イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

コツコツ練習することが大事!(山あり谷あり 3/10)

2012-06-15 | 第二章「五感と体感」

 なんとなく普段から付き合っていた人が光って見え、逆に自分がつまらない存在に見える。そういう感情の原型は、どうも小学校の4-5年にあったように思う。エリクソンの人格形成論でいうと、8-12歳のころに技能(Competence)の時代を迎える。そしてこの時期に、ポジティブなものとして勤勉性、ネガティブなものとして劣等感が発達する。

 しかし、自分の感情というのは言葉にしにくいもので、これが劣等感かといわれても、何か違和感がある。感情は瞬時に現れたとしても、それに前後して様々な心の動き(防衛機制等)が生じ、あたかも池に小石を投げたように波紋が広がるからかもしれない。

 石川啄木に有名な次の歌がある。

 友がみな 我よりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ

 この歌を鑑賞すると、何か劣等感を中心に、さまざまな心の動きを感じる。単純に防衛機制と言ってはいけないかもしれないもので。それが芸術に昇華されている。因みに、チベットの死者の書の80自性から関連しそうな動きを次にあげてみた。

 *他人の成功を憎む嫉妬の心の働き

 *仕事を成功させようと思う心の働き

 *得たいと思っても得ることのできない対象に執着する心の働き

 *落ち着いた冷静な心と、喜びの2つの心の働き

 *愛するものを守ろうとする慈しみの心の働き

 *繰り返し、何度も何度もそのよさを考える心の働き

 *好ましいものを見ることで快楽に耽ようとする心の働き

 *ものを言いたがらない心の働き

 (以上は「ゲルク派版 チベット死者の書 学研M文庫 83~88P」参考)

 さて、還暦になるまで一応生き抜いてきた自分にとって、こうした劣等感はどのように克服しただろうか?エリクソンの理論を借りると、どうも技能が重要なカギを握っているようである。小学生の私がやったこと。振り返ってみるとコツコツと好きなことをやり続け、小さな成果物を作ったことがあった。それかもしれない。

 多摩動物公園のチンパンジーの芸。群れの文化にもなっているナッツ割がある。親が子伝授するようであるが、何か微笑ましい。ヒトもチンパンジー以上だと思う。私もコツコツ何かを始めよう。

山あり谷あり 3/10

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魂の記録としての萬葉集!(山あり谷あり 2/10)

2012-06-14 | 第二章「五感と体感」

 先月、台湾で芝山巖事件(しざんがんじけん)で亡くなった大叔父さんの六氏先生の墓参りをした。

 大叔父さんの弟であった祖父が亡くなる前に私に話してくれた、ちょっとしたルーツの話が発端であった。そして、その時に祖父が話してくれたことより、言葉を飲んで話さなかったことのほうが、後で考えると趣深い。

 貴重な文献により、大叔父さんの当時の写真や実筆の手紙のコピー、大叔父さんのかなり詳しい経歴や趣味、挿話まで知ることができた。惨殺された祖父たちに対する日本人、台湾人の心根(もののあわれ・・・なのだろうか)を調べていく中で実感した。

 さて、この数日持統天皇の小説を読み、時折複雑な系図を眺めたり、萬葉集を引っ張り出して読んだりしている。残念ながら、持統天皇の歌で残されているものは少ないようだ。「春過ぎて・・・」は特別に有名だが、そのほかに天武天皇への挽歌3種+1と・・・。しかし、不勉強な私の知らない歌がもっとあるのかもしれない。

 萬葉集は不思議な歌集である。成立時の政権の反対勢力の人たち(謀殺された人も含め)もたくさん載っている。日本人の心の深層は不思議なものである(鎮魂の歌集かもしれないが)。

 そして、言霊とはよく言ったもので、その歌からは、1300年以上がたっているのに、単なる記録以上に何かが伝わってくる歌もある。変な話だが100年前に亡くなった大叔父さんの細かい記録より、短い一つの歌のほうが伝わってくるものも多かったりする。

 燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入るといはずやも 智男雲

 (燃えている火でも 取って包んで 袋に 入れるというではないか 智男雲) (萬葉集(1)日本古典文学全集 小学館参考)

 持統天皇の天武天皇への挽歌であるが、智男雲の意味は不明。ただ雲が魂を象徴している感じで、自分のものにならず離れていく寂しさが伝わる。因みに火は陰陽五行で天武天皇を象徴しているという。こうした知性化の防衛機制を働かす持統天皇の感情生活にも興味が。

 山あり谷あり 2/10

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梅雨のなかで滅入らないで楽しむ!(山あり谷あり 1/10)

2012-06-13 | 第二章「五感と体感」

 たまたま嫌なことがあったり、それが重なったりすると、どんどん嫌なことが束になって押し寄せてくるような不安感に駆られることがある。

 谷あり谷あり谷あり・・・どんどん気が滅入る。

 また、逆に新しい出会いがあり、どんどん親密になっていくとき、何故か、その尊い人間関係の可能性の芽をつむように不安になり、バリアをはったりする。山あり山あり、そして大谷あり・・・の過去の経験が無意識のうちに働いているのだろうか。

