イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

桜の咲くころ、亡くなった方との愛の会話を想う!

2008-03-26 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日は、私の幼いころからカトリック教会で大変お世話になった方の追悼ミサに行った。小学生の3-4年のころからお世話になり、娘の洗礼までお世話になった。一時私が教会を離れていた時も、静かに見守ってくれた。

 亡くなる前に、娘と老人ホームを訪れたが、その時の楽しい会話は今でも忘れられない。その時の会話を魂と魂の愛の会話と考えると、胸が熱くなる。話の筋が少しくらいずれていても、そんなことはどうでも良い。

 四谷のイグナチオ教会の前の土手は、丁度桜が美しく咲きはじめていた。黄色いレンギョの花もいつものように咲いていた。先日まで寒々と枝を張っている桜が、美しいピンクの花を突然咲かせる、そんな桜の再生のイメージは強烈である。

 悲しい中で、自然体で祈ることができたのは桜のせいかもしれない。

 人は必ず、様々なものを失う時期を迎え、知力、体力を失い最後には身体の死を迎える。そのような人生で、神を信じ再生を願えるのは感謝以外のなにものでもない。

<愛の方程式4/4>

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どんな人も愛そのものの魂をもっているか?

2008-03-25 | 第四章「愛とゆるし」

 昨晩、故本田美奈子さんの病床でのボイスレターでの岩谷時子さんとの交流について特集があった。師弟の関係を越えた交流。命、魂の美しさに感動した特集であった。

 魂は美しいものだと思う人は多いと思う。私も、この5年近く福祉の勉強や仕事、ボランティアをしてきたが、はっとする瞬間というものを何回も経験した。福祉の教科書も、重度心身障がい者から受ける暖かい気持ち等の記述があったが、恐らく共通して受ける感情なのかもしれない。

 それでは、極悪人と呼ばれる人、あるいは今まで経験した最悪を想われる人にも、美しい魂はあるのだろうか?

 魂についての研究は、哲学や宗教の世界でなされている。私も、数年前まで殆ど考えたことはなかった。ただ、福祉の学びの中、生き甲斐支援のカウンセリングの学びの中で、魂の存在を信じ、またそれが愛そのものであることを信じる重要性を学んだ。

 自己肯定、他者肯定の考えを推し進め、人の身体に宿る愛そのものの魂の存在を信じること。日々の生活を豊かにしてくれると思う。

<愛の方程式3/4>

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狼に気を付けて!

2008-03-24 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日は、イースター。今日は私の誕生日。2日続けてのお祝である。楽しいはずなのに、今日の目覚めは、悲しみの感情が心の奥から、微かに感じられる。

 最近、自殺予防の本を読み、亡くなった方やそのご家族、関係者のことを思い出したことが原因のようだ。また、福祉関係の仕事場で、深い悲しみの表情の方々を思い出したこともある。

 愛のない状態を地獄と定義すれば、自己否定・他者否定、自己否定・他者肯定、自己肯定・他者否定の世界は地獄の世界に近いかもしれない。唯一、自己肯定・他者肯定の世界が別世界のように思えてならない。

 ただ、自己否定・他者否定、自己否定・他者肯定、自己肯定・他者否定の世界が無意味かと言えば、自己肯定・他者肯定の世界の輝きを教えてくれるので、その意味で感謝すべきかもしれない。

 テレビをつければ暗いニュースばかりが流れる。この世は、人の気持ちを暗くする狼に満ちている。昔読んだベストセラー、「赤頭巾ちゃん気お付けて」ではないが、狼に日々気お付けなければならない!世界は本来もっと明るいはずだ!

<愛の方程式2/4>

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愛の方程式、自己肯定と他者肯定!

2008-03-23 | 第四章「愛とゆるし」

 今日は復活祭(イースター)である。昨晩はきれいな満月のお月さまであり、春分を過ぎてから初めての満月の次の日曜日が復活祭であることを実感した。

 今年は、来月から「生き甲斐の心理学」普及活動の他の自分の仕事が変わることもあり、気分的には復活祭で新たな人間に生まれ変わりたいという思いが強い。52歳でIT業界のサラリーマンをやめ、社会教育と福祉の二つのやりたいことを目指してきたが、諸般の事情でこの5年間、右往左往してきたように思う。

 右往左往しても、少しでも光に向かって昇っていけばよいのだと最近は悟ってきている。ただ、新しい人に一挙に生まれ変わりたいという思いはどこかにあり。今年はそれが強いように思う。

 何で人は生き甲斐の道を、一直線に進むのではなく、右往左往するのだろうか?

 こころの仕組みである防衛機制の問題、アイデンティティの問題、現実吟味力の3つの要素を考えればよいというのが一つの回答である。静かに振り返ってみると、意外な自分の一面が見え隠れする。

 さて、自分の生き甲斐の道を考えたりするときも、日常の感情生活を送る意味でも重要なこととして、自己肯定と他者肯定大切にすることがある。米国で生まれた交流分析の You are OK. I am OK.プラグマティズム的とはいえとても奥深い人生の真理のように思う。

 これから4回この問題について考えていきたい。

<愛の方程式1/4>

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魂の孤独を満たすもの・・・

2008-03-22 | 第四章「愛とゆるし」

 欧米では、物事を分析的に考えることが多い。

 人間に関しても、WHO(世界保健機構)は4つの要素で考えているようだ。身体的、心理的、社会的、スピリチュアル(霊的)。そして、「生き甲斐の心理学」も、人間は身体、心(成育史からなる)、魂の三つの要素からなると仮定している。

 例えば愛の孤独を考える場合、身体からくる愛の孤独、心(生育史からなる)からくる愛の孤独、魂からくる愛の孤独と分析的に考える。

 さて、昨日はキリスト教の復活祭に続く聖週間で、聖金曜日に当たりキリストの受難に想いをはせる日であった。そしてNHK教育テレビでは、聖金曜日とバッハの命日ということなのだろうか、ヨハネ受難曲を全曲放映し、素晴らしい音楽を堪能することができた。

 受難について想いをはせると、やはり自分の業や罪を考えざるをえない。また、最近亡くなった知人・恩人を想ったりする。そんな自分の存在の深部に触れるような孤独を、魂の孤独というならば、それに優しく触れてくれるバッハの音楽であった。

 感動は奥深いものであった。苦しみを通してしか観えない真善美もある。

<愛の多様性4/4>

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