田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

蝶や虫や鳥 そして俺も 冬の準備

2011年11月14日 | 日記

11月14日(月) 濃霧   晴れたが陽射しは弱い 夕方から寒くなる

朝 早くの電話、隣の集落の爺様からだ。「今っから大根持ってくからまってろ」とのこと、やがて軽トラが登ってくるのを見ると荷台には大根の葉がこんもりとしていた。何本いる? 四、五本もあれば ・ ・ ・ すくねぇな、ぁ~ 十本置いてかぁ 瞬間的な出来事ながら見事な“総太り大根” 俺は朝飯を摂ったあとの一仕事、葉を落とし畑の脇に埋けることになった。

全ての大根を片付けてから、籾殻も山となっているので、今年は僅かの収穫しかなかったミョウガの畑と無花果の根廻りに分厚く置いた。

近くでは、てっきり消えてしまったと諦めていた黄色いバラが地面近くで花を見せてくれている。 

昼過ぎに太陽が照り始めると僅かに残っているノコンギクにベニシジミが口吻を突っ込んでいる。花から花へ飛び移る姿は花の最盛期では見られない余程蜜が僅かしかないのだろう。 

ヤマトシジミも既に葉は枯れているイヌタデの花に止まるが直ぐに隣の花へ移る。蝶たちは残る季節を精一杯生きて欲しい。 

ブーンっと羽音を立てて俺の耳の横を通り過ぎてノコンギクに止まったのはナミハナアブ、ハナアブの仲間もだいぶ姿が見えなくなった。 

アスパラの畝やニラ、ニンニクに籾殻を被せ終わってからムクゲの選定をはじめた。今年は枝が伸びすぎてジャマになるようになった。したの枝から切っていると目に入ったのがモズのハヤニエ。冬眠に入るのが遅れたアマガエルだろうか?これも自然界の現実、真柄カエルの鳥葬とでも云うのだろう。 

ムクゲからナナカマドに移るとここにもモズのハヤニエがある。いつもはトノサマバッタやトカゲを見るが、今年はカエルが狙われたようだ。 

ハヤニエは冬への備蓄か、恋の相手に貢ぐのか?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第3回 立科町合唱祭 届け 被災地へ 心のハーモニー 俺的なオランティア 

2011年11月13日 | 日記

11月13日(日)  濃霧  晴れ 穏やかで温かな一日

この季節山裾では天気の良いときの朝は霧で夜が明ける。今朝は何時もより濃い霧、庭を一廻りするだけで着衣がしっとりとなった。

 

家を出るときには慌ただしく何時もは持たない荷物を積み込んでMの助手席に乗り込んだ。小学校に到着したのは9時少し前、玄関の前には役員がドアが開くのを待っている。

今日は町の合唱のグループや小学校、高等学校、役場職員グループと様々な団体が一同に介した第3回立科町合唱祭が開催される。運営は実行委員会がそれぞれの合唱団から代表者が集まって組まれた自主団体になっている。演奏団体以外でも町内奉仕グループ「蓼科クラブ」「やらず会」また、個人の方の応援で会場の設営がなされた。イスやステージができあがるとスタッフはプログラムの折り込みや、来場者との合同合唱の歌詞カードの差し込みなど一段落するまで忙しく動いていた。 

開会挨拶は実行委員長と町の代表者、教育長の挨拶は流石、町民の文化活動に理解がある言葉が多く一同やる気が増したようだ。

演奏はひ孫がいるような世代中心の「童謡唱歌を歌う会“やまびこ”」子鹿のバンビ・七つの子など5曲の童謡をメドレーにしたものを歌った。二番手は生きの良い立科の女将さん連中だろうか「華」という女性合唱団。「芭蕉布」「この広い野原いっぱい」「誠城寺の狸囃子」何れも美しい澄んだ声が合唱祭の格を上げたように聞こえた。 

次の演奏は蓼科高等学校の合唱同好会、これが素晴らしかった。7名の女子と男子1名、それに男性のテナーの美声を持つ先生もピアノ伴奏と共に声でも参加していた。女子7人のアカペラでの「アメイジンググレイス」そして、秋の歌メドレーは混声合唱でも少人数ながらハーモニーの美しさで感動させてくれた。

