田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

大内道と云う道 公園の冠とした

2008年12月08日 | 日記

12月8日(月) 晴れ 午後から 薄い雲が出る 夕方には曇り

今朝は気の緩みか目が覚めたら7時半にもなっていた。
やらなければならに作業がある・・・・
少々あせって起きた・・・

朝飯を終えてすぐに午前中に文章をまとめなければならないのがある。
集落の公園≪大深山 大内道龍之子広場≫に建てる看板の文章「大内道」についてを集落を中心とした書き方にしてくれという。
この公園は大内道に面しており歴史的にも武田信玄が長窪城を攻めたときに使った道だという記録が残されている。
もっとも立科町の町史には詳しく書いてないので・・・
長門(現長和町)町史と望月(現佐久市)町史、それに北御牧村(現東御市)村史に詳しい記述がある。
立科町のを囲んでいた町村はすべて合併で「市」になってしまっている。
いずれにしても『大内道』は中山道ができる前から利用されており、ここ大深山集落の東西を通り抜ける主要な道となっている。
11時近くにはまとめたものをメールで送ったが、昼過ぎになっても返信がないので電話をすると届いていないという??

昼飯も簡単に済ませ、明日は合同庁舎へ『地域元気支援金』の辞退することを説明に行くことにしている。
これは、確かに計画がち密でなかったこともあるが、初年度支援金を使うことで、3年後まで継続した事業にどれほど費用対効果があるかが課題となる。
“たてしなエコ・クラブ”としては普段の活動に“もったいない”を展開していることに反するだろうと云うことだ。
ただ買えばよいと云う考えから脱却し、それに代わる方法が見出された以上エコに徹するべきだろう。

そんなことで午後の時間も費やされ、夕方になってたてしな歴史研究会会長のお宅へ出かけた。
先のイベントの反省会に参加する会員の確認が主な作業だった。
『夜の会合で酒もでる席だから女性会員には話をしてない』と会長の言葉にはあぜんとした。
会員である以上知る権利はあるだろうが!!
参加するかしないかは本人が決めること、知らせるべきだと進言する。
小一時間もいてしまったか後味が悪い訪問だった。
コメント (4)
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