イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

厭世人(ペシミスト)はカッコ良いか?

2008-02-25 | 第三章「無意識の世界」

 理想というものは、意識の世界にもあるが、無意識の世界にもあるそうだ。ふと、思うのは、自分は意識の世界では自分のことをペシミストとは思わないが、無意識の世界ではペシミストと自己認識しているのでは?

 想えば、学生時代には学生運動などで挫折した人のことを書いた本を読んだり、ニヒルな映画を見て共感したこともあった。世の中を斜に構えることが、何となくカッコ良いと思っていたふしがあった。基本的には防衛機制で逃避的態度なのだろうが。

 この一週間、いろいろ戦争に関係した方の本や、伝記、映画を見た。昨晩はシンドラーのリストを見た。ポルポト政権の虐殺の話も読んだ。

 また、牧師で著名な神学者であるボンへッファーが、ヒットラー暗殺計画に関与し絞死刑になるまでの伝記を読んだ。コルベ神父の伝記も有名であるが、非常に不思議な立場をとったボンへッファーも勉強する価値があると思う。

 日本でも、諸説があるが第二次世界大戦で民間人が80万人、兵士が230万人亡くなったが、ホロコーストでは600万人、ポルポト政権で100万人以上が亡くなっている。(数字は諸説があるのでご注意ください。)。そして今でも・・・・

 こうした異常なことが起こる社会も問題だが、自分の中にあるペシミストはどうだろうか?

 謙虚になって普段見ない悲惨さを学んでいくと、ペシミストを乗り越える何かが見えるような気がしている。

<創造の時3/4>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!

 


回答は何処にあるのか?本人の中に!

2008-02-23 | 第三章「無意識の世界」

 大学生の時に、従兄の影響もあり、「創造の世界」という雑誌をいつも、楽しみに読んでいた時期がある。湯川秀樹と、同志社大学の市川亀久弥教授の対談で、様々な天才をケーススタディし楽しげな議論をしていた。印象の深いところでも、空海、世阿弥、啄木などがある。

 創造のプロセスは何だろう?工学的に勉強したいというのが、当時の私であった。その夢はサラリーマン生活の中で、未完のままになってしまっていた。しかし、サラリーマンを辞めた今、工学的なアプローチではないが、同じような勉強をしている自分に気が付く。

 人はそれぞれ、自分を生きている。

 見方を変えると、人は生き甲斐を見つけ、悔いのない人生を生きようとする存在だと思う。何も天才とか、創造とか大げさに言うまでもなく、ある意味で人は皆、自分を創造的に生きている存在である。

 そして、生きる上での核心の一つは、人生の節目で、自分の無意識も総動員して何かを決め、より良く進んでいくプロセスではないかと思う。

 今、私は聖パウロの言葉、「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。・・・」(コリントの信徒への手紙 6-19)という考え方に心酔している。

 この考えを推し進めると、人生の節目で、自分の前に置かれた難問を解決する場合。それは、前例や他人のアドバイスに頼るのではなく、自分自身のうちに回答があると考えることになる。他人は支援はできても、一番問題を知り、自分を生きている本人にとって代わることはできない。

 尊厳と謙虚の両輪がある「人の身体は神の神殿」の考え方は、植村高雄先生の「生き甲斐の心理学」でも核心でもある。

<創造の時2/4>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!


健全な危機感!

2008-02-22 | 第三章「無意識の世界」

 昨日久し振りに雑誌を購入した。「没落する日本」の特集を組んだ、週刊エコノミストである。世界大学ランキングで、上位100校に日本の大学が4校しかない。一人当たりのGDPも1993年の2位から2005年の18位。そんなふうに、いろいろなデータと解説が掲載されていた。

 そして、乏しい危機感・・・というような記述が目についた。

 ある記事で話の展開を辿ると、日本はどうなるのかなど、不安感が出てくる。ただ、データを静かに眺めていると、急速に進む高齢化の中で、個人的にはまあ頑張ってるじゃないかと反対に安心したりすることもある。ある人は、同じデータを見て、危機感を抱き、ある人は安心したりする。

 ひとつの事象を、どう感じ、どう考えるかは、本当に人それぞれだと思う。

 ただ、危機感は個人の活動や組織の活動で、重要な働きをする。生き延びるためには、危機感は重要だ。しかし一方、不健全な危機感はこころの健康を脅かすこともあるし、組織の活動を混乱させることもある。

 健全な危機感とは何か。自然体で自分の体感として知覚する危機感がベースだとは思うが、深く考えなければならない問題のようだ。

<創造の時1/4>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!