今回も録音は隣町長和町の方が音響専門業をしているにも関わらず『たてしな応援隊』の一員としてボランティアだと云う。そして、総合司会者としてはいろいろな行事で進行役を務めているTNさんが全てを受けてくれた。

 

休憩前の演奏は障がい者とサポーターで集う団体「ころころりんの会」による、“大きな歌”“手のひらに太陽を”を大きな声と動きで歌ったのが新鮮だった。二曲目は会場全体が輪唱で歌い、題名のとおり太陽のキラキラを手のひらで輝かせ、何時もながら《誰もが当たり前の生活を ・ ・ ・ 》の心で一つになた思いがする。

休憩をはさんでゲスト出演、Thursday Colors と云うゴスペルグループの演奏、ここでは4名の女性が歌い上げるハーモニーと音の動きが素晴らしく会場全体がユレた。中でも最後の曲では会場全員手振りを一つにして歌った“きずな”には胸が熱くなる。 

続いての出演は役場職員有志の合唱団で昨年と比べて、衣装よりもハーモニーとリズムの動きに楽しさが見えた。「上を向いて歩こう」「出発の歌」では男性も少ない人数ながら声が良く出ていた。行政マンとして硬い職場のイメージとは別の親しみのある姿が好感が嬉しい。

続いては25年以上も継続し歌い続けている立科コーラス、「見上げてごらん夜の星を」「埴生の宿」を歌い、年齢層の幅はあるが充分に安定した声を聞かせてくれた。

演奏会のトリは小学校の合唱クラブ、昨年とはことなり身体の動きは少ないが歌本来の声の美しさとハーモニー、リズムの取り方が一段上に上がったように聞こえた。「白い曇」「七つの子」「崖の上のポニョ」で最後にはアンパンマンのマーチを会場内全員の大合唱となった。

楽しい一日だったが ・ ・ ・ オマエは何をしてたのか!!って云われそうだが、相変わらずの雑用とステージの出入りの案内、マイクの扱いなど細々なコトをしながら、備忘録のために写真をとったりした。

明日からは今年度の経費精算、補助金75000円の明細作りなどが始まるが、人の声と歌詞、ハーモニーとリズムでこれほど心が豊かになれ、来場者数は250余名が一つの心になれるのが嬉しい。第4回に向けて熱き気持ちを持ちづけることで、来年は企業のコーラスグループも参加するようになるだろうか。町内の歌好みの大勢が一同に介する一日が長く続くことを願いた。 

 全ての片付けをして会場をでたときは太陽は曇に隠れていたが寒さを感じなかった。演奏に参加した人も会場で大きな声で歌った人も町内でよく見る顔、町挙げての大合唱、東日本、北信栄村他日本全国に立科町から応援の歌声が届いたことだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“おやき”をつくろう 東信州田舎暮らしネットワーク定例会

2011年11月13日 | 日記

11月12日(土) 濃霧 午前中には霧が晴れる 温かい 小春日和

朝から慌ただしく軽トラに生ゴミを堆肥化している段ボール箱一式と、新しく取り組む人サンプル一式積み込んで望月観音寺にある交流センターに向かった。

9時少し前に到着、一番乗りと思ったら既に建物の中では受付が準備され、直ぐにスタッフで打合せが始まった。

今回で4回目となる交流会だが、秋の催しは収穫祭を名打っており材料は全て会員持ち込みになっている。作るものは「おやき」と云うことで地粉をこねて、ジャガイモやニンジン、カボチャ、大根と具材はいろいろな味付けと食材で4種類となった。

お焼きは賑やかな主婦連が主に担当し、男性陣は巻繊汁を作る役に廻った。俺はと言うとお焼きを鉄板で焦げ目を付けたあと蒸す作業を担当したので着きっきりとなり写真も撮るヒマが無いほどだった。

全てが予定どおりに12時には160個のお焼きが揃い、けんちん汁と共に44名の参加者の腹に収まってしまった。

レシピは会員Iさん手書きのイラスト付き 素敵なものが全員に配られました。

<家に帰ってからカメラで写したもの 見にくくてごめんなさい>

このあとは生ゴミを堆肥化する段ボールの説明と、それを畑の肥料に出来ること。また、畑の生き物たちの循環で口に入る野菜ができるが、野菜も元は草、自然の生業に任せた生き方をしたいなどと話をしたが、大勢の会員はほとんどが無農薬で野菜を作っていると云う。

