昨夜、前進座の人が演じた朗読劇を枝松の寺院「多聞院」で聞いた。
出し物は松本清張の「ある小倉日記伝」であった。小倉日記というのは森鴎外が小倉にいたときの日記だそうである。
それが失われて所在がわかっていないというので、その空白を埋めようと40年前の小倉における森鴎外の交友等を調べるある人を中心とした話である。
多分松本清張の処女作であろうか。丹念に取材をして小説を書いたという清張にふさわしい。朗読劇はどれくらい原作を脚色しているかはわからないが、十分にその雰囲気は出ていたと思う。
この朗読劇は松山での前進座の友の会の発足の機会に行われたものである。私自身は前進座の友の会に入る気はないが、そういう前進座の努力には敬意を表したい。
北九州市には松本清張記念館があり、そこでここ数年行われてきた朗読劇だという。
森鴎外の「小倉日記」について書いた清張の目の付け所がいいと思う。もっとも朗読があった後で3人の人が朗読劇の感想を述べていた。それは大体においていいと思うが、しかし注意しておかねばならないこともある。それは森鴎外の評価の問題である。
もちろん文学における森鴎外の寄与は大きいが、彼の本職である医学界での森鴎外の寄与については脚気の原因の究明を遅らせて多くの人に被害を与えた人として記憶しておく必要があろう。このことを私は板倉聖宣氏の脚気の研究の歴史についての講演のインターネットの記録で知った。
ただ、森鴎外がドイツ語に堪能なのは有名だが、小倉時代にフランス人の宣教師についてフランス語も一生懸命勉強したというのは新しい知見であった。