12月2日(火) 晴れ 湿り気のある快晴 暖かい一日
このところ快晴が続いているので日毎に最低気温が更新されている。
陽の出とともに畑一面に霜がおりた。
外に出てみると昨日よりも寒さが薄らいでいるように感じるが、俺のからだが順応しているのだろうか?
人参とミズナの畝を見いくと太陽があたって再生するのかと心配になるほどたっぷりと霜をためていた。
青梗菜の株も大きく育ちしっかりと葉を広げ根を寒さから守っている。
葉の上には霜が降りているのをじっと耐えているようだ。
井戸端のバケツに入った水は透明感のある氷を見せてくれている。
今朝の気温はマイナス3度くらいだろう。
寒いとはいえまだまだ氷は薄く少し触っただけで割れた。
2月に寒波がくればマイナス17度以上に冷え込むとバケツの水は底まだ凍っていしまい溶けるのに日数がかかる。
午前中は10時に役場へ行き今日のプレゼン会場でPポイントを使ったプロジェクターのテストした。
画面も良好、リモートもスムーズ簡単にテストを終えて家に戻った。
戻ったところへ「たてしな歴史研究会」の会長が11時に打ち合わせに来るという。
新年会と2月の公開講座の検討に入らなくてはならないが・・・・と庶務的な打ち合わせをした。
土産には彼が丹精込めて作られたリンゴをたくさんいただいてしまった。
50年以上経つリンゴの樹をたくさん育ているので、味は抜群なのだ。
高齢ながら軽トラに身軽に飛び乗り坂を下って行った。
午後一時半に役場町づくり戦略会議と称する町のお歴々が揃う中、提言のプレゼンが始まった。
トップバッターは我々の部会で「町の公共交通の活性化」「環境フェア」「図書館つくり」とスライドを効果的に使いながら45分で終えた。
あとの二つの部会産業と観光部会は10の提言をプレゼンしたのだが、おなじようなテーマのものがあり、まとまりが見えてこなかった。
同じ出発点で始まったのになぜ、最終的な提言の書式が違ってしまったのだろうか?
本来は3部会とも最終的な提言書には同じ書式を使うことが染まされていたと思うが・・・
すべてのプレゼンを終えてから、戦略会議が開かれ今後の予定など話をされた。
次回は町の21年度事業に当たるものをはずして、再度町長の諮問を受けることになるそうだが、これもはっきりと意味がわからない。
会議を終えて家に戻った時には既に日は落ちていた。
Mは風邪をこじらしたのか鼻声で具合がよくないようだ。
どうやら俺の誕生日ということで無理をして起きるように見える。
夕飯は買い物にも行けなかったのに、俺の好きなものずくしが出てきた。
ありがたいことで、ここでパチリと行きたい所だがMが嫌がるのがわかってるのでカメラを取り出さなかった。
次の機会に写すことにしよう。
~66才 誕生日に寄せて~
東京ではいまごろ銀杏の葉が黄色くなり紅葉の最盛期ではないだろうか?
今日12月2日で俺は65才と別れ次の世代に入るという。
ここ山裾の集落でも65才を過ぎると老人会の加入が進められるという。
しかし、現役時代の職場でも65才が定年となっていたが66才になる前日までを現役と考えれば劇的な日を迎えたのであろう。
俺は4年半前に早期退職制度との新設とともに退職して憧れの田舎暮らしにどっぷり浸かった。
まさか、今の様にこの町で多くの人と共にいろいろな好奇心を満足できる生活が来るとは考えもしなかった。
退職当時はどこへいっても『M先生のご主人』と必ず冠を着けて呼ばれた。
(Mはミレニアムと同時に信州へ移り住み、俺は残る3年半を単身赴任+週末田舎暮らしをした)
しかし、今日現在この冠は完全ではないが、かなりの勢いで俺の頭から外れてきているのを実感する。
早く“信州へ来てよかった”と云う思いと、“もっと早く来ればよかった”とすら思っている。
過去のことを思うことはよろしくないが、さらに更に思うことは““俺が酒が飲めれば・・・・”Mの飲みっぷりの10%でも俺が飲めれば!!”
こんなことを思う信州での俺の66才だろうか?