会員の中には家具の職人や塾の教師をしながら野菜作りに励んでいる人、ストーブの炎を自在に操りそのために薪も樹種に拘るという輩もいる。楽しい出会いが次の生き方を発見する中、大方は定年を境に田舎暮らしをはじめた者、高齢化は直ぐ近くにあることを見据えて構えていこうというこおとになった。

片付けを全員で行い家に着いたときは浅間を囲む曇は僅かに赤く染まっていた。

7時近くなると東の空には満月を一日遅れにした十六夜、限りなく明るい月が浅間の肩を浮き出させていた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修理は Door two Door 3日 とは云うが

2011年11月11日 | 日記

11月11日(金) 雨  激しく降る  夕方になり小雨から止む

昨夜からの雨は朝になって更に激しく降っている。気温はそれ程低くはないのだろうが気分的に寒い。床暖の温度を上げるにはモッタイナイとストーブに火を入れた。

今年初めての火入れなので本来は火の神様に、御神酒と“土の中から採れた薩摩芋”“地上で天に向かって育つネギ”をお供えして火の用心をお願いするはずだった ・ ・ ・ 

細い木を沢山入れて一気に300℃(煙突の根元にある丸い温度計)まであげる。このような高温にするには理由があるのだが、それは夏に煙突からスズメが入ってきたことはこのブログに載せたが、助けたスズメは3羽、他に下のガラスには見えなかったが、二羽が煙突の途中で騒いでいたことがある。彼らは上まで登って外へ向かったのか、煙突の中でコト尽きたのか定かでない。若し途中であるならば、一気に火葬と云うことにしたかった。

ストーブの温度が安定したところで、外へでたがまだまだ雨は激しく降っている。黒竹の葉からは水滴が途絶えることなく糸のように流れていた。

明日開催される、「東信州田舎暮らしネットワークの会」で俺が最古参になるのか、会の中で10年選手ということで“お話”をすることになっている。会員の中では「生ゴミを有効的に処理する方法を知りたい」と云うことで、俺のライフワークと云うほどではないが『ダンボール式生ゴミ堆肥化』を中心とした話をすることになった。言葉だけでは解りにくいので、現物を会員の前で作ろうと段ボールを組み立て、腐葉土を5kg米ヌカ3kgを秤で量って袋に詰め用意した。

外での仕事をして家に戻ると、ストーブの温度は既にさがり、手前の床も程よい温もりを持つ頃になっている。Salaは得意のポーズで脱力をするが、AlgoはSalaの膝枕がお気に入りなのだ。夏には熱いのはイヤだとSalaの近くでは寝ることはなかったが、今はこの姿が一番リ安信するらしい。

 

午後には例のプリンターが戻って来るものと信じて待っていたが ・ ・ ・ なんの連絡も無い。修理センターに連絡をすると「既に発送してある」と云うのでヤマトに電話をすると、全部調べたが無い。再び発送元に電話を掛けて何時発送したか問うと、今朝だと云う!!

ドア ツー ドア 3日を謳っているがと聞くと、『運送会社の都合によります』とブッキラボーの声 ・ ・ ・ 

ヤハリ オレガ マチガッテイタ メーカーを選ぶことを怠っていたようだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋から冬へ なんとなく寒い一日

2011年11月10日 | 日記

11月10日(木)  曇り  昼前から青空が多くなる  何となく寒い

昨日から何となく身体が怠く節々に痛みを感じる。寒いのを我慢したことで肩がこることも影響しているのだろう。

昼過ぎには太陽も照り始め陽のあたっているところは温かに見える。外に出てみると白樺の葉はすっかり落ちてしまう僅かに残っているモノは葉の色を無くし茶色に変化している。空一杯に広がった曇は北西から南東にゆっくりと流れている。見上げている俺の上半身が雲の流れと反対に動に動き危なく倒れそうになった。 

今時は3時になると西の山陰に姿を消そうとする太陽、まだ紅葉した葉が残っているブールーベリーの葉を透かして見せた。 

庭に咲く花は僅かに残ったシュウメイ菊とノコンギク、何種類かの菊の花は盛りになるのは未だ早いようだ。ノコンギクだけは未だ蜜が残っているのかヒラタアブの仲間が来ている。 

裏山との境ではタンポポが黄色の花と羽を付けた種が並んでいた。明日は雨と云うがこの種たちは無事に遠くへ飛ぶことが出来るのだろうか? 

