イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

生き延びるための健全な思考!(山あり谷あり 8/10)

2012-06-20 | 第二章「五感と体感」

 山あり谷ありの人生。毎日いろいろなことが起こってくる。そんな中で、自然体でしっかりと生き抜くのはとても大事。しかし、サッサと苦も無くできる時もあるが、引っかかって泥沼に突入することが。

 生き甲斐の心理学で考えると、現実吟味力をイキイキと発揮させること、プロセススケールの流れを良好に保つことが大事なのに、悪い方に向かってしまうのだ。

 昨日はU先生の四谷勉強会があったが、思考の病理学がテーマであった。

 どのような思考をすると病理に向かいやすいか。あるいは、逆に向かいやすいか。

 エリック・パーンという心理学者が提唱して有名なI am OK, You are OK. の理論。自分と他者の関係を、自分と他者、肯定と否定で4つに分類するのだ。自己否定-他者否定(破滅的) 自己肯定-他者否定(傲慢) 自己否定-他者肯定(卑下) 自己肯定-他者肯定(平和主義)である。

 これを理解するためには、自分自身の経験に当てはめるが大切。自分の絶好調の時、泥沼の時など思い出して、単純に自分のその時点の傾向を4つに分類してみるのだ。なるほどと発見があれば幸いである。自分がうまくいっているとき、そうでないときの傾向は?

 私の経験からすると、自己肯定ー他者肯定的のときが一番良いようである。他者否定でも自己否定でも否定的な場合は、何か心の柔軟性が失われやすい。体験の解釈が硬くなり、問題に対する関係も浅くなり、他人との関係の仕方もぎこちなくなる。プロセススケールは否定的な思考にドライブされてますます低くなるのでは?

 反対に肯定的であると、逆の現象となり好循環になりやすい。人間という有機体は、数十億年の生命の歴史をも背負っている。そして厳しい環境に適応するのは、自己肯定だけでなく他者肯定をも必要としているようだ。生命とは人間とはどのように造られたのだろう。哲学的な問題であるが、考えてみると奥が深い。

 山あり谷あり 8/10

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腹をくくる!(山あり谷あり 7/10)

2012-06-19 | 第二章「五感と体感」

 40歳台の時ある本を読んでいたら、苦悩という言葉について説明していた。通常の問題は自力で解決できるか、あるいは避けて通れるかだが、自力解決するには歯が立たず、避けて通れない問題が苦悩である。そんなことを言っていたと思う。

 普段であったら見落とすような説明がこころに残ったのは、自分が苦悩をまさに経験している最中だったからだ。

 苦悩の最中。どうしたら脱出できるか。少なくとも、心を落ち着かせることができるか。

 生き甲斐の心理学では、フォーカシングという手法を大切にしている。苦悩の最中にあり混乱している自分を落ち着かせ(あるいは大切な他人を支援する)る方法の一つである。

 もっとも不安な問題(不安感の源泉)を特定する。そして、最悪のシナリオと最前のシナリオを冷静に思考する。そして、その中で自分の立ち位置を確認する。そんなことである(何だシナリオライティングに似ているとお思いの方もいらっしゃると思うが、一番の違いは感情に寄り添うことがある)。

 最近の例であるが、福島原発事故調査委員会のレポートを読んだが、当時の政権中枢は最悪のシナリオを事故後いち早く作成した。危機管理の<いろは>かもしれないが理論的に的を得た対応だった。規模や正確性は違うものの、私も心を落ち着かせるためにフォーカシングで最悪のシナリオをそれなりに想定した(実態は知らされていなかったなぁ)。そして、それだけで結構こころは落ち着いたものだった。

 フォーカシングの手法。一言でいうと何なのだろう。きっと、それは<腹をくくるため>のプロセスなのだろう。

 <腹をくくる>。私はカトリック信徒なので、聖書の名場面をいくつか思い出す。中でもルカによる福音書の受胎告知は、天使ガブリエルとの対話の中でマリアが腹のくくる(神を信頼する)私の一番好きな場面である。

 「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」

 山あり谷あり 7/10

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身体症状になるほどのストレス!(山あり谷あり 6/10)

2012-06-18 | 第二章「五感と体感」

 20年前に亡くなった父が昔言っていた。「社会人になって、心配で夜も寝られず胃を悪くしたりして一人前になるものだ。」

 ストレスは単純に忌嫌われたりするが、ストレスは人間を育てる(一人前になる)という世間知も本当かもしれない。生き甲斐の心理学でも、時にはストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、ウツ、錯乱)を宝のように大切にし、そこから真の問題解決への糸口を探す(解決は本人によるが)。そういう考えを大切にしている。

 さて、父の言葉は、もう一つの臨床心理学の知見のポイントもついている。通常、心配事は解決されないと、ぐるぐる頭の中を巡り、感情も昂揚してくるものだ。ちょっとした不安感が怒りを通りこし、いつの間にか身体症状になる。さらにほっておくと、ウツ、錯乱と激しさを増していく経験をおもちの方も少なくないと思う。

 その中で、身体症状は大切な信号である(客観的でもあるので)。寝られなくなったり、消化器が不調になったり、自律神経が原因の様々な不調。生き甲斐の心理学では、その身体症状がでるころ(本当は怒りの段階で気づくのが良いかもしれないが)に対策をすることを薦めている。自分を大切にするために大切な智恵である。

 心配事は、大きく3つの分野に分かれる。歯が痛むなどの身体からのストレス。人間関係や仕事などの生育史からくるストレス(自分の性格からくる)。そして、死の不安など魂からくるストレス。心配事はたくさんあるかもしれないが、身体症状まで影響するのは何か?それを解きほぐし探すのが良い。

 今日の私の場合、最近甘いものを取りすぎたのか、ちょっと虫歯になったようだ。しかし、考えてみれば2-3か月歯医者さんに行かず、不安を育ててきたところもある。この歯医者さんに行くことが遅れたのは、理由があったが、さっさと歯医者さんに行こう。身体も大切にしなければ!

 山あり谷あり 6/10

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眼を覚ましてね!(山あり谷あり 5/10)

2012-06-17 | 第二章「五感と体感」

 多摩動物公園のコアラは食事の時間を除くとだいたい寝ている。今日はコアラを見るぞと決めている日は餌の時間を調べて行くが、何となく見に行く日は餌の時間に遭遇するすることも少なく、だいたい寝ている。

 昨日は、休日であったが朝から雨。家族は孫の誕生日でディズニーランドに出かけたが、車の定員で私は家に残った(残念)。そして、晴耕雨読ではないが、殆ど本を読んで過ごした。休日でもあり、普段読まないカテゴリーの本を読んだ。

 一冊は、内田樹氏の「日本辺境論」。もう一つは、有川浩氏の「三匹のおっさん」。

 そして、日本人であるゆえに見えなくなっているもの。そんな、ことをずっと考えた。

 最近、N首相は原発再稼働を決めた。福島第一原発で大活躍した免震棟(不幸中の幸いで前年に完成していた)。それも完成していないのにGoを出したのだ。没論理の最たるものだ。ただ、日本人のある種の没論理性はかなり構造的なもので、一人を責めればよいというものでもない。ひょっとすると数千年の歴史があるかもしれない。だが、国民の命に係わること論理を追及してもらいたいが。

 和をもって尊し・・・論理性を越える空気!(甘えの構造)

 この空気が今回、安全神話を産み子孫に大きな禍根を残してしまった。事故調査が終わっても、結局誰も刑務所に入らず、責任は空気とされる?今回の政治責任で再稼働と言っても、きっと空気が責任をとるだけである。今までも空気にしか責任をとってもらっていない(日本の伝統でもあるのか)。

 日本の古代から中世の歴史で、政治責任を真面目に考えた人はいるのだろうか?平清盛に出てくる、信西!日本にもこういう人が居た!

 今日の大河ドラマ楽しみである。いろいろあるが、日々変わるれるものは変われる。希望はある。

 山あり谷あり 6/10

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持統天皇の追っかけの追っかけ!(山あり谷あり 4/10)

2012-06-16 | 第二章「五感と体感」

 日本の歴史に残る<鉄の女>と言って良い持統天皇。その生涯を勉強していくと、本当に山あり谷ありの人生だなと思う。また、古代のことでもあり、文献も豊富なわけでもなく、想像で補う部分も決して少なくない。そんなこともあり、ますます持統天皇に興味をもち、目についた本を読むようになってしまった。一種の<追っかけ>なったようだ。

 持統天皇に関する小説も、この1年随分読んだ。つい先日読了したB氏の小説も含めると5冊になった。

 小説家も、持統天皇とは違う時代や場所ではあるが、山あり谷ありの人生を歩んできた。そして、その生育史から持統天皇に何か共感を覚え、感情移入し小説を書く。そして、個性や生育史の違いからだろうか、書かれた小説は驚くほど違っている。物語を形成するための、歴史解釈や、人間観も当然違う。本当に、小説家には申し訳ないが、面白いほど違っている。

 深層心理学の世界では、U先生によると<自分以外の他人は驚きの対象>なのだそうだが、本当だなと思う。私は、持統天皇の<追っかけ>の<追っかけ>にもなってしまったようだ。

 <追っかけ>の<追っかけ>になってくると、自分の柱というか、そういう柱がだんだん欲しくなるようだ。小説家によっては、何か自他否定的な心情になってきたり、生理的な嫌悪感を覚えたりもするからだ。怒涛のような個性に身を引き裂かれないために(山あり谷ありの困難な人生でも同じことだが・・・)、U先生の自己実現の道への3つのポイントを思い出す。

 ①自分は何のために生きているのか。

 ②生き甲斐は何か。

 ③自分を大切にしているか(魂という宗教的次元、生育史という心理学的次元、身体という医学的次元)。

 困難な時に、平静さをもたらす3つの自問自答でもある(私はカトリック信徒なので。この3つの自問自答に、あらかたの方向性はもっているが、いつも新しい。)

 山あり谷あり 4/10

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