウに溢れている。しかし、自分の感情でもって分析する労を取る人は意外に少ないと思う。

 さて、昨日は老人ホーム訪問の後で、新宿に寄った。そして、以前に内藤新宿探索した際、寄らなかった角筈、十二社(じゅうにそう)方面を散策した。以前は仕事のオフィスが西新宿にあったため、この都庁周辺は毎日のように行ったものの、私も一般のサラリーパーソンに漏れず、地域の歴史なども殆ど知らず、まあ熊野神社とか十二社の池(昭和30年台後半まであった)くらいは知っていたものの、それを真面目に考えたことはなかった。

 しかし、夕方の十二社方面を歩き回ると、縄文海進で沼地であった、このあたりのなんとも言えない体感を思いだした。写真は、十二社方面(昔の池のあった周辺)から都庁をとったものであるが、地中から空を見上げるような解放感が味わえるのもこの地ならではである。

  

 不安感の分類方法の一つに、湧きあがる不安感は身体からくるか、生育史からくるか、魂からくるかという3分法をならったことがある。これは、私にとって実に役立つ分類だが、昨日の不安感は、湿気というか身体からくる不安感、そして、以前このあたりで仕事・生活をした生育史からくる不安感、それから宗教的な領域の魂からくる不安感、どれから来るのかいろいろ考えた。

 十二社の熊野神社は、新宿の原点とも言われるところで、十二社の池なども含め中野長者伝説として鈴木九郎の伝説として有名。詳細はWikipediaにもあるし、「アースダイバー」(中沢新一著)にも詳しい。

  

因みに、不安感は理想と現実のギャップから起こるという理論を知っていると、不安感解消や回避方法への道筋がすっきりすることが多い。様々な不安感にまみれる私たちであるが、混然として不安感の塊になるよりは、不安を理想と現実の把握から解体したり、分類することで優先順位をつけたりすれば、どれだけ楽になるか!あるいは、これからの人生への道しるべとして、不安感を利用すればどれだけ価値があることか!

ストレス曲線をバネに③ 1/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o