裏山との境、土手になっているところでは新たにニホンアナグマが巣穴を掘った。フラッシュを焚いて中を覗き込むと深くなり見えるところから先は上に向かっているようだ。ニホンアナグマは冬眠すると云うが、この奥はどうなっているのだろう?彼の鋭い爪を思うと余り深入りしないのが身のためだろう。 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EPSONってダメなメーカーとは思わないが

2011年11月09日 | 日記

11月9日(水)  曇は多いが晴れ  肌寒い一日

<頭を曇の上に出し・ ・ ・ 富士山の代わりにはならないが>

エプソンEP803A 今年の8月に購入したプリンターがまた、故障した。前回は買った月の翌月9月には電源が入らなくなり修理に出した。戻ったときは『プリンターメカユニットの故障が原因でユニットを交換した』との修理伝票が添付されていた。それが、また、今週の月曜日の夜、11月7日に印刷が出来なくなった。今度のサインは『用紙が詰まっているか、異物が入っている』とのこと、何処を探しても詰まっているとされる紙はない。

この症状は前回と同じで用紙が詰まったサインが出て、いろいろ探しているうちに電源が入らなくなったのだ。購入して3ヶ月の間に2回も同じ原因で修理にだすと云うことは機械自体が悪いのか、エプソンの開発部門に問題があるとしか考えられない。また、保証期間内に続けて二回も修理に出すのだから代換え品を貸し出しても良いと思うが、その点はしっかりしていて『保守契約をしてくれれば ・ ・ ・ 』とのことだ。確かに、9月には新型が発売されたので“旧型ナンカ使ってナイで早く買い換えろ”とでも言いたげだ。

俺の短絡的な考えでは次に買い換えるときはエプソンを止めた方がよい』と結論がでている。

こんなところで“嘆き節"をツラツラ書き連ねることはないのだが、エプソンにクレームのメールをしてもナシのツブテ!!

憤懣やるかたないことだ。

<浅間山も同調してくれたのか久々に黒い噴煙を上げた>

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文学碑が多い立科町を巡る 

2011年11月08日 | 日記

11月8日(火)  晴れ  薄い曇が広がる寒い  女神湖周辺は更に寒い

立科町には文学碑が多いと聞いていたので、何時の日か巡って見たいと思っていた。先週、有線放送で公民館とすずらん学級運営委員会の主催で歌碑を巡る会があると云うので参加を申し込んでおいた。出発時間は9時と云うので50分に着くと既にバスには人が乗っていて空席は俺ひとり分だった。

全員を待たせてしまったが、すずらん学級は老人会の文化活動と云うことで集合時間前早くから集まるそうだ。

案内は竹花初雄先生で先ずは津金寺でバスを降りた。ここには保科五無斉さんや明治の旧村々の財産区の境界争いの折裁判所評定委員が連歌を残したものが碑となっている。

五無斉さんの碑には「我が死なば先の山部に送るべし焼いてなりとも生でなりとも」「ゆっくりと娑婆に暮らして暮らしてさてお出でわしは一足ちょっとお先へ」彼特有の狂歌だが、町の偉人として創作紙芝居にもなっている。

津金寺の見事な紅葉を後に次は中山道笠取峠松並木公園に向かった。ここには若山牧水の歌碑や前出の五無斉さん、三石勝五郎の歌碑が遊歩道沿いに置かれている。

次に向かったのは茂田井で集落の公民館がある広場には神社、芝居小屋などがあるが、大きな石の鳥居の脇には芭蕉の「山路来て 何やら床し すみれ草」の句碑がある。これは茂田井在住だったが俳人が碑を建てたと云われている。この「野ざらし紀行」に収められている句は、芭蕉が「大津に到る道、山路をこえて」の詞書にある句だが、この句碑は全国に40基ほどあるそうだ。

