田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

住職と聞くと インテリジェンスを感じるのだが

2009年11月19日 | 日記
11月18日(木) 曇り  雨(東京)  晴れ(信州)

まだ暗いうちに家をでて高速道路に入った。
軽井沢過ぎ下仁田あたりで明るくなり、関越道に入るころには曇り空ながら明るくなっていた・

今日は吉祥寺の母を送る行事がある。
予定どうりに9時15分前に会場に着いたが、俺はてっきり兄弟3人だけで送るのかと思っていた。
極力簡素にしたいと言っていたのかは定かでないが、俺は大賛成だった。しかし、着いてみると親戚など多くの人が集まっていた。兄弟3人だけで執り行うものと思っていたのは俺だけだったようだ。

昼過ぎに全ての行事が終わり、品川の菩提寺から来た和尚を見送るときに、彼との会話の中で気になることを思い出した。
東京の其れなりに由緒がある寺なのだが、檀家が少なくなっていて、その少ない檀家との関係も薄くなっているという。
だからか、境内をつぶしマンションに・・・・枯山水の庭園をつぶし駐車場となっている。
これも寺の維持管理に必要な経済を支えるためには仕方がないことかもしれない。しかし・・・・
信州の俺の住む町にある同じ宗派の寺と比較しても経を読む声、息継ぎの様など重みがないのだ。
昼の会食の折に、普段の寺の行事で檀家や地域の人とのコミュニケーションのあり方を聞いたが、とくに語ることも無いようだった。
更には宗教的な意味合いを持つ「初七日」の意味を聞くと彼は『人が死んで7日経ったこと』と答えた。。。
この後に何か質問をする気が起こらなかった俺だった。

そんな会話があった後に、彼が帰る時に駐車場まで見送ったが。
彼が乗ってきた車はドイツ製の高級スポーツクーペだった。
見送ったあとに彼が書き残した毛筆の文字を見せられたが・・・・
先ほど彼が乗り込んだインテリジェンスを感じさせるスポーツクーペとはかけ離れたものだった。

合掌
コメント (16)
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