 そして、谷あり谷あり谷あり・・・自分でバリアをかってにつくって滅入っていく。

 いずれにしても、人間関係が閉塞していく原因は狭い自分の了見にのめり込んでいく傾向と関係があるようだ。

 事実は事実としても、人は多様に解釈できる存在であることを学ぶと、世界は変わっていく。生き甲斐の心理学で、よく使われる喩え。コップに半分水が入っているとき。これしか残ってないと嘆く人がいるが、まだ半分もあると喜ぶ人もいる。価値は本当に多様であり、解釈は自由である。

 多様な価値観に気付いてくると、世の中が山あり谷あり山あり谷ありと素直に見えてくる。そして道端の景色に、ほっとしたり、はっとしたり、楽しむ余裕が生まれる。

 梅雨も一般には嫌われるが、美しい花がしっとりと咲き、静かに本を読んだり、語り合ったりするには良い季節なのだ。梅雨を迎えた私の感情は、何を導こうとしているのだろう?

 山あり谷あり 1/10

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持統天皇の抑圧とその解放!(心の柔軟体操 10/10)

2012-06-12 | 第二章「五感と体感」

 昨日、手にした坂東眞佐子さんの「朱鳥の陵(あけみどりのみささぎ)」(集英社)をゆっくり読んでいる。持統天皇を題材とした小説で最新作なので見つけて直ぐに入手したのだ。まだ、最初のところを読んでいるのだが、蘇我石川麻呂の乱で、山田寺で石川麻呂一家が自決し、その直後に追手の一人物部二田造塩が山田寺で石川麻呂の首を切り落とすシーンは引き入れられてしまった。さらに、この小説では、この山田寺で幼い持統天皇と母である遠智娘が衝撃のシーンを見てしまう設定なのだ。

 遠智娘(石川麻呂の実娘であり、殺害者の後ろで謀殺に関わった可能性が高い天智天皇の妻)は、そのショックから心を乱し、しばらくして亡くなるのだが、持統天皇の<鉄の女>の人生も暗示しているようだ。

 残念ながら、持統天皇は幼いころの、この辛い経験を歌にすることはなかった。ただ、万葉集の中に、同じ蘇我石川麻呂の血統で、持統天皇の異母姉妹の元明天皇が次の歌が収められている。時代や、背景は違うが、持統天皇と同じ蘇我石川麻呂の娘という観点から、持統天皇の経験を彷彿させられる。

 ますらおの 鞆(とも)の音(おと)すなり もののふの 大臣(おおまへつきみ) 楯(たて)立つらしも

 (ますらおの 鞆の音がする もののふの 大臣たちが 楯を立てているらしい)

 不気味さというか、不安を醸し出す歌であるが、独断と偏見で恐縮だが、遠い石川麻呂の乱の出来事にも重なっているのではないだろうか。そんなことを想像してしまう。さて、万葉集の上記の歌の次には、元明天皇の姉の御名部皇女(持統天皇の異母姉妹で高市皇子の妻で当時皇子がいた)の次の歌が載せられている。何か希望を感じさせる歌であり、持統天皇の人生行路も彷彿できる。

 我が大君(おほきみ) ものな思ほし 皇神(すめかみ)の 継ぎて賜へる 我がなけなくに

 (大君よ ご心配なさいますな 先祖の神々から 後継ぎを賜っている 私がおります)

 蘇我の血筋(石川麻呂からの)を大切にする姉妹の希望は、過去の恐ろしい出来事に囚われるのではなく、将来計画の姿のようだ。それ故に狂わず、慰められる。過去に固執するよるは未来に固執するという知恵なのだ。抑圧された過去を乗り越える法則といえるかもしれない。

 (万葉集の引用等は、萬葉集(1)日本古典文学全集 小学館を参考にしました)

 心の柔軟体操 10/10

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蝶を見つつ、本能について想う!(心の柔軟体操 9/10)

2012-06-11 | 第二章「五感と体感」

 多摩動物公園の昆虫館では、たくさんの蝶が舞う昆虫生態園がある。蝶を見ていると、花の蜜を吸ったりする他に、時々雌雄の蝶が仲良く一緒に舞っていたり、交尾していたりする。本能にしたがった活動。それは決してネガティブなものではなく、ポジティブにとらえるべきものではないか。

 人間にも本能はあり、比較するのはちょっと変だが蝶のような食欲、性欲もあるのは当然として、さらに、人間には見神欲(Desiderium、何か満ち足りない宗教心のような本能)もあるという説がある。私は、見神欲はあると思うがどうでしょう?

 地球の生命体は分っているだけでも40億年以上の歴史があり、動物の本能もその中で神秘的にも育まれてきたように思う。しかし、社会の中の個人にとっては、単純に本能を解放すればよいというわけではなく。それを抑圧したり抑制したり、あるいは解放したりして、のびのびと社会の中で生きるのが良いのだろう。

 愛は古より、さまざまな人によって考え抜かれ、いろいろ解釈されてきた。たとえば、人が身体と個人的な生育史、そして魂から成り立つと仮定すると、身体の愛、生育史からくる感情の愛、理性的な愛などに対応できるようだ。そして、それらは決してバラバラなものでもなく、統合的にとらえられると思う。それには、思想や宗教の力が必要だが、人に備わっている抑圧、抑制などの防衛機制とその解放を自他肯定的にする術が大切だと思う。

 心の柔軟体操 9/10

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