廻り舞台のある芝居小屋、両袖には花道もあり太い欅の梁の上にはコテ絵が描かれ、当時は漆喰の白だったが、太平洋戦争で空から白が目立つと墨で黒く塗られている。昨今は大鹿歌舞伎で民衆文化が見なおされているが、何時の日か茂田井の芝居小屋で三番叟でも見てみたい。当時使われていた衣装は集落内の大澤酒造の美術館展示されている。

同じ茂田井の中だが、ここは望月町(現佐久市)地籍になる、武重酒造を見学した。何時もなら聞き酒に杯を交わすのだが、今日は若山牧水の歌碑がある。

集落を流れる堰は昭和の30年頃までは生活用水として使われたそうだ。

里を後にして向かったのは標高1550mの女神湖二西岸には伊藤左千夫の「蓼科山歌」の歌碑が置かれている。

女神湖の南ボートハウスの前には女神像と共に、瀬齊正峰の「蓼科旅情」の歌碑が刻まれている。昭和40年代末には歌謡曲として中山大三郎が作曲し野路由紀子が歌ったCD(当時はドーナツ盤)が町内全戸に配られたそうだ。

最後に訪れたのは牧場のなか、冬はゲレンデとなるがその下のところに若山牧水夫妻の歌碑が置かれている。しかし、ここには案内板もなく近年は訪れる人も少ないそうだ。

 この町には若山牧水の歌碑は7つある。また、町内には個人で立てた句碑を含めると相当数あり、集落でも句会があるところが多い。

久しぶりに文学的な香と昭和40年代まで多くの文人が訪れたそうだが、今はその方面はどうなっているのだろうか。

公民館に戻ったのは12時10分予定通りの行程で研修会が散会となった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窓ごしに流るる曇 遊子楽しむ

2011年11月07日 | 日記

11月7日(月) 曇り 陽はでるが曇が多い 僅かながら冷たい風

昨日、一昨日と一日中立ちっぱなしが続いたためか、昨夜は腰が透き通るように痛かった。雨だったことも影響しているのだろうが、当日に身体に痛みを感じるとはまだまだ若い身体のようだ。

昼前には青空がひろがり、ちぎれた曇が浅間の麓をいろいろな形に姿を変えながら通り過ぎていく。ぼんやりと眺めていると襞の多いところでは魚の姿が裾の広いところにでると鼻の長い象の姿に変わった。

曇を眺めながらぼんやりとしていると思い出すのは“曇白く遊子悲しむ ・ ・ ・ ” 高校生のとき国語の古文担当の若い先生が大きな声で朗読をしてくれたことを思いだす。藤村は古文ではないが彼自身が好きだと云うことだった。高校時代は藤村や北原白秋、堀辰雄などロマンを感じながら読んだが、今になってこの地に住まうとは思いもしないことだった。

昼飯を終えてから来月に行われる集落の収穫祭案内チラシを作った。土曜日の夜に集会所で打合せがあると知らせを受けていたが、夜になってすっかり忘れ1時間近く遅れてしまった。俺が集会所に入ると直ぐに決まったことを教えてくれて ・ ・ ・ そう言うことなので、“チラシ”と町役場の担当者への“招待状”を頼みます。で会議は終わった。

(clickで大きくなります)

毎年収穫祭となると極寒(気分的に)に見舞われることになるが、今年は温かな日になってほしい。

東の窓は相変わらずのノンビリした曇たちが通り過ぎて行く。形のあるもの、途中で青空に吸い込まれるモノ、曇にもいろいろあるようだ。

夜には役場の会議室で「町づくり研究会戦略会議答申事項進捗状況報告会」と云う長ったらしい会議に出席した。12名の構成員のうち、欠席者が7名とは少々熱の冷めるのも致し方ない。それなりの経過報告を受けて参会となったが、委員長の発言で「今日の会議を持って戦略会議を解散します」とのこと、あとの継続事項は町づくり推進課で取り仕切るとのこと。

“その後の町づくり”などと名打って町民レベルで会議を持つのもよろしい方向ではないだろうか。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨にも負けず 大勢が集う ふれ愛むら

2011年11月06日 | 日記

11月6日(日)  濃霧   曇り  雨  午後には 本格的に降る

夜中には激しい雨音にテンションが下がる思いをしたが、目が覚めると音もなく集落は霧に包まれていた。山から降りてくる霧は重たいのか木々の枝の中、葉の裏側にまで入り込んで行くように見える。 

