田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

収穫の喜びを 餅つきで表す

2008年12月07日 | 日記
12月7日(日) 晴れ 冷え込んだ 日中は穏やかな一日

朝はかなり冷え込み、地面に吸い込まれていた2日前の雨が霜柱となって表れた。
日毎に最低気温が更新されることで、霜柱ができて地中の湿り気が氷となり地表から蒸発していく。
幼少の折には霜柱を手首の内側に置き我慢比べをしたものだが・・・・
いまは見るだけで遊び心にもやってみようと思わない。


俺の住む集落の収穫祭が今日行われるが、それの準備のために8時半に集会所へ行く。
まずは餅つきのために竈で湯を沸かすためにまきに火をつける。
この役は俺が受け持ったが、マキは昨日のうちに集会所へ運んでおく予定だったが、結局今朝7時過ぎに持ってきておいた。
別の役は臼と杵を軽トラで運んできた、タイミングよく湯も煮立ったところで臼に湯を張り昨年の汚れをおとす。
準備がそれなりに進み竈からは蒸し上がった餅米を少しだけ離れた公園に運び臼にいれた。


餅つきは老若男女心あるものは寄れとばかりに一気につきはじめる。
集落の生まれ育った者は代々上下関係はしっかりと守り伝えられいく。
今日のような餅つきの場でも先輩は後輩に餅の付き方を指導し、体力を競うのが習わしのようになっている。
しかし、近年は山仕事もなく畑仕事も機械任せのためか、先輩は威厳を保つために杵の振り下ろしスピードをあげる。
よく見ると後輩の使っている杵は先輩のものよりも3倍も重い物を持たされているようだ。
これも先輩の立場を思えばこそ競っているのだろう。


つき終わった餅は公民館へ運び込まれ、女衆の作業で餡と黄粉、そして海苔巻にされた。
小さな子どもは餡も黄粉もなく、ただただちぎっては口に入れていた。
高齢者のためには小さめにつくり喉に詰まらせないようにと配慮したそうだ。


11時過ぎにはすべての料理が出来上がり宴会がはじまった。
今日の食材は集落で採れたものを原則使用している。
メニューは餅、トン汁、各種漬物、定番の焼き芋、持つ煮込み、豆腐となった。
会式のあいさつに始まり農事報告では安定した天候で水稲、果菜類ともに豊作という。
行政との関連の事業報告など役員諸氏の話が進むなか、宴は同時進行で進んだ。



午後1時には中〆が行われ、酒を飲まない俺にとってはお役御免で家に向かった。
浅間山は朝から姿を変えず、雲ひとつない景色を見せていた。
穏やかで里の収穫を祝ってくれているようだ。

コメント (8)
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