イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

迷った時どうするか?(旅の準備 ① 2/10)

2013-12-21 | 第九章「愛」

 楽しい外食でAランチにするか、Bランチにするかという迷いもあるが、自分の人生を大きく左右するような大問題・迷いもある。

 大問題では親しい誰かに相談するとか、専門家に相談するとか、占いをする?とか、いろいろあるだろう。

 ただ、問題が大きければ大きいほど回答は自分の中にあるという、生き甲斐の心理学の考え方が私は好きだ。元来外資系のマーケティングの職も経験したため、シナリオライティングとか賛否両論リストアップなどの手法も知らないではないが、そうした知識をもってもモヤモヤする大問題は沢山あるのだ・・・

 回答が自分の中に必ずあるのだが、自分でもその回答が見えてこない。生き甲斐の心理学的には、自分の生育史からくる14の防衛機制で回答が見えなくなっていると考えるのだ。

 こういう場合、自分の中にある回答を見やすくする臨床心理学の知恵は、例えばロジャースの6条件(受容、共感、純粋と一致として有名でもある)である。これは、企業などでも例えばコーチングなどに応用されているようで、上から目線でああだこうだと言うのではなく、相手に共感しつつ温かく見守る中で、発見学習的に自ら回答を見つけていく手法のようだ。もちろん、心理療法やカウンセリングの本家でも応用されている。

  さらに、文化遺産の中に、こうした6条件に近い心理的状況を導くものもあるように最近感じている。芸術作品とか神社・仏閣・教会(これは、生育史の問題というより魂の問題かもしれないが)とか・・・そして、そんな文化遺産に触れる旅なども、大事だと思う。

 因みに、私の所属するNPOCULLは生き甲斐の心理学を普及することで、こうした問題を自ら解決したり、隣人として支援できる人を養成している。

 来年の1月29日(水)の午後に、四ツ谷で簡単な紹介と皇居周辺の小旅行を計画しているので、ご興味があれば参加くださいね。 ちょうど、一年の計を考える月でもあるので。 

旅の準備 ① 2/10    

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o 

 


現代心理学と様々な教育!(旅の準備 ① 1/10)

2013-12-20 | 第九章「愛」
 昨日、ブログの内容についてフェースブックでコメントをいただいたが、それは社内研修の内容にも関係していた。

 この13年間、「生き甲斐の心理学」を恩師U先生から学んできたが、臨床心理学系の理論は、治療だけでなく様々なところで取り入れられてきているんだなとあらためて実感させられた。
 
 30年近くお世話になった某社での社内研修や様々な教育、一般市民を対象とした様々な教育、そんな中に結構現代心理学が取り入れられていることは知っていたが、生き甲斐の心理学を体系的に学ぶことにより、現代心理学の教育応用マップが何となく見えてきたのだ。

 特に生き甲斐の心理学は、臨床心理学と関係が深い身体(基礎医学)の領域、魂の領域(哲学・比較宗教、比較文化の領域)を大切にしアイデンティティがしっかりしているので(U先生がオックスフォード大学で学んだこともあるだろう。)、マップが描きやすいようだ。

 最近の企業の能力開発は、単なる知識教育ではなく、人の変容を求める教育まで及んでいる。そこは、臨床心理学系の領域でもあり、エンカウンター系の教育などは最たるものだろう。そのほか気が利いた企業では、生き甲斐とかアイデンティティにまで切り込む教育を実施している。この領域は、比較宗教、比較文化といった魂の領域と関係が深い領域で、現代の多様な文化と接する社会では、実に中心的な分野でもある。

 私自身のグレート・ジャーニーの準備のために、これから少し旅の準備をしてみたい。

旅の準備 ① 1/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

愛の孤独とグレート・ジャーニー!(愛を思索する旅 ② 10/10)

2013-12-19 | 第九章「愛」

 現在の人類の共通祖先が誕生したのは、いろいろな説があるものの概ね13万年前と言われている。そして、生まれこ故郷のアフリカに住んでいたが、6万年前ごろにアフリカを出立して世界に散らばる。このアフリカ出立は、現在遺伝子の研究から定説となったようだ。

 このことから妄想すると、現世人類は歴史の半分以上をアフリカで生活したということ。そして、それ以降は世界に爆発的に旅する。確かに、今は地球だけでなく、月まで行ってしまっている。

 その移動の速度は予想以上に早く日本には3-4万年前に、そしてアメリカ大陸にベーリング海橋を渡ったのが1万5千年位前。そして、南米の先端に到着するのが1万2000年前だ。海を渡り、陸を駆け抜け・・・何故、このような旅をしたのだろうか?他の動物を見てもこれほど短時間に世界に散らばった動物は皆無といっても良いだろう。

