今日のブログのテーマを入れようとして科学技術という項目がないのに気づいた。
「仕方がないので社会・経済に入れた」と以前に書いたが、その後科学・技術の項目を追加したので今は科学・技術の項目に入っている。
小さな発明とか工夫だが、これは日本人の得意とするところであろう。
ホッチキス(stapler)で書類をとめるとその裏側が丸く盛り上がって書類をたくさん重ねるとそこの部分が盛り上がって困るというので、このホッチキスのピンの裏側がぴったりと紙にくっつくという改良されたホッチキスが出ている。これなどは小さな改良の最たるものであろう(注1)。
今朝、つめを切っているときに思い出したのだが、昔の爪切りは爪をきると爪の切った破片が四方に飛び散って困ったが、いまではそういうことのないように工夫されている。
これも小さな改良だろう。しかし、それで新聞紙を広げてそのところで爪を切るという不便はなくなった。
海外に行くとタクシーを降りたときに日本人はドアを閉めないというので、海外のタクシーの運転手から嫌がられるそうだが(注2)、日本でタクシーのドアは自動ドアであり、乗客がドアを自分で閉めたり開けたりすることはほとんどない。これも小さな工夫といえるであろうか。
このごろはOHPのプロジェクターをほとんど使わなくなったが、OHPのプロジェクターでカーテンをして、部屋を暗くしなくてもよく見える、強力で明るいレンズのOHPプロジェクターも開発されている。
パワーポイントが普及した現在では、これも現在では無用の発明だったかもしれないが、以前の私の研究室で卒業研究をした学生がフレネル(Fresnel)レンズの応用だといっていた。これも小さな発明・工夫であろう。
星野芳郎によれば、大きな発明にはその発明のもとづく原理が変わることが必要だが、小さな発明には原理が変わる必要はないという。
それでも大きな発明も小さな発明もどちらの発明も必要なのだ。小さな発明が要らないという立場を私はとらない。しかし、異なった原理に基づく発明が同時にもっともっと必要なのはいうまでもない。
(注1)最近は金属のピンを用いない方法ができていると聞くが、まだお目にかかってはいない。
(注2)ヨーロッパではタクシーのドアが運転手が閉めることができるようになっていない。
日本では客の降りた後に運転手が自動的にドアを閉めることができるのが普通であるので、自分の降りたドアを閉める習慣がない。それでヨーロッパでは「日本人は自分を王侯貴族とで思っているのか」とタクシーの運転手がとても怒ると聞いている。
それで、フランス語でもドイツ語でも、またイタリア語やスペイン語を教える先生でもヨーロッパではタクシーを降りたときに自分でドアを閉めるようにと講義中にいつも警告をしている。