俺の住まう大深山という集落では毎年12月第1日曜日に収穫祭を行っている。
かつては一年の収穫を祝うのに蕎麦を打ったと聞いていたが、おれが移り住んだ2000年には蕎麦はメニューになかった。
今年の収穫祭には是非蕎麦を復活させようと云う機運が高まり、既に7月に町の施設で実習を行っている。
http://blog.goo.ne.jp/kana655969/d/20090726
今日は地産地消の冴えたるものとして食技復興の一つ、収穫祭に向けて蕎麦打ちの技に磨きをかけようと集落の若者が集まった。
若者と云っても既に子どもたちは自立をしている世代が多く、親から家督を引き継いでもいるのだ。
道具を広げたところに打ち手となる4家族8名が集まり水回しから始まった。
参加者の男性は道普請でセメントの捏ねや延ばしを器用にやるのと同じように、蕎麦の捏ね鉢に向かっている。
男の子は外で飛びまわっているが女の子は母親譲りの料理好き・・・・
手を出さないわけにはいかない。
延ばしの段階になると捏ねより難しさがあるのか、6か所で広げた板を集めると日本地図ができるように様々な形になっている。
北海道が何故かオーストラリアに変わったり、どこかの離島のように円形が崩れたようになっている。
延ばしが終わり上手にたたんだあとはそば切り包丁で切る段階に進む。
ここまでは順調に進み開始してから40分が経過している。
切る作業で俄然元気になったのは女性群、包丁の技はお手の物のようだ。
男性でも唯一調理師の免許を持つMさん 何故かカミさんに背を向けて包丁と格闘していた。
切り口は絶妙と云えるかは定かでないが、言葉で表すこだわりが蕎麦にも表れていた。
茹でる役は俺・・・・
少々道具に難はあるが其れなりに細く長い蕎麦が茹であがり、冷水で締めると艶さえ出てきたのに納得。
全てが茹であがったところでテーブルも整えられ会食が始まった。
子どもたちも全員がテーブルに着き、集落の行事で親たちが蕎麦を打ちそれを皆で食べることが記憶されることだろう。
食技復興・地産地消のルネッサンスが定着する喜びを感じた。
早朝から蕎麦粉と打ち粉の計量、道具の準備など手間を掛けてたことが成功につながった。
食後には収穫祭のメニューと材料が何処にあるかなど・・・・持ち寄りで調理することに喜びがあふれていた。