数日、原発再稼働での日本人の不思議な傾向を考えていた。
3.11で福島原発が事故をおこし、17日には米国、英国、韓国が同胞に対し80Km圏外への避難指示を出した(J-CASTニュース 2011/3/18より)。また、フランスをはじめ多くの国は、東京や日本から一時的にせよ退去せよという勧奨があった。噂かもしれないが、本当の危険を知ることができた立場の日本人も、東京を去った人もいたようだ。
日本人の多くは、メディアを程度の差はあるにせよ、信じ避難せず暮らした。日本のメディアが一か月近く、レベル6だとか、メルトダウンはしていないと主張していたからである。そして、一段落した4月後半にレベル7を公表。このあたりのことは皆様よく御存じ。
実際は、一年後に出た、福島原発事故独立検証委員会の報告書によると、最悪のシナリオが震災後初期の段階で作成され、政府首脳をはじめ限られた人はその深刻さを認知していた。シナリオによれば、170Km以遠、250Km以遠といった東京圏もいざというときに避難勧告される危険があった。。
事故は、免震重要棟が最近できていたこと、必死の作業でなんとか切り抜けた(奇跡的に大事にならなかったラッキーがいくつかあったようだ)。それでも、今でも放射能が出、4号炉の使用済燃料のプールは地震等で今まで以上の危機が再燃する可能性もある。
そんな中、政府は再稼働が必要だという不思議なロジックをだし再稼働を決定した。よく分らない。国会でも反対派は100人ちょっとという人数にしかならないという。
日本はどうなってしまったのだろう?
しかし心理学を勉強している私にとって、この変な日本の現象には根深い問題を感じてしまう。他の外国人も、恐らくそれぞれの文化的な背景があり、不思議な傾向をそれぞれ持っていると思うが、日本人も例外なく、説明しにくい特性があるようだ。
今回の事故では、安全神話とか原子力村の存在の話が多く語られているた。事故調査報告にもその問題が書かれていた。しかし、それを解決する処方箋は曖昧だ。日本人は素晴らしい技術や細やかな感受性など素晴らしい特性を持つが、今回のような大事故を引き起こす爆弾(安全神話を産みだす何か)を抱えているように思う。
今回の福島原発事故は、場合によれば日本に安全に住むこと自体できなくなるような事故であった(現在進行形という説もあるが)。事故や犯罪に巻き込まれる危機を経験したら、だれでも恐ろしく想い、そして二度と同じような目に会いたくないと思う。しかし、その当たり前が何故か通用せず、おかしな理論が世にまかり通っている。
エネルギー問題も、経済問題も、国防問題も、平時では勿論大事だが、生命を脅かされたり、強制退去されたりする可能性のある危機の場合は二の次になるのではないか。私たちは、人間である。何かあれば、簡単に病気になったり死んだりする有機体である。また天災や事故があっても、簡単に引っ越ししたりできない鬱陶しい存在である。日本を壊す可能性がある再稼働には反対を唱えていけないのだろうか?
何故、見えなくなるのだろう。その起源はどこにあるのだろう。
たまたま、生き甲斐の心理学を勉強で、持統天皇を研究している。7世紀から8世紀にかけて、日本は律令制を確立し、今の日本の原型を作った。そして、持統天皇は律令だけでなく、宗教や歴史書等も含め、今に通じる文化の基礎に関わった天皇である。
その中で、昨日から<吉野の会盟>について考えていた。壬申の乱で勝利したものの政治が安定しない。そこで、天武天皇と皇后(後の持統天皇)が後継者問題に頭を痛め、草壁皇子、大津皇子、高市皇子等6人の皇子と吉野で誓いを立てる。日本書紀に載っている話だが、日本人の組織づくりの原型のように思えてならない。ちょっと長いが引用してみよう。
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「自分はきょう、おまえたちとこの場で誓いを立て、千年の後までもことがおこらないようにしたいと思うが、どうか」
と言われた。皇子たちは、みな、
「ごもっともでございます」
と申し上げた。そこで、草壁皇子尊がまず進み出て、
「天地の神々、および天皇よ。はっきりとお聞きください。私ども兄弟、長幼あわせて十余の王は、それぞれその母は違っております。しかし、同母であろうとなかろうと、みな天皇のおことばのままに、たがいに助け合い、争いはいたしますまい。もし今後、この誓いにそむくようなことがあれば、命はなく、子孫も絶えることでありましょう。忘れますまい。あやまちを犯しますまい」
と誓いのことばを申し上げた。五人の皇子も、順序に従って同じように誓った。そうしたのち、天皇は、
「自分の子供たちは、それぞれ母を異にして生まれたが、いまは同じ母から生まれた兄弟のようにいつくしもう」
と言われ、御衣の襟を開いて六人の皇子たちをお抱きになり、
「もし自分がこの誓いにたがったら、たちまちわが身はなきものとなろう」
とお誓いになった。皇后も、天皇と同じようにお誓いになった。
(日本書紀Ⅲ 中公クラシックス 井上光貞監訳 笹山晴生訳 P262-263
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この時に歌われた天武天皇の歌が万葉集にある。
よき人の よしとよく見て よしと言いし 吉野よく見よ よく人よく見
良しを讃えるということで持統天皇(讃良)を暗示しているのではないかという説もあるようだが、持統天皇がリードする中で、この盟約がなされる。「和をもって尊しとなす」ではないが、その中で皆が平安感を得る。
実際の歴史は、大津皇子が天武天皇が崩御されてから、謀反の罪でなくなる。その後、持統天皇や藤原不比等による独裁政治に時代は動いていく。したがって、この盟約が実際はどうだったのかは微妙である。ただ、実際に歴史を生きた人々は、この会盟で一時的にも不安から解放されたのだと思う。
吉野の会盟は、歴史を考察する上で大事だと思うが、一方で日本人の特性といわれる、甘えの構造や心の防衛機制の同一化や摂取を思索するきっかけにもなる。
同一化という防衛機制は、仲間意識(永遠の仲間)で、厳しい状況の中でこころを安定させることができる素晴らしい心の仕組みである。しかし仲間そのものは、間違いを犯しやすい人間であることは変わらず、危険な一面も併せ持っている。そして、日本人は、どういう訳か仲間を信じる要素が大きく、危機に対する感度が弱いのではないかと思う(自戒をこめて思うが)。
もう一度、福島原発に戻ろう。日本人の生存権にまで影響する原発の問題。今まで戦後何十年もかけて作られた安全神話と原子力村の体質。事故の恐怖感が忘れかけてきた一年後に、いつのまにか徒党を組んで、原発再稼働に舵を切りはじめた。福一はもう安全だという、根拠のないムードもある。
私もかつては、原発に何の疑問も持たなかった。そして、恐怖の感情も忘れかけている。でも、もう一度考え直す必要があるのではないだろうか。一年前の恐怖と事実をもっと確認する必要がある。
活発に生きる 3/10