いまや俺の周りの信州人は多くのことを助けてくれて、協働の精神で互いに共生している地域人としてうれしい毎日を心身ともに健康で過ごせることに感謝だ。
このところ快晴が続いているので日毎に最低気温が更新されている。
陽の出とともに畑一面に霜がおりた。
外に出てみると昨日よりも寒さが薄らいでいるように感じるが、俺のからだが順応しているのだろうか?
人参とミズナの畝を見いくと太陽があたって再生するのかと心配になるほどたっぷりと霜をためていた。
青梗菜の株も大きく育ちしっかりと葉を広げ根を寒さから守っている。
葉の上には霜が降りているのをじっと耐えているようだ。
井戸端のバケツに入った水は透明感のある氷を見せてくれている。
今朝の気温はマイナス3度くらいだろう。
寒いとはいえまだまだ氷は薄く少し触っただけで割れた。
2月に寒波がくればマイナス17度以上に冷え込むとバケツの水は底まだ凍っていしまい溶けるのに日数がかかる。
午前中は10時に役場へ行き今日のプレゼン会場でPポイントを使ったプロジェクターのテストした。
画面も良好、リモートもスムーズ簡単にテストを終えて家に戻った。
戻ったところへ「たてしな歴史研究会」の会長が11時に打ち合わせに来るという。
新年会と2月の公開講座の検討に入らなくてはならないが・・・・と庶務的な打ち合わせをした。
土産には彼が丹精込めて作られたリンゴをたくさんいただいてしまった。
50年以上経つリンゴの樹をたくさん育ているので、味は抜群なのだ。
高齢ながら軽トラに身軽に飛び乗り坂を下って行った。
午後一時半に役場町づくり戦略会議と称する町のお歴々が揃う中、提言のプレゼンが始まった。
トップバッターは我々の部会で「町の公共交通の活性化」「環境フェア」「図書館つくり」とスライドを効果的に使いながら45分で終えた。
あとの二つの部会産業と観光部会は10の提言をプレゼンしたのだが、おなじようなテーマのものがあり、まとまりが見えてこなかった。
同じ出発点で始まったのになぜ、最終的な提言の書式が違ってしまったのだろうか?
本来は3部会とも最終的な提言書には同じ書式を使うことが染まされていたと思うが・・・
すべてのプレゼンを終えてから、戦略会議が開かれ今後の予定など話をされた。
次回は町の21年度事業に当たるものをはずして、再度町長の諮問を受けることになるそうだが、これもはっきりと意味がわからない。
会議を終えて家に戻った時には既に日は落ちていた。
Mは風邪をこじらしたのか鼻声で具合がよくないようだ。
どうやら俺の誕生日ということで無理をして起きるように見える。
夕飯は買い物にも行けなかったのに、俺の好きなものずくしが出てきた。
ありがたいことで、ここでパチリと行きたい所だがMが嫌がるのがわかってるのでカメラを取り出さなかった。
次の機会に写すことにしよう。
~66才 誕生日に寄せて~
東京ではいまごろ銀杏の葉が黄色くなり紅葉の最盛期ではないだろうか?
今日12月2日で俺は65才と別れ次の世代に入るという。
ここ山裾の集落でも65才を過ぎると老人会の加入が進められるという。
しかし、現役時代の職場でも65才が定年となっていたが66才になる前日までを現役と考えれば劇的な日を迎えたのであろう。
俺は4年半前に早期退職制度との新設とともに退職して憧れの田舎暮らしにどっぷり浸かった。
まさか、今の様にこの町で多くの人と共にいろいろな好奇心を満足できる生活が来るとは考えもしなかった。
退職当時はどこへいっても『M先生のご主人』と必ず冠を着けて呼ばれた。
(Mはミレニアムと同時に信州へ移り住み、俺は残る3年半を単身赴任+週末田舎暮らしをした)
しかし、今日現在この冠は完全ではないが、かなりの勢いで俺の頭から外れてきているのを実感する。
早く“信州へ来てよかった”と云う思いと、“もっと早く来ればよかった”とすら思っている。
過去のことを思うことはよろしくないが、さらに更に思うことは““俺が酒が飲めれば・・・・”Mの飲みっぷりの10%でも俺が飲めれば!!”
こんなことを思う信州での俺の66才だろうか?
いまや俺の周りの信州人は多くのことを助けてくれて、協働の精神で互いに共生している地域人としてうれしい毎日を心身ともに健康で過ごせることに感謝だ。