イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

小さく映る月!

2009-01-06 | 第三章「無意識の世界」

 脳科学関係の本を、最近読み続けている。その中でいろいろ教えられることが多い。

 例えば、この3-4年携帯カメラでブログ用に写真を撮り続け、今では画像データが3千枚近く登録するまでになった。そうした経験の中で、感動してとったハズの写真が思いもかけ無い駄作になることを知った。写真装置と肉眼の差異といったところか。

 ひとつは月の写真である。あんなに大きく綺麗な月が、肉眼の印象と異なり、小さく写真に映る。例えば、最近深大寺の近くで夕方映した三日月は、5Mのデジタル画像をかなり拡大してもこの程度である。

 年末にかけて、富士山を何枚もとったが、やはり印象より随分小さく映る。

 他にも、木漏れ日の中での新緑の美しさなど、感動的な光景を映すのも極めて難しい。後で失望したことも多い。肉眼というか、人間の視覚情報の取り込みとその認識の仕方は、不思議なものだとつくづく思う。

 視覚という、かなり客観性のあるような世界でもさえ、不思議であるが、自分の体験の中で、「金縛り」という現象を何回か経験したことを読書中に思い出した。脳科学は、単なる意識の世界だけでなく、変性意識や無意識の世界にも関心を持つ分野なのでちょっと怪しげな経験も扱うようだ。

 さて、高校生のころ、ある晩この「金縛り」を経験した。自分の手を動かそうと思っても、全く動かない。激しい恐怖感を味わう。そして経験の中で天井から自分を見ているような体外離脱の経験もあった。金縛りの経験の中で体外離脱の経験も時々あるそうだと知った。

 その後は、この「金縛り」に慣れてきて、「金縛り」に恐怖を覚え無くなり、「金縛り」を受容?するようになった。そしてそれに伴ったのか、この現象自身もいつのまにか無くなり。今では忘れていた。

 こうした「金縛り」等の現象は、レム睡眠時に起こるとか、判っていることも多いようだが、体外離脱現象などは現代の科学においても極めて難問のようである。

 「金縛り」や体外離脱、臨死体験などのことを読んだり聞いたりすると、暗くなる(不安)ので、今まで避けてきたところがあった。

 しかし、脳科学の学説(今読んでいるのは、「生きて死ぬ私」茂木健一郎著 ちくま文庫)も様々なようで、ある現象を見て、不可知論的に暗く解釈する学説もあるが、キリスト教文化を背景に明るく解釈する学説もあるようである。

 門外漢の私は、明るくなる学説が心地よい。

<身体の流れ2/4>

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齢(よわい)!

2009-01-05 | 第三章「無意識の世界」

 世界一の長寿の記録はフランス人女性で122歳だったそうだ。日本で有名だった泉重千代さんは120歳だった。人生120歳とすると、私の年齢など、人生の中間地点も過ぎていない若造である。

 家のマルチーズ、ノコちゃんはまだ8歳であるが、このところ年をとったのか、随分大人しくなり、居眠りをすることが多くなった。マルチーズの寿命も十歳から十五歳くらいの間だそうだ。

 長寿といえば、びっくりするのは樹木で、縄文杉などは樹齢7000年以上と言われた。最近の調査では、どうも違うということのようだが、日本の大木には、他にも樹齢7000年クラスが存在するらしい。世界には樹齢9000年を越えるといわれている樹木もあるようだ。

 地球上の生きものは、同じDNAの構造をもち、DNAの再生機能で、個々の細胞が入れ替えながら生まれそして死んでいく。

 DNAによる再生機能は、刻々と働いている。人の身体の全細胞が入れ替わるのはどのくらいの時間がかかるかインターネットで調べてみたが、置き換わる速度の遅い細胞(脳や心臓など)があり、諸説あるようだ。ただ、一年弱から二年という説があったので、57歳の私は、生まれてから何回か細胞レベルで全く新しく置き換わっていると考えて良いようだ。

 しかし、自分の幼いころからの成育史の影響を受け、短期的な記憶や長期的な記憶もある。そして何より自分という感じが幼いころから持続してある。現代の科学でもその謎は解けない、不思議な領域である。

 自分の身体は、時間の流れの中で、生まれそして死んで行く。こころも日々変わり、そして身体の死とともに生育史として変化してきた、こころの物理的な実態は消滅する。意識の世界も無意識の世界も。ただ、その後に残るものは?後は宗教の領域になると思うが興味はつきない。

 自分の身体。57年間付き合い。そして、これから死を迎えるまで付き合うことになる。自分の身体について、特に脳について考えてみたい。

<身体の流れ1/4>

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無意識から立ち上がるモノ!

2009-01-04 | 第三章「無意識の世界」

 正月に、過去一年を振り返り、今年一年のことを思い巡らす。いつも、何らかの形で行っていたが、今年は過去10年を振り返り、今年一年のことを考えてみた。

 実は私にとって、この10年は、その前の数十年と比較しても、変化の激しい10年であった。想いも掛けぬ問題、大きな出会い、大きな気づき、その他いろいろあった。特に10年前1999年の正月の出来事は思い出深い。

 ただ、10年を考えてみると、様々な危機の中で、自分の無意識の世界から何かが立ち上がり、そして、今まで気付かなかったものが、ひょこっと顔を出し、やがて中心的な課題となり、といった形で人生が進んでいったように見える。

 小は日常の中のちょっとしたひとコマであり、大は何十年も気がつかなかったことがある。6歳の時に、幼友達が目の前で交通事故に遭遇しやがて亡くなった。その時からの深層の暗い自己イメージが、数年前にふと気づき変わった。そして、50年近くたった事故現場で、自分の熱い感情に触れたことさえある。

 無意識の中から何かが立ち上がり、人生に大きな影響を与える。基本的に五感、体感を通しての変化だと思うが、これは私だけのことではなく、様々な人が体験していることでもあるようだ。

 これから、30回、五感、体感を通して、無意識の世界から何かが立ち上がり、人生に大きな影響を与えていくことを、のんびり感じたり考えたりしていきたい。

<総論1/1>

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Seasons Greetings

2009-01-03 | 第二章「五感と体感」

 外資系の企業に勤めていたとき、年末年始の挨拶には、Seasons Greetings など宗教を意識的に避けた言葉が重宝がられた。特にビジネスの世界では一般的だった。

 年末年始は、確かに宗教に拘わらず、お祝いすることが当たり前。しかし、例えば米国にいる人の宗教は千差万別、キリスト教、ユダヤ教、ヒンズー教、仏教・・・いろいろである。メリークリスマスなどはキリスト教なので余り用いない。

 お互いの宗教を認めながら、適当な距離を保ちつつ、お互いを大切にする智恵・・・こういう感覚はとても大切な気がする。

 さて、脳科学の本を読んでいたら、人間に一番近いとされているチンパンジーでも、他者の心を推定する能力というのは厳しいようである(誤信念課題)。

人間に特有の Seasons Greetingsといったことを創造する智恵。人間は、本当に不思議な存在である。

<感じ2/2>

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ワレ、オモウ!

2009-01-02 | 第二章「五感と体感」

 朝の目覚めの時に感じたもの(これをクオリアと呼ぶのだろうか)を今想いだしている。

 半分覚醒し、半分寝ているようであり、視覚的な移りゆくいくつかのイメージや音声からくる何かの「感じ」、そして、いくつかの言葉の断片の感じがある。言葉の持つ志向性というのはその中で凄いようだ。そして平安感が広がっていく・・・

 自分の中の様々な「感じ」、これは何なんだろう。

 高校生の時、発表授業というのがあり、倫理社会で私はルネ・デカルトを取り上げ学友の前で発表した思い出がある。本を一冊読んだだけの発表で、自分では何か物足りなかった。もっといろいろ知りたかったが力が及ばなかった。

 全てを疑って、疑いきれない真実として、「我思う、ゆえに我あり」という有名な第一原理をデカルトは述べている。

 確かに、今朝の様々な「感じ」は、脳の中のことに過ぎず、生理的な現象と疑えばきりがない。ただ、それを思う主体としての自分があるというのは、真実のようだ。ただそれが何なのか現代の脳科学でも良く判っていないようだ。

 この我は、どのようなものか?難問で21世紀の中で糸口が見つかるか。そんな状況のようである。

 考えてみれば不思議だ。自然科学を中心として爆発的に発展しているハズの世界に、こんな基本的なことが未知のまま残されているということが。

 ただ、学問とは別に、五感と体感を中心に、自分の中にある真実のさまざまな「感じ」を楽しみ、残された人生を豊かにできればと思う。

<感じ1/2>

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