11月7日(月) 曇り 陽はでるが曇が多い 僅かながら冷たい風
昨日、一昨日と一日中立ちっぱなしが続いたためか、昨夜は腰が透き通るように痛かった。雨だったことも影響しているのだろうが、当日に身体に痛みを感じるとはまだまだ若い身体のようだ。
昼前には青空がひろがり、ちぎれた曇が浅間の麓をいろいろな形に姿を変えながら通り過ぎていく。ぼんやりと眺めていると襞の多いところでは魚の姿が裾の広いところにでると鼻の長い象の姿に変わった。
曇を眺めながらぼんやりとしていると思い出すのは“曇白く遊子悲しむ ・ ・ ・ ” 高校生のとき国語の古文担当の若い先生が大きな声で朗読をしてくれたことを思いだす。藤村は古文ではないが彼自身が好きだと云うことだった。高校時代は藤村や北原白秋、堀辰雄などロマンを感じながら読んだが、今になってこの地に住まうとは思いもしないことだった。
昼飯を終えてから来月に行われる集落の収穫祭案内チラシを作った。土曜日の夜に集会所で打合せがあると知らせを受けていたが、夜になってすっかり忘れ1時間近く遅れてしまった。俺が集会所に入ると直ぐに決まったことを教えてくれて ・ ・ ・ そう言うことなので、“チラシ”と町役場の担当者への“招待状”を頼みます。で会議は終わった。
毎年収穫祭となると極寒(気分的に)に見舞われることになるが、今年は温かな日になってほしい。
東の窓は相変わらずのノンビリした曇たちが通り過ぎて行く。形のあるもの、途中で青空に吸い込まれるモノ、曇にもいろいろあるようだ。
夜には役場の会議室で「町づくり研究会戦略会議答申事項進捗状況報告会」と云う長ったらしい会議に出席した。12名の構成員のうち、欠席者が7名とは少々熱の冷めるのも致し方ない。それなりの経過報告を受けて参会となったが、委員長の発言で「今日の会議を持って戦略会議を解散します」とのこと、あとの継続事項は町づくり推進課で取り仕切るとのこと。
“その後の町づくり”などと名打って町民レベルで会議を持つのもよろしい方向ではないだろうか。