昨日テントを張っておいた“ふれ愛むら”8時30分からの準備はテントに溜まった雨水を落とすことから始まり、人数が揃ったところでテントの足を立てる作業で気合いを入れた。10時定刻の開会式が始まると雨がポツポツと落ち始める。 

俺の担当は社協の「ふれあいバザー」用意したモノが完売するぐらいに売れたと云うよりも『買ってくれた』と云う店長。 

 一時曇が切れ雨が止むと直ぐにテントの外へ商品を広げる。スタッフはブースを訪れてくれる人とのふれ合いが大切と云う。

“ふれ愛ひろば”の餅つきも人気のイベントだが、雨のためにガレージでの仕掛け、尽きたてのモチはきな粉とゴマに包まれてあっという間に三臼が皆さんの胃袋へ治まった。 

ステージの出し物は「手話の会」のフラダンスや小学生の歌や寸劇など、お楽しみな出し物が多く、中でもKマジシャンの手品は大受けだった。 

最後の〆はコーラスで元気な歌声で来場者との大合唱で幕を下ろした。 

このイベントでは雨は初めてということ、前回・前々回は環境フェアと合同だったが、第1回に単独で展開された「たてしなふれ愛むら」の形に戻り、障がい者健常者も一つの目的に向かって盛り上がったイベントになった。スタッフも参加者も来場者も“アメにも負けず” の実践者となり大成功といえるだろう。

我が家に戻ったのは4時、二日間のイベントを通じて福祉の町を自負することに町民ひとり一人の心意気が熱く思えた。

 

集落を囲む木々は久しぶりの雨に紅葉も一段と美しさを増したように見える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福祉とリサイクル 買う人も 出す人も バザー

2011年11月05日 | 日記

11月5日(土) 晴れ 午後には雨 夜は下弦の月が雲間から見える

朝9時から始まった社会福祉協議会主催のバザー、毎年恒例になっていて、今年で23回を迎える。福祉とリサイクルを冠に掲げているが、確かにRecycle目当ての人は大正昭和を匂わせる和服が目当てだ。話を聞くと「昔染められたものがこんなに安く手に入るのは他にない」そうだ。朝早くから会場前に並んでいる人はこの手のものを狙っているそうだが、一般の人は子どもの衣料品や季節物なでReuseが目的でだろう。

日乃出の時刻には濃い霧で曇りかと思ったが、やがて太陽が隣の集落との境にある山を越えて顔を見せると、上空には青空と秋の曇が見えた。

太陽の光に霧が消されると白樺の黄葉した葉をシルエットから黄色を見せるようになる。

8時30分のバザー会場ではスタッフは揃いのオレンジ色のジャンパーで販売の注意事項とガンバロウを三唱して開店となった。衣料品、贈答品など何しろ安い。コートも新品のタグまで付いているモノが1000円の値札が付いていた。また、ミンクのショールなど会場内最高額だったが5000円となっていた。

 

午後3時には閉店となったが、本日の売上高を聞くのを忘れてしまった

チリも積もれば山となった 片付けはモッタイナイの声しきり ・ ・ ・

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

燃える秋 切り見もおつなもの

2011年11月04日 | 日記

11月4日(金)  晴れ   汗ばむほどの暖かさ  穏やかな一日

早めに昼飯を摂り出かける支度をしたが、余裕の時間なので庭を一廻りしした。庭の先端に植えたモミジは2回も草刈り機で刈払われたにも関わらず大きくなってくれた。名は忘れたが秋の紅葉にはいろいろな葉の色が見られる種類と云われてた。

アジサイの葉も色替わりを見せているが、ツマグロオオヨコバイも夏に見せた緑色から黄色みを帯びている。日向ぼっこをしているのか?この先の冬をどのように迎えるかを話しているようだ。

葉が落ちたサクランボにはジョロウグモが網を張っている。この季節になると獲物も少ないと思うが、彼は獲物の残骸を誇らしげに周りに置いている。

地面ではタンポポだけが元気に花を開いている。ベニシジミ 翅を傷めながらも口吻を花のシベと同じように螺旋状に見せているのがよい。

夏の早い頃から秋の花として姿を表した桔梗、今は枯れた姿ながら星形のキュートな表情を見せる。

桔梗の枯れ姿ではないが、越年トンボは数が多い。音もなく静かに移動して吸い付くように枝葉に止まる。細身の身体で年を越すと云うが、雪が降るときに出会えることを願う。

刈り取りから脱穀も終えた田では、牛糞の堆肥を撒いている。耕耘機の後ろに専用の機械を連結させての作業、音も賑やかだが未成熟な堆肥の強烈な匂いが風にのってきた。田舎の風物詩とは云え少々困りものだろう。