 生き甲斐の心理学を学んでいくと、エリクソンの人格形成論を学ぶ。人生を8つの時期に分けて、その中で獲得していく様々な感情や能力を思索するのだ。その中で、成年となってから得られるものは、愛、世話、知恵の三つである。そして、それに対応するネガティブな感情は、孤独感、停滞感、絶望感である。

 暗い感情はとかく嫌われがちだが、よく考えると、物事をなすための推進エンジンのようにポジティブにはたらくようだ。

 愛の孤独が、反対の親密性を産み、愛の世界を築く。そんな感じなのである。

 私も日本に生を受けたので、3-4万年前に日本にたどり着いた祖先をはじめ現世人類の旅エネルギーをどこかに持っている。それは、エリクソン流に考えると愛の孤独が基本かもしれない。

 クリスマス前の今の時期。

 今日もフェースブックの知人に気づかされたが、冬至の前のこの時期、実に殺風景なのである。写真が好きな私でも被写体に困ってしまう。冬至の前は実に寂しいものだ。

 ふと思い出したが、両親と一緒にアラスカで暮らした7歳のとき。ちょうど今の季節に父と一緒にトラックに載って山林でクリスマスツリーを切りだしに行った。

 とても寂しい道端の木が、家で実に綺麗に飾られていく。その強烈な印象は今でも忘れられない。人を破壊するような孤独感も、考え方によってはグレートジャーニーの原点なのだろう。

愛を思索する旅 ② 10/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o 


好きな人も嫌いな人も大切なのだ!(愛を思索する旅 ② 9/10)

2013-12-18 | 第九章「愛」

 生き甲斐の心理学を学んで10年以上の月日が流れたが、その効用の一つに自分の生育史の解釈を肯定的に変えていくことがあった。オセロ・ゲームではないが今まで黒が多かった生育史を解釈を変えることで白くしていく。人生の最後ですべて白になるか判らないが、恐らく白のを増やすことで不要なストレス曲線が減り、幸福曲線が増えるのは間違いない。

 そのポイントは、当たり前かもしれないが、嫌いな人の意味づけである。好きな人も自分にとって沢山意味があるが、実は嫌いな人も、それ以上に凄い意味がある。それは視点を変えることで得られる。

 もちろん、嫌いな人とのやり取りは、その場は嫌である。特に少年少女のころは、怒られたりすると錯乱したり取り乱したりすることも。しかし、年を経るに従い、嫌な経験から学び、いつの間にか成長しているようだ。そして、こころを健康に保つ方法(防衛機制のしなやかな使い方、現実吟味力の健全性、アイデンティティの統合)も身につけていけるようだ。

 小学校一年のときは嫌いな先生に歯型がつくほど噛み付いて嫌われたが、嫌われることで現実吟味力や正しい防衛機制を身に付け始めたようだ。中学校二年くらいになれば、取り乱しはするものの、それなりに主張できるようになり、社会人になれば・・・まあ、人間的な成長(自戒をしつつ)は嫌いな人の存在がなかったらあり得ないのだろう。

 しかし、最近の世の中は一歩外に出ても、良い人が多すぎるようである。例えば、公共の場で敢えて嫌なひとになって、少年少女(もちろんそれ以外の人もいるが)に注意する人は激減している。社会全体としては問題なのだと思う。もっと意地悪じいさんやばあさん(ホントは心優しい)になろうではないか。 

愛を思索する旅 ② 9/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o 


冨士山はイイネ!(愛を思索する旅 ② 8/10)

2013-12-17 | 第九章「愛」

 竹取物語に冨士山の話がのっているというとビックリする人が多い。しかし本当なのである。一番最後のところで、月に帰ってしまったかぐや姫に悲観した帝が、天に一番近い冨士山のてっぺんで部下の侍に、帝へのかぐや姫の手紙と不老長寿の薬を燃やさせる場面があるのだ。

 竹取物語の時代は、冨士山も噴火していたのだろうから、山で薬や手紙を焼くというのは、噴煙を視覚・臭覚でイメージし、かなりリアリティのある話だったのだろう。

 しかし、冨士山は今でも、何か素晴らしいもの、そして、死でさえ乗り越える崇高な存在なのであろう。この写真は春に青梅方面に行ったときに撮った富士山であるが、この2013年、いろいろなところで富士山を眺めた。地元でも眺め、足柄インターで眺め、・・・もちろん期待したが見られなかったことも多かった。朝熊山(三重県)からの富士山、東京タワーからの富士山(一度は見られたが)・・・

 そして、思うのだが、富士山は何か西欧のメメントモリ(死を想え)の考え方と同様に、私たちに死というか天というかを感じさせる。それも、近くに住んでいれば日常的にである。そして、富士山は生きる意味をどこかで活性化させ元気にさせてくれるようだ。関東人にとっては愛の原型というか愛の薬のような存在なのだろう。

愛を思索する旅 ② 7/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o