イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

利他のこころは古代から、神話を読みつつ・・・

2008-03-21 | 第四章「愛とゆるし」

 愛の多様性に気づき、自分以外の人も大切にしていこうというこころは、古代から神話や民話の形で伝わってきているようだ。

 この数日、日本の瓜子姫民話、ハイヌエレ神話(ニューギニア)、南東アラスカのクリンギット族の神話などを読み楽しんでいる。神話を古代人が日々の生活で生きるために、学習され続けてきたテキスト、と考えると、単なるお話ではなく、祖先達の血のにじむ努力のもとに成立した遺産と実感できる。

 昨晩は、雨天の中雲を通して月のかげが見えた。満月に近い。今度の日曜日は復活祭である。

 今日は、感動して読み返した、私が7歳の時に暮らした南東アラスカのグリンギット族の神話を、星野道夫著 世界文化社「森と氷河と鯨」94ページから引用する。改行で一部手を加えている。強大なロシアとシトカ戦争で勇敢に戦った民族を支えてきた神話と思うと胸が熱くなる。


 「どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森をつくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の中に座り、どうしていいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚たちもじっと動くことはなかったのだ。

ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスはじっと見つめていた。すると一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。彼の嘴は素晴らしく長く、それは一羽のタカだった。タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆくタカにワタリガラスは聞いた。あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れなければならなかった。「力を貸してくれ」 三度目にワタリガラスが聞いた時、タカはやっと振り向いた。「何をしたらいいの」 「あの炎をとってきて欲しいのだ」 「どうやって?」 ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくると、それをタカの自慢の嘴に結びつけた。「あの火の玉に近づいたなら、頭を傾けて、枝の先を炎の中に突っ込むのだ」 

若者は地上を離れ、ワタリガラスに言われた通りに炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び続けた。炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫んでいたのだ。ワタリガラスは言った。「人々のために苦しむのだ。この世を救うために炎を持ち帰るのだ」 やがて若者の顔は炎に包まれ始めたが、ついに戻ってくると、その炎を、地上へ、崖へ、川の中へ投げ入れた。

その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動きだし、森の木々も伸びていった。それがわたしがおまえたちに残したい物語だ。木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを見つめている。そのことを忘れるな。」 

<愛の多様性3/4>

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「愛の原型」の多様性を知り楽しく過ごす!

2008-03-20 | 第四章「愛とゆるし」

 日常の中で「愛の孤独」を感じているのに、何となく大切な人が気づいてくれない。あるいは、こちらが心配して一生懸命気にして努力しているのに、相手が全く反応がない。
 
 男女関係だけでなく、親子、兄弟、友人、職場、ボランティア・・・日常の中でこうしたすれ違いを感じた経験はどうでしょうか?
 
 そんな時に、ふと「愛の原型」*1はひとそれぞれ異なるということを思い出します。そして、一歩進み、この人の「愛の原型」は何だろうかと、いろいろ推察してみるのです。倫理道徳を離れゆったり想うことも時に重要です。

 そして、相手の「愛の原型」に触れるように行動すると、今までのすれ違いが氷解することがあるようです。

 自分だけの「愛の原型」を確認するだけでなく、他人の「愛の原型」を想うと、人間の多様性と世界の多様性の不思議が観えてくるようです。まだ修行中の自分ですが、愛の多様性を意識することは豊に生きる上で大切なようです。

 *1幼いころに経験した愛の名場面を「愛の原型」と言います。

<愛の多様性2/4>

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p.s.花粉症デビューして、雨の日の喜びをしりました! 


青葉萌え・・・柳の黄緑は青か?!

