田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

俺が生まれた年に 戦争に行ったのだと云う

2010年09月20日 | 日記
9月20日(月) 雨    午前中には止む   夕方は 雲間から青空がのぞいた



町を挙げて長寿を祝う会が開かれている。
しかし、俺の住まう集落では足が不自由だとか腰が悪いと云う昔の若者が多い。
それなら、無理をして町の体育館まで行かないで集会所で祝うことになった。

祝うことになったと言うと俺が主催者側のようだが、実はお呼ばれをしてしまったのだ。
後期高齢者予備軍として、老人クラブの後がま養成事業の一環で白羽の矢がてられたのだろう。
11時に合わせて集会所へ行くと皆さん全員が揃っていた。
一揃いのご馳走が並べられビールまで配られていた。

乾杯の後はいつもになく話が弾み、30年40年前のことを昨日のことのように話しては笑い転げる。
声も大きく明るい声に驚くが、皆さん山仕事や畑仕事で鍛えた喉が物を言う。
俺もこの集落に移り住んで10年目となるが、こんなに昔のことが聞けたのは初めてのことだ。
大内道のいわれや昔の道筋は今より勾配が急だったので尾根筋を通って曲がりくねっていたという。
古文書もも残っている物があり、ご巡検道と記されているものがあるそうだ。
男性陣は3名だが俺が生まれた年、昭和17年には戦争に行ったのだという。

足だけが具合が悪いが、元気の良いSさんは週一回デイサービスに通っているが、そこではレクレーション部長を自らかってでたという。
施設では高齢者が自ら楽しむようにしなければいけないと熱く語ってくれた。
3時間にも及んだ及んだ大宴会、これからも定期的に集まろうということでお開きになった。
コメント (2)
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