忘れられない誕生日!

2008-02-21 | 第三章「無意識の世界」

 先日、ふらっと入った公園の池の畔に立っていると、水鳥が向こうから沢山やってきた。終いには鳩の大群まで押し寄せて、私の周りは鳥だらけになってしまった。

 私を、餌を与える人と勘違いしたのか、たまたま鳥が集まったのかはよく判らない。ただ、鳥に囲まれ幸せな気分になり、おまけにブログ用の写真も撮れて嬉しかった。

 過去の人生を振り返ってみると、この時のように、突然の贈り物を与えられる時があるように思える。

 1999年の正月のある日。長女の誕生日であった。その日は、親戚で四谷の母の家に集まり、お正月のお祝をしていた日でもある。

 この日、ほろ酔い気分で母に勧められ、妻と一緒に行った教会でSomething Greatに出会った。詳細はSomething Greatに出会う日を。

 長女は、この時受験勉強の最中であった。中学、高校と波瀾万丈の人生を送っていたが、数か月前から意を決して受験勉強をやっていた。そして、この日も四谷の母の家に来ることもなく、家で勉強をしていた。

 恐らく、長女にとっては、普通の誕生日だったと思う。だが、幸運なことに娘は受験にめでたく合格し誰もが驚いた。その後はまた、彼女は波瀾万丈の人生を送り続けたが、いくつかの幸運が重なり、最近は安定感のある日常を送るようになってきて、父親としてもほっとしている。

 1999年の彼女の誕生日をきっかけに、何かがいろいろ変わりだしたように思えてならない。

<生命の時4/4>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!


海は好きだけど怖い!

2008-02-20 | 第三章「無意識の世界」

 海はいろいろな顔を表す。優しい海、恐ろしい海、怖い海。

 多様な海の記憶の中で、私が10歳の夏に経験した経験を今、思い出す。それは、伊豆の今井浜海岸での出来事で、今までも何回か思索した出来事である。

 家族4人(父母、妹と私)で旅館に到着し、一家団欒の時を久し振りで過ごした。そして、父と将棋でゲームをしたが、その時、ゲームのルールについて意見が分かれ、喧嘩になってしまった。父に怒鳴られ、悔し涙を流した。

 その翌日、台風の余波で波が高かった海岸で海水浴を楽しんだが、飛び込み台付近で波にさらわれ溺れかかった。その時父に危うく助けられた。父が命がけで飛び込み台付近を潜り助け出してくれたのである。

 この時の記憶は今でも、はっきりと覚えている。ただ、その事に絡めての、父への想いは、感謝の念というより、何か複雑な感情のようであった。

 昨日、たまたまカウンセリングの勉強会に参加し嫉妬の勉強をした。当時の自分は、事件前日の父への感情を想うと、父への嫉妬、劣等感等を持ち始めた時期であったように思う。そして、その事件の記憶と共に長年、父への複雑な感情としてあったように思う。

 今、その溺れかかった時のことを考えると、何か不思議な感慨でいっぱいになる。

 私は、確かに父に素直に感謝できない事情があったかもしれないが、少年時代を健全に成長していく途上であった。

 また、父は学生のころに、溺れかかった人を救出した自慢話を何回か私にもしてくれたが、実の息子を救出することになってちょっと複雑な気持ちだったかもしれない。自分の監督責任のことに、心を痛めたかもしれない。

 そして、自分が助かった過程を考えると、何か神の摂理を感じてしまう。

 10歳の子供のちょっとした事件であるが、親子の愛、そして神の愛が溢れていたのかもしれない。

 <生命の時3/4>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!