昼からは明日のバザーの最終点検、値札の落ちはないか、適正な価格にされているかなど、二人一組で並べられた商品を点検した。

その後、日曜日に福祉団体が開く“ふれ愛むら”の準備に廻る。テント8張りを建て、イスとテーブルを運び込んだ。日曜日は天気が良くないとの情報もあるが ・ ・ ・

晴天率 日本一二の立科町 雨は降らないことを願う

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日頃の“ありがと”返し 集中ボラ活動 

2011年11月03日 | 日記

11月3日(木) 曇り  生温かな 霞がかった一日

早めの昼飯を摂りおわったところでMが戻って来た。入れ替わりに俺が出かけると言う、一家を挙げてバザーのボランティア。

毎年この時期には社会福祉協議会主催のバザーがあり、販売品の受け入れは29日から始まっていた。バザー当日は5日の一日だけだが持ち込まれた商品を並べたり値札を付けたりの作業が大凡一週間続く。

持ち込まれるものは新品同様のモノと但し書きがされているが、新品に近いとは云うもの使っていた人のイメージなので受け入れ側とはズレがでるのは仕方がないだろう。どう言う経緯で持ち込まれたのかは定かでないが、針運びが多様な手縫いの雑巾は確かに未使用のものだった。他にも石鹸など昭和の香のする物など持ち込まれるものはいろいろある。

 

バザーだからとイラナイモノを持ってくるのではなく、人が欲しがるもの、代金が福祉に役立つためにと云うことで持って来てくれる。大切に飾ってあったのか金襴緞子が描かれた羽子板まで登場するとは驚いた。イラナイ物か欲しい人が絶対いると信念で提供して暮れたものだろう。

俺の作業としては専ら値札付けで一つづつ値踏みしながら金額を書き込んだシールを貼っていく。俺的な価値観と世間の主婦や小さな子どもがいるお母さんの感覚とどの位違いがあるのか確認してみたい。大した作業でもないが3時間の開場を行ったり来たりキタリイッタリで作業がおわった。

作業の後はしばし、ボランティアコーディネートのことで仲間と話をしたが、確かに横の連携が難しい。明日はバザーの最後の準備さてどうなることだろう。

一日中無表情に霞の中にいた浅間の峰々、俺が家に向かう頃、僅かに空が色香を見せた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春のような気候 イカリモンガも姿を見せた

2011年11月02日 | 日記

11月2日(水) 晴れ   温かい  午後からは薄曇が広がる  

朝から温かい空気、“小春日和”と云いたいところだが、未だ木枯らしは吹いていないし、初冬と云うにははやい。昼過ぎから外へでてアジサイの枝打ちなどどうするか見に行くと、未だ濃い緑の葉の上に小さいが派手目な蝶がいた。咄嗟のことどシャッターを押したが直ぐに不器用な飛び方だが上に昇見えなくなった。

今年は庭木を剪定しなくてはならいが、葉が落ちてからと順番も考えていない。北側の小さなヤマボウシやエゴの樹はだいぶ葉が落ちた。ヤマボウシを見ると未だ赤い実が着いているように見えたので裏側に回ると、落ちた実が小枝に挾まれているだけだった。

畑の西側を廻ると白いコスモスにムシがいるように見えた。このところ花を見るのもムシや蝶がいないかと目が先に探す。近づいてみるとコスモスの先に花が終えたものが花片の上に出ているだけだ。

今の季節バラが幾つか咲いているが、ドッグランのフェンスにもたれかかって赤いバラが咲いた。「犬がバラの棘で怪我をする」と過保護発言から根を引き抜かれたバラだ。バラの方もそれを知ってか少しだけ根を置いていったのかもしれない。しっかりと地中で育ち大きな赤いバラを見せてくれた。犬たちはこのところ、ここでは遊ばせてもらっていないことから、赤いバラが勝ったのだろう。