2008-03-19 | 第四章「愛とゆるし」

 小学校に入りたての頃、幼馴染と祖母と縁側での会話をふと思い出すことがある。みどりの葉っぱの色を祖母が「青」というのを不思議に思い、「これは緑だよ。お祖母さんへんだよ!」そんなことを言った記憶だ。

 今から思えば、日本の伝統では、中国文明やマヤ文明がそうであるように、青は緑色を従来含んでおり、お祖母さんの発言は正しかったのである。学校では緑と教えているが、伝統から考えると間違いではない。

 現に、今でも青果市場など緑を表すものを青と表記する伝統が残っている。

 因みに、西欧では青は緑をカバーしないが紫をカバーしていたそうである。米国に行くと、なぜか紫が日本より多く使われている印象があるが、そのことと関係があるのだろうか?

 色の表現でも、このように文化により時代にニュアンスが変わる。コミュニケーションはなんと難しいものであろうか!昔と変わらず現代も喧嘩や戦争は続き、血が流される。残念ながら悲劇は続く。

 孫に伝統の「青」を教えようとして、逆に学校教育で習ったことで否定された祖母。その時喧嘩した覚えはなかったので、きっと孫の発言を受容した祖母。この年になって、あの時の会話が観えてきたのかもしれない。

 そよ風に、新緑の葉をつけた柳の枝が揺れる。柳のように風を感じたいと思う。

<愛の多様性1/4>

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ひとそれぞれ、愛の原型が異なることに気づく!

2008-03-18 | 第四章「愛とゆるし」

 愛とか慈愛。多くの宗教家や哲学者は真剣に研究している。本当の愛とは、隣人愛とは・・・こういう哲学的な思索は大切ではある。

 ただ、心理学的には、愛とはXXXであると哲学的に定義するより、自分の「愛の原型」を考えたり、他人の「愛の原型」を推察させていただくことが、大きな意味があるようだ。

 敢えて定義をさけ、画一化を避け、それぞれの「愛の原型」、つまり子供のころの、親しい誰か?何か?から愛された名場面を振り返ったり、推察したりする。

 自分が良いと思ったモノやコトは、他人にとっては必ずしもそうではないことをほとんどの人は知っている。ただ、さらに一歩進めて、「愛の原型」を考えたりすることは、生き甲斐の心理学を学び始めるまで、正直自分には無かった。

 「愛の原型」は夫婦や親子でも当然異なる。自分の「愛の原型」を他人に推察させることは難しい。それよりも、他人の「愛の原型」を推察し、行動をするほうが良い。そこから、何かが始まるように思う。特に気まずい関係になったとき・・・

 <愛の原型4/4>

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父の祈り・・・ロシア人墓地とクリンギット族墓地!

2008-03-17 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日の続きになるが、7歳の時に南西アラスカのシトカで暮らした時の愛の原型の話をもう少し続けたい。

 当時、父からある日の晩に、こっぴどく怒られたことがあった。何で叱られたかははっきり覚えていないが、父が激怒し母が宥めていた。

 50年前なので、はっきり思い出すことはできないが、父がその夜私を叱った後に、暗闇の中、家の外に出て行ってしまった。しばらくすると戻ってきて、今隣のロシア人墓地に行ってきたという。そしてお前のために祈ってきたといった。

 夜墓地に行くことなど、怖がりで考えもしなかった幼い私であったこともあり、その時の父の静かな言葉は今でも思い出す。父は17年前に亡くなっており、残念ながら今となっては確かめるわけにもいかない。

 それだけのことだが、最近になって、星野道夫氏の本などを読み、私の住んでいたロシア人墓地が、ネイティブのクリンギット族の由緒ある墓地跡に造られていたことを知った。

 そうすると、父はロシア人墓地で祈ったと同時に、トリンギット族の霊地で祈ったことになる。ロシア人とクリンギット族は近世シトカ戦争で多くの血を流した。その墓地で眠っていた方々の個人史は全く知らないが、クリンギット族の神話を学んだりやロシア正教のイコンを見たりし、彼らの人生と魂のことを想いうかべる。

 異文化の中で暮らした7歳。大地から愛され、父に祈られた私であるが、まだこの世でやるべきことが残されているようだ。感謝しつつ生きていきたい。

<愛の原型3/4>

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