一廻りをして西の白樺の近くまでくるとノコンギクにイカリモンガの姿があった。“イカリモン”とはこの裏翅の中央にある白地のV字紋が謂われなのだろう。“ガ”と云うが何処が蝶と違うのか?この蛾は春にしか見られないと思っていたが、秋にも羽化するようだ。翅には傷もなく色も春のモノより濃いように見える。

今年は蝶のような蛾を8月に多く見かけた。アゲハモドキは8月18日のブログに載せたが、俺は一瞬クロアゲハ?と思った。 

http://blog.goo.ne.jp/kana655969/d/20110818

また、8月24日のオニベニシタバは白樺レストランに来て常連のカナブンを翅でたたき落とした“鬼”の冠を持つだけて猛者のようだ。

http://blog.goo.ne.jp/kana655969/d/20110824

アゲハモドキ、オニベニシタバも蛾と言うイメージの色ではないことから不思議に思うが、イカリモンガは「長い口吻」「細い触角」は蛾ではない。“蛾”と云うと羽ばたくだけで鱗粉がハラハラと落ちて如何にも汚らしいと思わせる。ノコンギクの紫の花びらと黄色のシベにこれほど似合う蝶はいるだろか?誰が“蛾”の分類に入れたのかは定かでないが蝶としても良いと思う。日本蛾学会、日本蝶学会 ・ ・ ・ どれを開いても答えは同じようなもの、ガとチョウの違いを明確に分けるのは難しく、何れも例外はあると云う。

俺がこんなに拘っても ちょう 難しい が

谷啓さんが存命であれば 明解な回答を得られただろう

オアトガヨロシイヨーデ。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霜月と云うには温かい一日 焚き火

2011年11月01日 | 日記

11月1日(火)  曇り  晴れ  秋空が快復 爽やかな一日

今朝は予報に反して厚い雲に被われて朝を迎えた。去年の薪材がまだ残っているのでそれを片付ける作業に迫られ、朝からチェンソーと薪割り機を動かした。リンゴの木も腐乱病にかかった木を焼却する焚き火、三時を過ぎると陽が陰るので、暖かさが嬉しい。 

 

ここ山裾の集落はすり鉢状で、東を除き山に囲まれている。東側の山には落葉松が多く、僅かに黄金色にはなっている。それでも西陽に照らされると秋色が濃くなり霜月になったことを感じさせる。 

今朝は9時過ぎから青空が広がりだし1時間もすると高い空の端から押し出されるように白い曇がつぎ々に湧いてくる。 

薪割りを休憩して辺りを一廻りすると、今年は数が少なかったベニシジミが傷めた翅を休めるかのように、ゲンノショウコウの葉の上に止まった。 

あかまんま(イヌタデ)が密集するところでは、ヤマトシジミが幾つも舞っている。その中で絡み合ってイヌタデの中へ落ちていく姿をみた。近づき、腹ばいになってカメラを構えると、胴体は密生した毛で被われ、顔もヒゲズラになっていた。 

瞬間的にカメラを向けて静かにこの場所をあとにしたが、今から交尾して卵を産むと卵のまま越冬するのだろうか? 

春になると虫たちの幼虫が出て来るが、彼らはイモムシの姿で5段階くらい姿を変える。下の写真の笹は葉を虫に食われた時は葉も広がる前で丸まっていたところを外から中へムシが入ったのだろう。青い実はアオツヅラフジ(青葛藤) 

ミニバラ・バレリーナの最後の蕾は開かないかと思ったが、このところの暖かさできれいに花を開いて見せてくれた。 

バレリーナのシベの中央に赤いムシのようなものが見えたのでUPしてみたが、どうやらムシではなさそうだ。若しや、受粉したシベが赤く変化すると云うことはあるのだろうか? 

昼飯を済ませてから再び薪割りを続けた。片付けをするころはすっかり陽が陰になってしまった。西日が最後まであたる東側の家々も既に山陰になっていた。 

裏山のニセアカシアはだいぶ葉が落ちた。今月中には手前の列になっている木を伐採することを予定している。

5時前には浅間の山々も西陽があたり夕焼け色に変わってきた。この後は闇に吸い込まれるのは数分の間だった。 

冬に向かう準備 しっかりした予定をたてよう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする